歩いてみないとわからないことってある|旧甲州街道 高尾駅~日影
JR高尾駅に降りたのは昨年の春以来のこと。
先日、戦争中に高尾のトンネル手前で列車が機銃掃射を受け、多くの方が犠牲になったとテレビで放送されていたのを思い出した。
ホームの先端まで行ってみたが、駅からすぐに線路が右に緩やかにカーブしていて、その先は見えなかった。
◇パンを買って小仏関跡へ
今回は高尾駅から旧甲州街道を歩き、日影沢林道まで行ってみた。
まずは、高尾駅の近くにあるパン屋ウエストさんへ。ブログで書いている方がいて、ぜひ寄ってみたかった。種々の美味しそうなパンが並んでいる。お値段も手頃なのでありがたい。サンドイッチなどを買い、国道20号線 ( 甲州街道 ) を歩き始める。
中央本線の高架下から南浅川を見る。なんだか別世界が広がっているようだ。
国道20号線 ( 甲州街道 ) から分かれて旧甲州街道へ。道路が少しうねったところとか旧道の雰囲気が感じられる。
高尾から小仏までの道は、これまでにも何度かバスで通ったことがある。それなのに、ここが旧甲州街道だとずっと知らなかったとは…。
高尾駒木野庭園の百日紅 ( サルスベリ ) がとても綺麗。古い日本家屋とよく似合う。百日紅は7月~9月頃にかけて花を咲かせ、草花など他の花が途切れても庭を彩り続けてくれる。生命力の強さを感じさせるすごい木だ。
小仏関跡に到着。公園で、ちょっと遅い朝ごはんにすることにした。
ウエストさんのミックスサンドと玉子パンをいただく。サンドイッチの具材が丁寧に作られていて美味しい。玉子パンも焼きたてでふっくらホワホワ、塩味がきいていてとっても美味しかった。
いつも山に登る前は「おにぎり」と決めていたけど、高尾駅スタートの時はウエストさんのパンにしよう!と思った。
◇いのはなトンネル列車銃撃慰霊碑
蛇滝口のバス停まできた時だった。「慰霊碑」の場所を示す大きな石碑が目に入ってきた。
ここが戦争中、高尾のトンネル入り口で列車が機銃掃射を受けたという場所だったのか。まさか、今回歩く旧甲州街道のルート上にあるとは思わなかった。
案内板には「太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月5日、この地で米戦闘機群によるわが国で最大規模の旅客列車銃撃空襲が起き」「52名が死亡し(実際は60名以上)、133名が重軽傷を負った」とある。
畑の中の道を歩いて行くと、慰霊の会が建てた慰霊碑(1992年)と地元の青年団が建てた供養塔(1950年)があった。
慰霊碑にお参りをさせていただいた。この場所でそんな悲惨なことがあったとは、平和な真夏の炎天下のもとでは想像しがたいことだった。
慰霊碑を後にしようとした時、列車の通過する音がして振り返った。下りの特急あずさだった。
中央本線で山梨や長野方面へ向かう時、このいのはなトンネルも何度も通っているはずなのに、そんな事があったとは思ってもいなかった。
どのようなかたちででも、その思いを引き継いでいかなかればならないと思った。
◇蛇滝茶屋とおからドーナツ
道路を隔てた反対側には、古い木造の建物があった。蛇滝茶屋といって高尾山参詣に訪れる人達の宿泊所・休憩所だったらしい。軒下には講札がズラリと並んでいる。講を組んで各地から訪れた人たちの講札を眺めていると、タイムスリップしたような気持ちになった。
さらに歩いていくと、するさしのお豆腐屋さんがあった。「ドーナツ」ののぼりに惹かれ、吸い込まれるようにお店に入った。おからドーナツを買い、向かいの駐車場の石のテーブルで一ついただく。ほんのりとした甘さで生地の食感がよくて、とても美味しい。
いろいろと寄り道をして、やっと日影のバス停に着いた。初めて歩いた 旧甲州街道。歩いてみないとわからないことってあるなあと改めて思った。だから歩くって楽しいんだけれど。
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