ピストル強盗清水定吉 2
「(前略)この樋口さんの近所にピストル強盗清水定吉の住んでることを覚えている。明治時代もあらゆる時代のように何人かの犯罪的天才を造り出した。ピストル強盗も稲妻強盗や五寸釘の寅吉と一緒にこう云う天才的たちのひとりであったろう。僕は彼の按摩になって警察の目を眩ませていたり、彼の家の壁をがんどう返しにして出没を自在にしていたことにロマン趣味を感じずにはいられない。(後略)」
芥川龍之介晩年の随筆「本所両国」からの抜粋であるが、帝都を十年に渡り震撼させた、同時代のまだ記憶に新しい、しかもご近所界隈で起きた事件にしては随分呑気な物言いだと呆れる。芥川が言うところのロマン趣味とはいわゆるピカレスクロマンであろうか。その辺の心情も清水定吉を探って行くと推測ではあるが理解出来なくはない、と言うところに辿り着く。また壁のがんどう返しやら按摩になって警察の目を誤魔化していた手口の詳細も明らかになっていった。その成果を書き残しておく、と言うのがこの記事の目的である。はっきり言って自己満足的野次馬根性である。
清水定吉 1837年生まれ。まだ江戸時代の天保8年である。生家は現在の東上野辺り。ガキの頃から手癖が悪く、様々な悪事に手を染め禁固系や懲役を食らうこと度々。生年はともかく、この生まれついての悪党ならず者扱いは最初に当たった資料に書かれていた事だが、後に別資料でデタラメと判明するが、それは別章で触れる。
職業は担ぎ屋台のうどん屋。よく時代劇に出てくるアレである。夜半にあちこちを流して売り歩いていたが、これは目ぼしい家を見つけ押し入る目的あった。その頃の清水定吉は日本刀や匕首を犯罪に用いていたようだ。悪事を働いた後は、何食わぬ顔で屋台を担ぎ商売をし、追っ手を煙に巻いていた。このエピソードは後年大正時代に「探偵うどん」という題名で落語になっている。確か五代目古今亭志ん生の音源があるはずである。
1882年、清水定吉はピストルをどこかからか入手し日本犯罪史上初めてのピストルを用いた犯罪者となった。逮捕される4年間で働いた強盗は80件以上。ピストルで撃ち殺したのは5人、他にも匕首や日本刀で7人殺している。重軽傷者多数。認めた犯罪だけでこれだけある。さらに明らかにされてない余罪は山のようにあるだろうと予想される。
本所相生町に住み按摩師の看板を掲げていたが、実態はなくほぼ強盗の稼ぎで生計を立てていた。犯行後はめくらの按摩を演じて警官の目をくらましていたのがなかなか逮捕されなかった要因の一つとされる。
ちょっとシャレにならないくらいの、もの凄い凶賊で鬼平もどびっくりだ。営利目的でひたすら人を殺め続けただけではなく、ピストル携帯し懐には匕首さらに日本刀まで持って(座頭市みたいに仕込み杖だったらしい)犯行に赴くと言うのは途方もなく何かを逸脱している。強盗を働らくというよりまるで戦にでも行くようじゃないか。
次回は逮捕された時の詳細とピストルの入手経路について触れることにする。
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