日常のプロたちのはなし/沖縄・水納島 2019.12.17〜20

少し長い文章を書いておきたいと思いました。

オリジナルの演劇作品を上演するために、今回水納島に滞在したのは丸4日間。あっというまでもあり、でも実際に体感してる時間の重さはその倍以上。あまりに濃い、目が回るようにめくるめく、一瞬かつ永遠であるような不思議に歪んだ時間を過ごしました。

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プロの仕事が好きです。

どんな専門分野であっても、プロの仕事とは「準備とイメージを幾重にも積み重ねながら、その瞬間だけを全力で生きる」ということ。準備と想像の余念なく緊張感を保持しながら、しかしいざその現場と時間に立てば“ライブ”として生きる。モーメントごとを真剣に、誠実に、クリエイティブに、他者とともに、生きることのできる人たちにこそ、プロを感じる。心の底から尊敬します。

今回の座組に島外から参加してくれた6人は、紛れもなく全員がプロの表現者でした。

例えば約一年ぶりに一緒に“仕事”させてもらった柴田実奈は、同じ曲を何度も反復して練習するけれど、一度として同じ歌を歌いません。必ず毎回何かが違う。何かが変容していく。はたからみるとそれは可能性を試す作業そのもので、トライとエラーを繰り返してイメージを拡げながら、しかしパフォーマンスのクオリティや強度はその都度着実に上がっています。そして通し稽古や本番のここぞというタイミングで、最も高い質で、最も自由に歌う。積み重ねてきたことをベースに、しかし最後に手放す。彼女のそのような過程を観察していると「歌そのものが、命を帯びた、生きている存在」であるかのように感じられます。

今回初めてご一緒させていただいたピアニストの大城伸悟さんも、瞬間を生きるプロでした。予定していたグランドピアノが使えず急遽音楽室のアップライトを使用することになりましたが、自分自身が楽器に慣れ、楽器を環境に慣らし、そして完全に初めましての柴田実奈の歌を聴きながら時に伴走し、時に刺激し、他の出演者の毎回変わるセリフのタイミングやテンポに即興的にピアノの音を合わせていく。それらの準備とイメージを繰り返しながら、本番では稽古中には一度も試していない形、あまりに絶妙で劇的なこれ以上ない音を響かせてくれる。初日に耳障りなほど気になったペダルのバコバコいう音が本番では全く気にならなくなっていました。

本番での客席の空気感を読んで稽古時の想定よりも0.7秒くらい長く間を取り沈黙の重さをより雄弁なものにしてくれた古賀今日子も、本番での客席の空気感を読んで帽子をかぶりながら語るセリフの解像度をぐっと上げた与那嶺圭一も、本番での客席の空気感を読んでりゅうたとの“白菜”のやりとりを余計に遊んだ玉眞榮日也美も、本番での客席の空気感を読んで沖縄なまりを少し増やし聴く人たちに安心感を与えた犬養憲子も、みんなその瞬間その瞬間を濃密に生きていました。

6人に共通するのは、「よく聴いてること(観察すること)」「準備したことをベースにしながら、本番ではマルチタスクを働かせて、他者間で常に“生きた最適解”を見つけること(アジャスト⇨セッションすること)」そして「自分の気持ちよさに妥協しないこと(個性的であること)」。

でも、今回出会ったプロたちは彼女ら彼らだけではありません。水納島には本当にたくさんのプロたちがいます。今回の旅はそんなプロたちとのたくさんの出会いの場でもありました。

長年の観察眼でフェリーが出ないことを事前に判断し準備する人たちも、大荒れの波と風を読み危険を最大限に避けながら状況判断して進む漁船の操縦士さんも、その漁船を送り出す数分の間に打ち合わせることもなく自然と異なる役割を担う島の男たちや植田夫婦も、山羊を“潰して”手際良くさばき最上のご馳走として振舞う人たちも、演劇公演をご覧になって涙を流しながら同時に子どもたちへのこの価値を見抜き言葉にして語ってくださる複数の先生たちも、僕らが愛情を込めて“神”と呼ぶ三線名人の修さんも、そして、なんだかんだベースを持参して無茶振りで言われるがままに三線とセッションして喝采をさらった水納校卒業生の勇輝も、みんながみんな、それぞれの状況に直面するまでに「準備とイメージを幾重にも積み重ねながら、その瞬間を全力で生き」ているプロたちで。

彼らはみんな日常生活の局面局面で、自然や、気候や、命や、エンターテインメントとともに、全力で《セッション》をしている。そこから喜び、安堵、涙で赤くした眼、笑い、喝采、様々な感情が生まれて、共有されていく。もれなくどの一人も、カッコよかったのです。

水納小中学校の学習発表会の場で、子どもたちとプロの表現者たちが一緒に演劇公演をするのは今回が3年ぶり(僕自身は4年ぶり)でした。過去4回こうした演劇公演があり、島のみなさんとの濃密な交流があり、多様な学びがあり、そのひとつひとつが自分の人生にとっては文字通り大切な宝物になっています。その中でも今回の上演は、これまでと次元の違う最もプロフェッショナルな作品・上演になりましたし、そして今回ほど、《プロの凄さ》に出会いながら島での時間を過ごした機会はありませんでした。

島をめぐるたくさんの“日常のプロたち”が、今回遠慮なく顔を出してくれたのは、きっと、島の子どもたちとともに表現のプロたちが演劇公演を通じて全力でプロの仕事を果たしたからに違いないんです。あるいはこれまでの時間を通じてその信頼ができていたから。ジャンルに関わらず、プロたちはプロたちのことを心から尊敬し認め合うことができます。

そういう公演を、してきました。

子どもたちすら、見事なセッションを繰り広げた大事な大事な座組の一員です。でもよく考えたらそれは当然なんです。だって2人は、誰よりも《水納島のプロ》なんだから。水納島についての表現なら、俳優の技術と対等にセッションできるだけの十分な経験がある。

そしてこうも思います。子どもたちって誰よりも、失敗と学びと、チャレンジのプロだよね。

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準備する過程での、失敗の瞬間が好きです。

舞台表現において、稽古中の僕らのチョイスが本当に正しかったのかどうかは、毎回異なるオーディエンスとのセッションの中でしか見つけることかできない。稽古の大部分は可能性と選択肢を拡げる作業に費やされるけれど、ひとりの主観には限界があり盲点ができる。だから「こうしよう」と意図したことに失敗した瞬間、意図に対しての失敗であるはずなのに実はそっちのほうが正解じゃんか!と発見することが往々にしてあります。稽古って大好きです。稽古場は、遊びと可能性の宝庫。こんなに楽しいことってない。

今回上演した『ママのはなし』は、上演時間が約45分。全員が揃って稽古できるのは2日間のみ。台本がまとめあがった時点で、今回作品がどう受け止められるか読めない部分も多々ありました(ある程度いけるだろうなともぼんやり思ってはいましたが)。

でも現地に行って「あ、これは絶対大丈夫だな」と思えた瞬間が2回ありました。一回は初日、顔合わせ後全員で最初の本読みをした際、ピアニストに大城さんが号泣して「ティッシュもらってもいいですかぁ?」と訴えて周囲の驚きと爆笑をかっさらったとき。今回の座組はあの瞬間にひとつになったといっても過言ではありません。

そしてもう一回は、2日目の通し稽古の真っ只中。子どもたち2人だけの場面で、決まっていた段取りと違う流れになってしまって“大失敗”したのに、それを観ていた大人全員が心の中で「こっちが絶対に正解じゃん!」と確信したとき。芝居中の大人たちの、ニヤけ具合が半端なかった。

本当に子どもたちはなんて最高の“失敗のプロ”で、なんてイノベーティブな存在なんでしょうか。

通し後ノーツの時間、子どもたちの大失敗を大人たちは全力で大絶賛しました。もちろん本番での最終的なチョイスは子どもたちが発見したほうの表現になり、案の定、そのシーンは場内でもめちゃくちゃウケた。舞台表現のもつ豊かさを、僕らこそ子どもたちから教えてもらったのでした。

表現の場に立ったら、立場や年齢におもねらないこと。それもプロとして大事な態度のひとつだと思います。中学生だろうが、小学生だろうが、年上だろうが、特別視しない。みんな同等にチャレンジして、みんな同等に失敗して、みんな同等に解決策をみつける存在であること。その前提にあるのは、相手を平等に尊重することです。「立場や年齢に応じて」とか関係ない。それは真の平等ではない(当然、“忖度”が平等とかグループとしてのクリエイティビティを生むはずなんてないですから)。僕らはみんなそれぞれ異なる立場で、可能性を拡げ選択肢の幅を増やすことに注力をします。その過程でお互いに全力で誉め、改善案を提案し、謝り、笑い、慰めあい、拍手する。それがプロだからこその“関係性”であり、広く考えれば、教育現場などでも、あるべき子どもたちと大人たちの関係性なんじゃないかと思います。

出演した大人6人と子どもたち2人、自分も合わせて全9人、2日間の稽古と3日目の本番、全員がフラットな立場で準備とイメージを積み重ね、そしてライブでセッションし、最後までプロであり続けることができました。本当に素晴らしい、胸を張って誇るべき座組でした。その一員であったことに感謝しかありません。

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書き残しておきたいことはまだまだたくさんあります。

例えば。
今回の作品の中で、戦争について触れたこと。
ママたちの物語は、今回、沖縄戦や、戦時中の水納島の様子にまで遡りました。ヒントになったのは、10月に沖縄を訪問した際に立ち寄った那覇市歴史博物館に期間限定で展示されていた、「沖縄から熊本に学童疎開していた」方が、沖縄の家族や友人たちから受け取ったという手紙の数々でした。その展示を観たあと、急遽レンタカーを飛ばして糸満の平和記念資料館にも行きじっくりと時間を過ごしたことも大きかった。思えば“手紙のやりとり“は2013年からの3年間に水納島で作ったすべての作品で形を変えて登場する重要なモチーフでした。今年に限っては同じ10月に観たNODA MAP『Q』の影響もあったかもしれません。そして、僕らと水納島を繋げてくれたすべての出発点であり今回の本番も見届けてくれた雅子先生が話してくれたように、、、その時に届かなかった言葉を、未来の別の誰かが見つけて拾ってくれるかもしれないのです。僕たちは誰もが「長い時間を超えて届いた、命の鎖」の一部であり、沖縄や水納島という場所ほどそのことを心強く教えてくれる場所は他にないと思うのです。

例えば。
今回の『ママのはなし』は、次の3月に水納小中学校を卒業する中学3年生・海色の花向けとしての作品であると同時に、紛れもなく、水納島やこれまで水納島で出会った全てのみなさんへのラブレターでした。正直それがすべてだった気がします。そして最後に「がんばれー」と海に向かって、そして全員に向けて大きく叫ぶのが、この場にいる最年少の琉太じゃないといけなかったこと。海色自身がインタビューで語ってくれた「湾の岸壁で食べたスクランブルエッグのはなし」が本当に様々なインスピレーションを生む泉のようなものだったこと。

例えば。
滞在2日目の夜、島の人たちや懐かしい人たちが大勢集まりヤギのお刺身とヤギ汁をいただいたこと。この島でヤギをいただくのは6年前以来2度目、”つぶす“という大変な作業もあり、島でも本当に特別なときにしか振る舞われないのですが、今回僕たちがいただいたのは、《水納島の最後のヤギ》だったそうです。本当に心が震えました。命の貴重さ、時間の重み。同時に、その最後の時に、僕たちが含まれていたことの意味。

例えば。
子どもたちと僕ら、そして学校の先生とで行った学習発表会の振り返りのこと。かつてこの島で一緒に演劇を作った島袋勇輝・理輝兄弟にも急遽加わってしてもらいました。中でも、そこで出演者のけいちゃんが語ってくれた、本番の客席で島のおばあと手を握ったときのこと。こがきょが教えてくれた、本番中に海色の先におばあたちをみて湧き上がった感覚の話。そして勇輝がとつとつと言った「たまたま一番後ろの席に座り、おばあたちや客席一人ひとりの背中をみながら、それぞれに島での人生があるんだと思った」という一言。なんという時間を過ごしてきたんだろうと思います。うん、泣きたくなかったけれど。

例えば。
3日目の夜の反省会、島の人たち、学校の先生方、子どもたち、そして演劇を観に来てくださった方々や僕ら、30名ぐらいが集まって酒や各家庭で作った一品料理を囲んで全員が心からの笑顔だったこと。この島では《学校の行事は島の行事》であり、運動会や学習発表会などの機会にこうしてみんなが集い、お互いの無事を確認しつつ、普段なら話さないようないろいろな話題に花を咲かせる。本当に本当に大切な集まりなんです。だから子どもたちは文字通り“島の宝”。そして、島の誰もが、子どもたちと学校を通じてこうして集う機会がやがて消滅してしまうかもしれないと、知っていること。だからこそ!島のみなさんがこうしてまた集うための別のフェーズが必要であり、そこに、音楽や演劇が何かしらの役割を果たせるかもしれないこと。既にそういう計画が水面化では動き始めています。万難を排してそこに関わっていきたいと僕自身は思っています。

例えば。
最終日、風が強く波も高かったことで水納島と本島を繋ぐフェリーが終日欠航になり、チャーターした漁船に乗って本島に戻ることになったこと。奇しくも6年前、僕とけいちゃんとこがきょとで初めて水納島を訪問することになったとき、行きのフェリーがやはり欠航となり漁船に乗って島に渡ったのでした。僕たちと水納島の演劇の物語は、漁船に乗って始まり漁船に乗って締め括られたのです。なんて美しく、ちょっと間抜けで笑える物語の完結でしょうか。そしてきっと、また新しく、物語は続くのでしょう。

そういう公演を、してきました。

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水納小中学校 学習発表会のえんげき 2019
『ママのはなし』

【出演】
湧川海色(水納小中学校 中学3年生)

宮里琉太(水納小中学校 小学6年生)

宝眞榮日也美(Team Spot Jumble)
犬養憲子(演劇きかく 満福中枢)

古賀今日子

与那嶺圭一(Team Spot Jumble)

【歌】
柴田実奈

【ピアノ】
大城伸悟

【構成・演出】
田野邦彦(RoMT/青年団演出部)