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父を見送れなかった私

数週間前、遠く離れた父が亡くなりました。私は25年間海外に住んでいます。コロナのために直行便はなく、経由でつないで行っても隔離があるため葬儀には出られませんでした。

父は今年95歳になるところでしたので、大往生だったと言えます。2年半前から認知症になり、昼間はデイサービスに通い、独身の姉と住んでいました。母は私が子供の頃に亡くなっていたので、男手ひとつで子供たちを育ててくれました。私は末っ子だったので、とてもかわいがってもらったと思います。子供の頃いろいろな場所に連れて行ってもらい、楽しい時間を過ごしましたことを今でも覚えています。高い大学も出してもらいました。大人になって海外に行ってからも、お金がかかりますが毎年頑張って帰っていました。

認知になってからは、年に1,2度しか会わない私のことは誰だかわからないようでした。家族だということはわかりますが、娘だったか、何番目だったか、孫だったか、わからなくなっていました。そうなってきますと、私は夏は子供を連れて帰り、それ以外にも短期間一人で帰るようになりました。もう残り時間も少ないのだろうなと。日本を去る時、これで最後になるかもしれない、といつも寂しい気持ちでした。

以前からでしたが、父と同居している下の姉が、私が一時帰国すると機嫌が悪く、いつも居心地が悪かったのですが、ずっとホテルに泊まるわけにもいかないので我慢して実家に泊まっていました。機嫌がいいときは一緒に食事に行ったりもしていましたが、父が認知になると機嫌が悪い時の方が多く、本当につらかったです。「来年も1か月もいるの?」「途中でどこか泊まりに行かないの?」などと言われ、怒鳴られることもありました。こどもにも当たったりするので、いつもびくびくしていました。私は帰ると父の通院やケアマネさんとの面談、朝のデイサービスへの送り出しなどがあったので、滞在途中別の場所に泊まりに行くこともできませんでしたが。。。もちろん、会社から帰って、父に食事させ、薬をのませて寝かせる、といった、今まで全くやってこなかったことをしているので心労はあったと思います。認知になる直前まで父は買い物をして食事の支度をして、姉の帰りを待っていたのですから。この2年半、状況変化に姉も疲れていたのはわかります。固定電話はもう父はベルの音が聞こえなかったので、姉の携帯に電話せざるを得ませんでしたが、ほとんど出ませんでした。(誰の電話にも出ません)出ても私には無言ですぐ父に渡したりしていたので、私としゃべりたくないんだなと思い、ますます電話しにくくなりました。Eメールだけが連絡ツールでしたが、何か書いても1行しか返事がきませんでした。時には件名だけの空メールが。もう一人上の姉がいますが、自分の子供たちとも別の世界を形成しているので、なんかもう遠くに行っちゃった私のことはどうでもいいみたいです。姪っ子ともインスタなどで会話を試みますが、あまり続きません。メールを二人に書いても、両方からくる返事はいつも1、2行でした。

それもで父が亡くなる3週間前に脳梗塞を起こして入院した時はさすがに連絡がきました。コロナが真っ盛りのときだったので、今亡くならないで!と祈りました。2週間ほどで退院し、自宅に戻りましたが、全く食事を摂らなくなり、点滴だけだったようです。その情報も乏しいので、本当にやきもきしました。父が亡くなった日、昼間に姉の携帯にかけましたが、やはり出ませんでした。父の日だったので、どうしても話したかった。そうメールしたら向こうからかかってきました。父の声は言葉になっていませんでしたが、何とか声は聞けました。その数時間後に、姉も知らない間に父は逝ってしまったようです。。。私からの電話を待っててくれたのかな。。。

今回父が亡くなり、そのことだけでも悲しさいっぱいなのですが、「実家がなくなってしまった」という寂しさも募ってきます。一時帰国しても、安心しているところがもうないのです。国内ならば、数日ホテルに泊まって帰ることも可能でしょうが、何しろ10時間以上のフライト、我が家の場合ひとり10万円近いチケットで3人帰りますので、そう短い期間で帰れません。2週間も3週間も宿泊施設で親子3人過ごすとなると相当な出費になりますから、これからは頻繁には帰れなくなります。もっとも、父がいなくなった今、毎年帰ることもないと思いますが。。。日本人なのに、日本に帰るところがない。これもとてつもなく私を暗い気持ちにさせます。

49日前に隔離が終わるように一時帰国する予定ですが、隔離明けに姉の住む実家に行くのが怖いです。今回はどのような態度に出るか、不安です。2週間隔離の件も、家で隔離すれば、とは言ってくれないので隔離宿を自分で手配しました。上の姉は子供はみんな独立して家には部屋があまっていますが、おいでとは絶対に言ってくれません。私は姉と子供たちがこちらに来たときは全員泊めて、一緒に観光したりしました。今でも来てくれたらそうしてあげるつもりです。私は日本から来たる友人なども泊めてあげますが、同じことを日本でしてくれる友人は少ないです。

兄弟なのに、なんかこう、なんというんでしょうか、寂しい限りです。葬儀の時もラインとかでちょっとでいいので中継してほしいといったら、それは寺の迷惑になるからどうか。。。と言われました。葬儀屋にも断られましたが、幸い友人が参列してくれ、お寺の住職さんも賛同してくれて、友人が中継してくれました。ありがたいことです。一生忘れません。安置された遺体の写真も送ってくれ、葬儀に出られなくとも、自分なりに納得しました。荼毘に付される時間帯にはこちらから空に向かってお別れしました。。。

勝手に海外に行っちゃったんだから、あなたの方が悪いと言われたら、私も返す言葉がないですが、私はこんな悲しい気持ちをしている人がいたら、家族でなくてもなるべく寄り添ってあげようと思います。人間、やはり基本は家族と思います。日本の家族はもうなんか、すごく遠い存在になってしまっているので、せめてこちらの自分の娘たちとは死ぬまでいい関係でいようと心に決めました。いつも機嫌よく、楽しく過ごしていた父を見習って、楽しい家族生活を送りたいと思います。それが父への弔いになるんじゃないかと。

娘たちもいつかは家を出るでしょう。海外で暮らすことになるかもしれません。連絡を取り続けるには時代に合った通信手段を使いこなさなければ。姉たちと連絡が取りづらかった大きな理由は、メールしか通信手段がないのに、その返事が短すぎたことでした。おばあちゃんになっても、今後出てくるであろう新しい通信ツールについていくよう努力します。

こんな年まで元気でいてくれてありがとう、お父さん。ゆっくり休んでね。





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