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川に流す

流れにくい現象にあったとき、詰まると困る場合は取り除いたり、更に勢いよく水を流したり、見なければすむ程度なら放置します。

流しても構わないはずなのに逗まってしまう出来事というのは、流さずにわざわざ拾っているのだと思うといろいろ腑に落ちました。

もともと流れている川に、投げ込まれたハッとする表現や映像と音楽を忘れたくない(記憶したい)と瞬時に拾うときもあれば、いいね〜と漂うのを眺めるだけで満足する心地よさもあります。

なぜだかずっと引っかかる言葉がありました。嫌味なのか、判ってるつもりなのか、本心なのか、正直いまでもわかりません。すべてを判るなんて到底無理なんですけどね。これだけあなたを理解している、力になりたいと伝えたくなったときは、繊細になるくらいが丁度よいのでしょう。直接的ではなくてもウイットで包んでもらえると更に嬉しいですよね!笑い合えると空気も良いほうへ流れていきます。なんか違ったなと感じたら素直に謝ったりするのも素敵だとおもいます。そう思えないときはたぶん合わないのです。センスやユーモアが。これは仕方ありません。距離を縮めたい相手がいるなら縮めないほうが最善だと今ならわかります。合う人とはいつの間にか近づいているから。

誰かに言われた言葉をそのまま受け流せないのは、自ら拾っていたからだと気付いたので書いてここへ流します。相手はそんなこと気にもしてないんです。そんなものです。ふふふ。

これって褒め言葉もおなじなんです。
血液とおなじでサラサラ〜といきましょう。
自戒と自愛をこめて。

読んでくださりありがとうございます。