「考えるのを諦めない」ためにインターネットで文章を書く
思考力が落ちていることに気が付いた
久々にブログを書くことにしました。今までブログは何度かやってたのですが、日々の忙しさの中でなかなか続かず、今回が3度目くらいの挑戦です。
なぜ改めてインターネットで文章を書くことにしたのかというと、
思考力が落ちていることに気づいたからです。
昔から考えることがとても好きでした。
なぜ大学に行く必要があるのか?を考えた結果、1ヶ月くらいで大学に行かなくなりました。本当に自分がやりたいことを考え続けた結果、二十歳で起業しました。
常識や固定概念に囚われず、自分の頭で考え行動できるのが自分の強みです。しかしここ最近、考える力が落ちてきたと感じるようになりました。
自分の頭で考えず、本や記事、他人の意見の継ぎ接ぎで物事を処理しようとしたり、人と会話していても自分の考えがすぐに出てこないことが多くなりました。
昔はもっと思考に深くダイブできる感覚があり、思考のスタミナもずっとあった気がします。
どうして思考力が落ちてきたんだろうと、片っ端から思い当たる原因を考えて解決策をやってみました。昔はやり込んでた瞬発力の必要なアクションゲームをやってみたり、脳のパフォーマンスを上げる食事やライフスタイルを意識したり、色々やりました。
しかし結果はそこまで変わりませんでした。そこでふと気付いたのは、ここ半年くらいあまり文章を書かなくなったということです。
そういえば昔から文章を書くことがたくさんありました。代表をしていたボランティア団体で何万文字ものメッセージをメールで毎週のように送ったり、数十ページの事業計画書を作り込んだり。
書くことは考えること
そもそも考えるとは何でしょうか?
人は何もしなくても勝手に感じたり、頭で色々考えてしまう動物です。
「考えるとは何でしょうか?」
こんな問い自体が考えることの本質であり、意図的な問いを設定してアウトプットすること。それが考えることなんじゃないかと思います。
よって、日々感じる疑問や好奇心に問いを設定し、自分の答えを書いてアウトプットする行為は考えることに他なりません。
電気信号でしかない思考を言語として形にすること
人の思考の多くは実体のない非言語の電気信号です。ものの数秒で消えてしまう。とりとめのないものです。
その思考を言語化して書くことで、漠然とした電気信号が形となり、自分や他人が認識したり、保存できるものになります。
一瞬でなくなるフワフワした思考というものが書くことによって非常にクリアになり、認識できる形で残ります。文章を書くということは、思考を可視化して保存することを繰り返すことで、思考の海に深くダイブすることを可能にする行為です。
固定概念や認知バイアスにまみれた思考を洗練させる
文章を書くことのもう一つ大きなメリットがあります。
それは固定概念や認知バイアスに囚われず、自分の思考を客観視できるようになることです。
悩んでいることや感情を文章にしてみると、「こんなことで悩んでたのか?」と冷静に自分の心に向き合うことができた経験の方も多いでしょう。
思考を文章にすることでいかに自分の思考が思い込みやバイアスの塊であるかを思い知らされます。
考えることを諦めたくない
考えることは大変です。書くことも大変です。人が考えたことを鵜呑みにする方が楽ですし、書くことよりも読む方が楽です。
世間の常識や敷かれたレールの上を走り、他人がした意思決定に沿って行動するだけの人生の方が楽なので、過去何度もそう生きようかと迷った時期もありました。
それでも私は、考え続けることを諦めたくないです。
人が偉大なのは考えるからだと思うし、考えない人生を生きたらきっと死ぬ前に後悔すると思うからです。
あえてインターネットで文章を書く理由は、経営しているBaseconnectの採用に繋がったり、自分の思考に対してフィードバックを貰ったりしたいのと、
なにより自分がインターネット上の情報に毎日お世話になっているので、自分の思考と探究が誰かの役に立てばいいなと思うからです。
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