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[ことばとこころの言語学・16]「つまらないものですが」と言って本当につまらないものをあげる人がいないのは?

「つまらないものですが、お受け取りください」

といって、近所のスーパーのチラシの束を渡したりすることはありません。


「ささやかなお食事をご用意させていただきました」

という言葉を聞いて、枝豆が出てきて終わり、という食事会ということにはなりそうもありません。

わたしたちは、相手に尊大に思われたくないので、謙遜をすることがあります。この「謙遜」というのは文字通り間に受けてはならないということも、生活をしていく中で身につけてきました。こうしたことについて、言語学的に考えてみたいと思います。

次の会話を見ていきましょう。

<仕事が終わった直後に>
A: お腹減ったね。最近、この近くに美味しいイタリアンを見つけたんだ。
B: じゃあ、そこに行きましょう。

Aさんの「おなか減ったね」というのは発語行為だけではなく、発語内行為となりBさんを食事に誘うということが含意されています。そしてBさんはAさんの発話を単なる発語行為ではなく、「誘い」であることを察知し、「行きましょう」と答えました。
このようにして私たちはスムーズにコミュニケーションを行なっています。この現象はH.P.グライスという言語哲学者が考えた「会話の協調の原理」を見ていくことである程度説明が可能となります。

会話の協調の原理(Cooperative Principle)

グライスは、わたしたちは協調しながらコミュニケーションを行なっているということを前提に次のようなことを言っています。


Make your conversational contribution such as is required, at the stage at which it occurs, by the accepted purpose or direction of the talk exchange in which you are engaged. (Grice, 1975)

グライスは、自分が参加している会話では、その会話で目指しているとされているもので必要とされているような貢献をしなさいということを提示しています。

そして、会話の協調の原理には4つの規則があり、その規則をもとにして私たちはコミュニケーションを行なっていると考えています。

量の規則:必要なことだけ言いなさい。
質の規則:正しいことだけ言いなさい。
関係性の規則:関係のあることを言いなさい。
伝え方の規則:簡潔に、順序立てて言いなさい。

グライスはこの規則を守らなければならないと考えているのではなく、大前提として、会話は話し手と聞き手が互いに協調しながら成り立っているというものがあるので、コミュニケーションが成り立たないということはないと考えます。

もう一度、先ほどの例を考えてみましょう。「お腹減ったね」ということを聞いたBさんは「どうして、仕事が終わって、Aさんはここでお腹が減っているというんだろう?近くのイタリアンレストランは仕事とは関係のない話だけれど・・・、でもきっと何か伝えたいことがあるんだろう。」と考えるでしょう。そして、「ただお腹が減っているということを伝えているのではなく、一緒に行こうという誘いなんだ。わざわざ、イタリアンレストランと言うぐらいだから、やっぱり一緒に行こうと言うことだな」と瞬時に解釈します。そして、その結論として「行きましょう」と答えればいいんだな、と推論をしながら応答したという流れになっています。

つまり、文字通りに解釈をするのではなく、発話の含意を推論するプロセスを経由して、返答をしているのです。こうした推論のプロセスは4つの規則のうちどれか一つ(または複数)をわざと違反することで発話が成り立っているのです。もういちどBさんの推論のプロセスを辿ってみることにしましょう。

「どうして、仕事が終わって、Aさんはここでお腹が減っているというんだろう?近くのイタリアンレストランは仕事とは関係のない話だけれど・・・[関連性の規則の違反]、でもきっと何か伝えたいことがあるんだろう[協調の原理は守られていると考える]。」と考えるでしょう。そして、「ただお腹が減っているということを伝えているのではなく、一緒に行こうという誘いなんだ。わざわざ、イタリアンレストランと言うぐらいだから、やっぱり一緒に行こうと言うことだな[含意]」と瞬時に解釈します。

規則を違反するには、それなりの理由があるわけです。「ささやかな食事」の例は、本当にささやかな食事を出すわけではないため、質のルール(正しいことを言いなさい)に違反しています。自分が尊大に見られたくないということがルールの違反の理由なのです。今回は一旦ここまでにし、次回からは含意がどのように生じるのか、細かく見ていくことにしましょう。


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