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[ことばとこころの言語学・20]アンジャッシュのコントが面白く感じられるのは、スキーマの違いに着目しているから。

今回はお笑いを言語学してみます。前提として、「会話の協調の原理」について様々な例を通して考えています。本題に入る前に復習です。

会話の協調の原理(Cooperative Principle)

グライスは、わたしたちは協調しながらコミュニケーションを行なっているということを前提に次のようなことを言っています。

Make your conversational contribution such as is required, at the stage at which it occurs, by the accepted purpose or direction of the talk exchange in which you are engaged. (Grice, 1975)


グライスは、自分が参加している会話では、その会話で目指しているとされているもので必要とされているような貢献をしなさいということを提示しています。
そして、会話の協調の原理には4つの規則があり、その規則をもとにして私たちはコミュニケーションを行なっていると考えています。

量の規則:必要なことだけ言いなさい。
質の規則:正しいことだけ言いなさい。
関係性の規則:関係のあることを言いなさい。
伝え方の規則:簡潔に、順序立てて言いなさい。

まずは、次の文章を読んでください。

彼は悔しさのあまり、握りしめていたものを叩きつけた。それは真っ二つに折れてしまった。悲しそうな様子で彼を見つめているかのようである。

この文章の「それ」は一体何を指しているかわかりませんね。しかし、ここに甲子園球場という情報を付け加えると、彼が手にしていたものは「バット」になるはずです。また、吹奏楽部という情報と入れ替えると、ひょっとするとそれは指揮棒かもしれません。さらに授業中という情報だと、チョークの可能性も出てきます。私たちは、甲子園球場と聞くと、そこから「野球の試合」を思い浮かべることができます。例えば、友人が「昨日、甲子園に行ったんだ」と語ってくれたら、「あ、この人は昨日野球の試合を見に行ったんだ」と思います。わたしたちは、物事を理解する時に、あらかじめ持っている知識に照らし合わせながら様々なことを解釈したり考えたりします。ですが、この知識は生まれながらに持っているわけではありません。経験的に知識として蓄えられていきます。つまり、甲子園というキーワードから、プロ野球、高校野球、阪神タイガースなどの情報を引き出すことができるようになるのです。こうした情報のことをスキーマと呼ぶことがあります。

もう一つ例をみてください。隣の人が次のように携帯電話で話していたのをたまたま聞いてしまいます。この携帯電話で話している人の職業を当ててください。

今日さ午前中に手術した子容体どうだ?

どうでしょうか?「医師」ということがわかりますよね。つまり、「手術した子」「容体」ということばから職業を連想することが可能です。これは、私たちの頭の中にある情報、すなわちスキーマを引き出すことができたことで理解が可能となります。以下の例はどうでしょうか?職業はわかりますか?

いや~教育委員長の話長ぇなもう。

この例からは「学校の先生」では?と推測することができますよね。つまり、「教育委員長」ということばから、学校関係者という情報を引き出すことで理解をしたわけです。

そこで、アンジャッシュのコント「小学校教師と小児科先生」、エンタの神様(2018年9月15日放送)をみていきましょう。

渡部:うんうん。うんあぁそうそう。今日さ午前中に手術した子容体どうだ?ほらあの足の複雑骨折の。うんはぁはぁはぁはぁうん。
児嶋:はぁ~。いや~教育委員長の話長ぇなもう。
渡部:あぁ分かったじゃあねあの、後のことはマツバラ先生にお願いしてうん。
先生に言えば大丈夫だからはいは~い。あぁ~。
児嶋:あっ。
渡部:あぁ。
児嶋:こういった先生の集まりって何か疲れちゃいますね。
渡部:私もこういう堅苦しいのは苦手でね。
児嶋:あぁ申し遅れました私児嶋と申します。
渡部:あぁ私渡部といいます。いや~子供相手ってホント大変ですよね。
渡部:あぁ子供はわがままですからね。
児嶋:うん。
渡部:あと今年ほら集団の食中毒流行ったから大変じゃなかったですか?
児嶋:集団食中毒うちもありましたよ。
渡部:やっぱり。
児嶋:ええ、ですからうちは慌てて休みにしましたよ。
渡部:休んだんですか?そんな時に?
児嶋:ええ。
渡部:そんな時こそ頑張らないと。
児嶋:いやいやいや。そういったね休みでもないとやってらんないですよ。
以下のコントの引用も含め全てのスクリプトはここから引用しました:https://manzaidaihon.com/unjash-3

渡部と児嶋はどちらも「先生」なのですが、渡部は小児科医、児嶋は小学校の先生だということが、聞き手である私たちには理解することができます。それは、先ほどのスキーマが私たちの中にあるからです。従って、私たちはそのスキーマを利用して、二人のコントの内容を理解します。しかしながら、渡部と児嶋は互いに同業者だという認識で話を進めていきます。それは、児嶋の「こういった先生の集まりって何か疲れちゃいますね。」ということばから、渡部は児嶋のことを医師であると理解します。つまり、渡部の経験する世界の中で「先生」と言えば医師であり、児嶋の経験する世界の中での「先生」は小学校の先生だからです。それぞれのスキーマの認識の違いがこのコントのキモとなるのです。

児嶋:先生も大変でしょう子供相手って。
渡部:まぁそうですね特に思春期の女の子大変ですね。
児嶋:うん。
渡部:何かね胸見せてくれっつってもなかなか脱がないでしょ?
児嶋:当たり前ですよ何胸見ようとしてるんですか?
渡部:いやいや何しに来たんだって話じゃないですか。
児嶋:いや胸見せに来てるわけじゃないですからね。何言ってるんですか?
渡部:その点ね男の子は楽ですよ。すぐ見せてくれるから。
児嶋:男のも見てるんですか?
渡部:うん。
児嶋:大丈夫ですか?先生。
渡部:大丈夫ですよ。

このコントを私たちがおもしろく感じられるのは、お互いのスキーマが異なっていながらも絶妙に会話が展開していくところにあります。医者としては当然の行為をしており、全く誤った情報を与えていないのですが、小学校教師のスキーマからは「ありえない」行為として理解します。それを私たちが聞いて、面白いと感じるのは、渡部と児嶋の視点からは、「質の規則」や「関係性の規則」を遵守し、違反していない発話であるにも関わらず、私たちの視点からは互いの発話が「量の規則」を違反していることでおかしさを感じるのです。つまり、医師、学校の先生という情報を欠落させることで、おかしさを作り出しているわけです。

アンジャッシュのコントはスキーマの違いを明確にすることで面白さが生まれているということがわかりました。これから何回かに分けて笑いを言語学してみたいと思います。




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