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「漫文駅伝」第18回 西麻布ヒルズ・櫻井市長

放送禁止の黒人差別漫才「西麻布ヒルズ」差別担当櫻井市長です。
居島さんの為なら犯罪と性処理以外の事は全てやる!が家訓なので書かせていただきます!が、あまり文章を書く能力が無いのでおつかいのメモみたいになるけどごめんなさい!
居島さんと飲む度に伝説が生まれてるけどいくつか紹介します。

①「僕の芸人寿命延命」
渋谷で「居酒屋西麻布ヒルズ」を経営していた頃多いときで週3ペースで朝まで居島さんと飲み散らかしてました。
僕の親父が北海道美唄市の現役市長の時に東京に来る度に居島さんと飲んでいて何故か親父は市長なのに居島さんの事を「先生」と呼んでました。僕が27歳くらいでテレビも出れずくすぶってた頃のある日の会話。
親父
「おい、慎一郎(僕の本名)!30歳までやってダメなら北海道に帰ってこい!」

「…………」
親父
「ちなみに先生は何歳なんですか?」
居島さん
「私は32歳です。」
親父はしばらく考えて僕にむかって
「35歳までな!」

居島さん!ありがとうございます!!
居島さんが芸人を続ける限り僕も続けられます!
ただ親父が僕に居島さんは天才だからお笑いの全てを吸収しろと言うのですが全然無理です。脳みそ5個あっても無理です。よく引き出しが多いって言うけど居島さんはタンス自体が多いんです。

②「奇跡の瞬間」
今はなき新宿ゴールデン街劇場で毎月芸人4組で「イマキテライブ」というライブをやっていてゲストで大本営八俵で出てもらった時。
あるコンビの一人にバングラデシュ人がいました。その人は結婚したばかりだったのですが奥さんが日本に来たばかりで日本語も英語もわからずベンガル語しか話せなく常に旦那と一緒に居ました。
だからライブのリハーサルをしている時に何もわからないバングラデシュ人女性がポツンと緊張気味で客席に座っていました。
それをみた居島さんが和まそうとしたのかデタラメなベンガル語を話しながらジリジリと近寄っていったのです。
お互いのおでこが付くほど近づいてデタラメベンガル語を浴びせていたら女性はうつむいて我慢してました。
しばらくしたらその女性は顔をあげて一言
「チカイ!」

日本語も英語もわからないベンガル語しかわからない人が思わず「チカイ!」


日本語が生まれる瞬間に立ち会えた奇跡でした。居島さんはよく「戦後生まれの傷痍軍人」と言ってますが僕はもっと昔の言葉が出来始める時代に「居島一平」は存在していたと確信しています。

ちなみにそのライブで一緒にやってた芸人の「キャラメルマシーン」は居島さんのネタを見て「こんなモンスターが居るなら芸人で売れる気がしない!」と芸人を辞めてマジシャンになりました。
芸人が辞める瞬間にも立ち会えました。


③「気が付けば」
渋谷で店をしてた頃の話。
渋谷の店というのが椅子とテーブルがあって20人位座れる感じでトークライブなんかもやれるような箱でした。
居島さんと「イワイガワ」のジョニ男さんとなかなかの頻度で飲んでまして。ある日夜の9時位から飲みはじめて3人で喋りまくって飲みまくってギャラリーも居ないのに居酒屋コントしてダジャレ大会して小森のおばちゃまのマネと刑事コロンボのマネと、とにかく笑いまくって気付いたらもう朝の7時だったんです!
10時間騒ぎっぱなしだったんです!!

と、そこまではいつも通り!

そろそろ帰ろうかとした時に気付いたんです。
3人共10時間1度も椅子に座ってなかったんです!!
それだけ楽しすぎたんですけど、それに気付いた3人は流石に笑いながら膝から崩れ落ちましたね。


④「西麻布ヒルズ初めての挑戦」
前に稲川淳二さんのモノマネでお馴染みの「BBゴロー」さんの紹介で御殿場のライブハウスで単独ライブをする事になりまして。
西麻布ヒルズの何ヵ月か前に「大本営八俵単独ライブ」をした話を聞き、客層とか会場の雰囲気をBBゴローさんに聞くと居島さん1人で8時間喋り続けたというのです。西麻布ヒルズは二人組だから居島さんに勝とうと8時間以上喋ろうとしたんです。
ネタも10本位やって実家の話とか親戚の話とか実家のネコの話とか初体験の話までしたのに、もう二人ともなんも話すこと無くなって時間みたら4時間半。
二人がかりで居島さんの半分位って。
なんならなんも喋らず4時間位ただ立ち尽くしてもいいかなって思うくらいで。

横綱にちびっこ相撲が二人がかりで勝てるわけがないって事なんですよ。
なんで勝負に挑んだのか未だに謎ですね。

まだまだ居島伝説いっぱいあるけど今回はこの辺で。
ありがとうございました❗

最後にひととおり書いて思った事が1つだけ❗

居島さん❗

飲みたい‼

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