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[ことばとこころの言語学・8]ことばがつたわるしくみ(1)

私たちは自分の頭の中にあることを、場面や相手に応じて伝え方を工夫して話したり、書いたりして伝えようとします。また、誰かが発した言葉を聞いたり、読んだりして理解しようと試みます。こうした言葉のやりとりについて、現代言語学の父と呼ばれる、フェルデナンド・ソシュールが次のような図で説明をしています。


ソシュール著・町田健訳『新訳ソシュール一般言語学講義』27ページより

Aさんが頭の中で思いついた概念(コンセプト)を音(サウンド・イメージ)にまとめあげて、脳が発生器官に指令をし、Aの口から発声という形で音が発せられる。そして、その音波が相手であるBの耳に届く。一方、音を聞き取ったBさんは、音(サウンド・イメージ)に対応する概念(コンセプト)に変えて理解している。そうしたやりとりが相互に行われていると考えていました。
*(注)ソシュールは音(サウンド・イメージ)とは呼ばすに、聴覚映像と名付けているが、ここではわかりやすくするために便宜上、音(サウンド・イメージ)とした。

ソシュールはこのようにざっくりと個人の言語行動について図示をしているが、これは、私たちが頭の中にある概念を音声に置き換えて相手の耳に届け、その意味を理解してもらう。または、相手の音声を聞いて理解するという点においては私たちにも理解することができると思います。

ソシュールの考えは『一般言語学講義』という本にまとめられています。この本の内容は、ソシュールが1906年から1911年にジュネーブ大学で行なった言語学の講義を弟子のバイイとセシュエが授業の履修者のノートをまとめ直して、『一般言語学講義』という本にしたので、ソシュール自身が自分の考えを本にまとめて出版しているわけではないのです。そのため、内容的に不十分であるとか、誤りがあるのでは、と疑問が投げかけられ、日本では丸山圭三郎が『ソシュールの思想』として論じていますが、ここでは、『一般言語学講義』に書かれていることを中心に説明しました。

ソシュールの大きな功績として、言語(ランガージュ)を「ラング」と「パロール」という二つに分けて考えることを提唱したことです。ことばにはルールがあり、そのルールはある社会的な集団の中で慣習的に認められているものだという側面があります。これを、ラングと呼んでいます。ラングは音の体系なども含み、個人の言語使用からは独立した抽象的なものだということです。一方、実際に個人が使う具体的なことばのことをパロールと言いました。言語の研究はラングの研究であるべきだという考えを提示しました。

しかしながら、私たちの言語活動を考察するためには、ラングだけでは不十分であると考えられます。つまり、ラングのように抽象化された規則を考えるのではなく、パロールの側面から、つまり実際の言語使用の場面に見られる現象も扱っていかなければならないという発想がこの後生まれることになりました。


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