「野ざらし」という落語

画像1

「野ざらし」といえば三代目春風亭柳好、春風亭柳好といえば「野ざらし」

「野ざらし」のあらすじはごく単純である。裏長屋に住む釣りを趣味とした老人が、向島の河原で糸を垂れるが、雑魚一匹釣れず、暮れの鐘が鳴るのを合図に竿を畳み帰り支度をしようとしたとき、葦の草むらからカラスが三羽飛び出した。見るとそこにはドクロがあった。流れ着いた土左衛門の成れの果てか、いずれにしても哀れなことだと、老人、手向けの句を詠み、飲み残しの瓢の酒をかけて回向をする。

その晩、件のドクロが若い娘の姿となって訪ねて、昼間のお礼にと夜伽をする。これを壁の穴から見ていた隣の八五郎、日頃女などに興味はないと粋がってたくせに、若い女を引っ張り込んでよろしくやってやがって、もう勘弁ならねえなどとやっかみ全開で翌朝老人へねじ込むと、老人、あれはこれこれこういうわけで、この世のものではないと説明する。じゃあ俺も向島で骨を釣りに行こうと、八五郎のドタバタ釣行となり、ドクロを見つけて同じように回向するものの、その晩やってきたのは幇間だった。

サゲは「幇間(タイコ)だけにバチが当たった」というものと「どこの馬の骨だ」と二種類あるが、後者はタイコの皮が馬の皮で出来ている、という予備知識がないと分かりずらい。もっともこの噺、今ではサゲまで演る人は滅多におらず、八五郎が釣り竿を振り回し、アゴに針が引っかかってイテテテテ、というあたりで切るのが通例となっている。

この噺は中国の「笑府」という滑稽話集から題材を採り二代目林屋正蔵が作ったと伝えられている。ちなみにどうしようもないセコ正蔵のこぶ平は九代目だ。今は林家と書くがその自分は林屋と称したんですな。

二代目正蔵は、またの名を托善と称する禅宗の坊主で、小塚原刑場で教誨師などをして衆生済度に勤めていた立派な僧侶だった。その立場から「野ざらし」を幽霊の報恩という形をとった、回向の功徳の大切さを込めた説話の目的で作ったようだ。当時の「野ざらし」は江戸時代のこのだから速記本も残ってないが、暗い怪談噺だった、ということは伝わっている。

※※※

立川談志は自身の「野ざらし」のマクラで、三代目柳好が物故して以来やり手がなくなった「野ざらし」を柳好のモノマネで演りはじめ、そのうち誰も彼もが演るようになった、「野ざらし」復興は俺のお陰だと自慢していた。こいつのこういうところはホント鼻につく。談志は関連して、十代目金原亭馬生から「支那の野ざらし」というのを教わったとも語っているが、内容には触れず「面白くもなんともない」ので一度も演ったことがないそうだ。この「支那の野ざらし」が落語「野ざらし」の元ネタである笑府の一遍であると思われる。どんな話か調べた。

ある人が荒野で野ざらしのドクロを見つけ、土に埋めて回向するとその晩絶世の美女が御礼に訪れて「わたくしは妃です」と名乗り夜伽をしてくれた。楊貴妃だったんである。それを聞いた隣人が同じように荒野でドクロを見つけ、土に埋めて回向をし、その晩美女が来るのを待っていると、「我は飛なり」という大音声と共に豪傑が現れ、お礼に夜伽をせんと尻を捲って突き出した。三国志の張飛だったんである。面白くもなんともないというよりくだらな過ぎ。

※※※

江戸の暗い説話怪談「野ざらし」を爆笑滑稽噺に変え明治に蘇らせたのは。三遊亭園遊である。それは八五郎が釣り場で暴走する今の「野ざらし」そのままだ。夏目漱石もいくつかの作品で触れている三遊亭園遊についてはまた改めて触れることにするが、園遊が新たに加えた設定に俺は注目したい。

それは釣り好きの老人に名前と出自を与えたことだ。老人の名は尾形清十郎、上野彰義隊の生き残りで、徳川幕府瓦解以来時代に取り残されて、裏長屋でひっそりと生きる元武士である。唯一の趣味である釣りで無聊を慰め女嫌いの堅物を公言してるのは、もうほとんど世捨て人の感がある。

その尾形清十郎が向島で野ざらしのドクロに出会う。向島は浅草から見て言問橋の向こう岸あたり、昔は大川が運んできた水死体を覆い隠す葦が密生していた河岸だったのだろう。ドクロの素性は分からないが、上野戦争で命拾いをした敗亡の佐幕派尾形清十郎にとって、野に骸を晒す姿は一際胸に迫るものがあったのではないか、それゆえ回向も懇ろに、というのは聴き手の想像力だが、滑稽噺に改作しても、ある意味どうでもいい細部に江戸の終焉を偲ばせる園遊という噺家に、俺は江戸前の意気地を見てしまう。

「野ざらし」を昭和に演じて喝采を得たのが春風亭柳好だ。野ざらしの柳好と呼ばれ若き日の立川談志が惚れた柳好の話芸には、艶があり、独特のぽんぽんとしたリズムで軽快にして明るく華やかだ。その流麗さには尾形清十郎の敗亡の暗い影も野ざらしの骸のものの哀れも沈み込んで見えないが、それもまた柳好の芸であろう。粋と艶以外の余計なものがない素晴らしい江戸前落語だと思う。

だが、野ざらしの深層には江戸の死者、その江戸の瓦解、夥しい無念さが潜んでいる。野ざらしを聴くたびそれを思う。語り継がれる噺の背景を知るのもまた落語の味わいだ。

https://youtu.be/8K_28Qbwndw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?