苦しいけど楽しいこと

数ヶ月前に姉が鬼滅の刃を読破してくれて、私たちは毎日毎日鬼滅の刃の魅力について話した。
私がいいなと思っていた場面や印象的な(登場人物の)セリフなどを時間を忘れて話した。
私は姉が鬼滅の刃を読む前に、好きなキャラクターの絵を描いていたのだけど、元々絵が得意でない私には、家事を放り投げての作業となり、何時間もかかって描きあげた。そういう時は夕飯は作らず(作れなかった)、買ったりして過ごした。子供たちも、ママは何かに夢中になると、他のことが何も出来なくなると理解してくれていたので有り難かった。

姉と私は、ほぼ同時に「好きなキャラクターをスラスラとうまく描けるようになりたいよね!」と話した。姉は何をやらせても平均以上のことができる人なので、私だけ遅れを取っている状態でものを言っているようで心が少しソワソワとしたけれど、私と姉の気持ちがあんまりにも合致し過ぎていて、私のその気持ちは隅っこに置いて、2人で「そうなるように努力していこう!」ということになった。

うまく描けるようになる為には、基本がなっていないと出来ないと思う、と姉が言った。
私はこういう基本を学ぼうみたいなことが実はだいっっ嫌いなのである。そこを抜かして先に行ってもイケんじゃねえ?という甘い考えがどうも昔からある。しかし、姉の言うことがきっと正しいし、私も描きあげるのに大変苦労したし、やっぱりやんなきゃダメかぁという諦めと共に、互いに絵を練習していこう、ということになった。

私たちは描きあげたものを写真でいつも送り合う。
ここがダメだとか、気持ちが辛いとか、下手で死にたいとかやめちまおうかとか、いつもいつも話しながら、遠く離れた姉と私は今でも頑張って絵と自分に向き合っている。

以前のnoteにも度々書いていたかもしれないけれど、姉は努力を惜しまない人で、私はサボり魔でした。なんでそんなにこん詰めてやってんだよ、というくらい姉は突き詰めて何かと向き合える人だ。
私は、要点を姉につかんでもらって後で姉に聞けばいいや、みたいなところがある。
そうやって得られるものと、得られないものとがやっぱりあって、特に芸術関係のことは努力なしには先に進めないとこの年でやっとわかった気がする。
少しもサボれねぇや、と絵を描きながら私はいつも思う。ああこんなこと思っているのは私だけだろうか、ちょっと手抜きしても大丈夫かな、とか未だに頭に過ぎる思いが自分でも許せないのに、こいつはやっぱりあらわれる。自分が許せねえ!!
だから、練習して練習して練習して、このウジ虫みたいな甘ったれ根性を叩き潰してやろうと思う。
そしてこの年齢で、やっっっと、一生懸命になれるものを見つけられたことが嬉しくて嬉しくて、大事にしたいから努力しようと思う。
頑張っても頑張っても、自分が思い描くものを描けないけれど、(一端の芸術家みたいな言い方だけど、そうじゃないんです)何年もかけて絶対ぇぇに上達してみせる!
4Bの鉛筆を削るとき、小刀で削ったりする自分の姿も好きだけど、あんまり上手に削ることが出来なくて、そんなところからのスタートかよ!って思うけれど、ここはランボーを降臨させて(木の枝をサバイバルナイフで削るシーン)、描く時はウジ虫根性を無視したいので、冨岡義勇を降臨させる。
輪郭を描いてパーツを描いて、と進めていくと、どこか歪になっていて、ああ、そもそも輪郭がおかしいんじゃんよ・・・と気付かされる。
判断が遅い!と鱗滝さんの声が聞こえる。
苦しい、苦しい、下手でバカで同じ線を何度も描いてアホで死ねばいい、と自分のことを思うけれど、苦しくて嫌だけど、いつか苦労することなく嘴平伊之助を描くんだ俺は!それから油絵をやってみたいんだ!!その為には、どんな人間も降臨させる。
俺の精鋭部隊よ、(ランボー、ジェイソン・ステイサム、リプリー(シガニー・ウィーバー)、ジャック・ドーソン(タイタニックのディカプリオ))よろしくたのむ!!!

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