私の「食の人生」絵巻

自己紹介



大阪府和泉市の片田舎に産まれ育ち、両親・祖父母・姉との6人家族


実家は紡績業を行う自営業でしたので

産まれたときから両親と祖父母は歩いて10分ほどの工場で朝から晩まで仕事していました


両親は自営業だったので

本当に毎日毎晩仕事していたので

学校から帰って来ても親はおらず

夕飯時に帰宅し、ご飯を作って食べ

また、仕事へ…



私は3つ離れた姉といつも2人で留守番…

なので、小学生になると誰も居なくて

おなかがすいた時は

自分達で炒飯やオムライスなど作って食べていました

思えば、ここが料理のはじまりでした




両親は仕事ばかりで

田舎だったので近所に飲食店がほとんどなく

外食なんて年に数回あるかないか…

なので食事はほぼ自炊でしたが

お菓子作りとか全然してくれず



スーパーも車で20~30分だったので

週に1回ほどの買い出しなので

おやつもたまにしか無く…

よく仏壇のお供え物を狙っていました笑





そんな中

小3で病気で1ヶ月入院

大阪に住んでいたのに

入院先は奈良市内…


親も仕事があるためずっといれず

心細い入院生活だった



その時

優しくしてくれ、お世話になった

「看護師さんに憧れる」


そして

毎日時間通りにくる病院給食を喜んで食べ

まだ小学生で小児病棟だったこともあり

3時の手作りおやつまででてきて

普段おやつがなかった私にとっては

食べる時間が一番嬉しかった


そして

背の順も前から数えるくらい小柄できゃしゃだった私が、入院中に着ていたパジャマが7分丈程になるくらい急成長し(単に成長期だったかもですが笑)元気に回復!


この時

「いや、看護師さんになりたいけど、病気していたらなれないしなぁ~」

「おぉ!私が元気になれたのは、毎日栄養面を考えられた食事を食べてたからかなぁ~」

「そうだ!健康には食事が大事だし、こうして自分も健康で、大きくなれたから、管理栄養士さんになったら、みんなを笑顔にできるんじゃないか!」


とここで管理栄養士を目ざず



小5のバレンタイン

お友達同士でチョコ作りをしたのが初めてのお菓子作りかなぁ…



それ以来毎年バレンタインは作りようになり…


母親がチーズケーキが好きだったこともあり

初めて作ったホールケーキは

ベイクドチーズケーキ


その頃から

母親はチーズケーキが食べたいがためにか

「ちひろのチーズケーキが一番美味しいわ~」

と上手いこと誉めれていました


チーズケーキは未だに母親に誉められて作らされます笑




高校受験

特に考えず…

いつも一緒にいる姉が行ったからと

同じ進学校へ進み


進路先も高2まで

ずっと変わらず管理栄養士志望だった



そんな時

テレビっ子だった私が

「焼き立てじゃパン!」というアニメにどはまり…


その影響で

初めて1人でパン作りをした!


初めて作ったパンは…

かっちカチのロールパン笑


その頃の実家のオーブンは古く

発酵機能なんてもちろん無く…

適当に作っていました



書いてある材料で作ったのに…

なんであんなにカチカチなん!


とそこから1人パン実験

時間と温度、出来上がり写真、コメントを書いた

パンノートを作って

アニメのように美味しいパンに憧れていました笑



そして高校3の夏…

進路先のに向けて、管理栄養士について考えていたとき…

ん~…管理栄養士だと、料理もお菓子も作る機会が少なく、事務仕事中心か…

なんか思ってたのと違うなぁ…とモヤモヤ…



そんな時母親が

母親の従兄弟が京都で料理人をして、辻調理師専門学校の卒業生だった


そしてたまたましていた

辻製菓専門学校のオープンキャンパスへ行くことに…


ちょこちょことお菓子を作っていた私には

たくさんの製菓道具や大きなオーブン


その時作った「ビスキュイオムレット」

初めて口金をはめて絞った感覚…


もう全てがキラキラして虜になった



そうだ!

私がしたいのは、栄養計算で事務仕事ではなく

実際に食べてもらって喜んでもらいたい!


ここで

管理栄養士ではなく「食」へ…



私として製菓学校に憧れたが

母親はお菓子だけに絞るのは…

「主婦になって料理できると損はしない!」

と言われ、製菓1本に決断できなかった私は「調理の道へ」


一応、進学校だったので

高校の先生からは大反対されましたけど笑


もうセンター試験も受けずに辻調理師専門学校へ



18歳…

学校へ通いながら初めて欧風レストランでアルバイト


学校生活は超充実!

卒業前に担任の先生から

「辻の先生にならんか?」とお誘い…


そう、ここが講師に興味を持ったきっかけ



でも、料理には自信が持てず講師試験は受けずに

卒業後はそのままアルバイト先へ就職…



この時接客の楽しさを知り

人見知りだった私だけど

店員としてしっかりお客様をアテンド

色んな方と話すのが楽しくなってきた



けども…料理にはあまり興味持たず…

やっぱりパンが気になってきた



その頃、学生時代

ケーキ屋さんのクリスマス時期短期バイト先で知り合ったパン職人さんが独立してお店をオープンしたからと見学に行く


だんだんとパンに惹かれ…


仕事しながら

お店の定休日にはパン屋へ学びに行くようになり


やっぱりパンがしたい!


と思い「エコール辻製パン学校へ通うことに」



さすがに仕事と両立できず

レストランを辞め学生に…



この頃休日にはパン屋巡りなど

製菓製パンの情報誌も見まくっていた


多い日には7件パン屋のハシゴ…

バゲット買ってるのに、そのまま次のパン屋へ入り食べ比べ笑



フランスパン

クロワッサン

メロンパン

クリームパン


を買いあさった笑


クリスマス時期には

シュトーレンも1シーズンで7個も笑


ケーキ屋はあまり行かなかったが

その頃、姉が横浜に住んでいたので


卒業旅行として

1人で憧れの東京・横浜食べ歩きで買いあさった笑


お菓子屋さんでの定番購入商品は


サブレ

フロランタン

マドレーヌ



今でもこのパンとお菓子選びの定番は変わらず…



そして製パン学校卒業後は

またしてもバイト先でもあった

知り合いのパン職人のお店へ…



シェフと奥さん、バイト3名、私だけの個人店のパン屋だったので


朝5時出勤の夜7時閉店からの片付けと仕込み作業…


覚悟していたものの

次第に労働条件は厳しくなり

まだまだ何も仕事ができなかった私の風当たりも厳しくなり


耐えきれずに4ヶ月で退職…


この頃には

両親が不況の影響で工場をたたみ

さらに離婚…

祖父母と母親は和歌山の田舎へ移住しトマト農家をすることに…


そして実家を引き払ったので

大阪で1人暮らしをしていた私



家賃7万のアパートなのに

パン屋の給料は手取り12万…


これじゃ生活大変だし…


とりあえず仕事をすぐさま探し



一番はじめに興味があった「病院給食」へ



そこでは1日5.6000食の大量調理の仕事でした



調理場は10人中2人女性、うち1人は補助作業の女性だったので

まさかの女性は私だけ…


朝食用のフルーツカットで

オレンジ600個、スイカ12玉を2時間かけてカット

やってもやっても終わらぬ仕事だったので



ようやくここで

仕事の効率や段取り、手早くすることを身に付けれた



基本15Lの鍋で調理…


鍋や材料が重くても毎回助けてもらうわけにも行かず、無理やり力で持ち上げていたので


ある朝、急に起きられず…腰を疲労骨折…


1週間動けず、その後コルセット生活



仕事を系列の保育所へ変更してもらい

1日70食程を2、3人で作る環境に


体力的にも気持ち的にも余裕がでてきて



ずっと憧れていた「自分の店」の夢として

月に1回曲がりカフェを経験…



25歳ごろで

宣伝もず、人脈もなかったので

半年程で諦め


友人と独立起業の話しで盛り上がったが

それも途絶え…



26歳…

そろそろ親元へ帰って農家の手伝いしかないか

と夢諦め和歌山のかつらぎへ…


でも

畑仕事にそまれず…

近くにある山荘で働き始めた



調理場採用で、少しお菓子経験もあったのでお菓子担当に

働いたのは1年ちょっとでしたが


この頃に

ほぼ毎日シフォンを焼いていた笑



27歳で結婚し、和歌山市内に住み

すぐに出産…


ここで一旦食の仕事から遠ざかる



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