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精神障害者就労奮闘記|⑩

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この記事は僕が寄稿し、メンヘラjpより公開された『精神障害者就労奮闘記
』という記事を改めて編集したものです。詳しくは『メンヘラ.jpに投稿した記事をアーカイブする』を参考にしてください
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【前書き】はじめに。
これは当時の文章になっています。現在、僕は就労移行支援事業所に通っていません。そして就職活動も終えています(2020/09/16)。

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以前、記事で「就職活動をしている(意訳)」と書きました。さらっと書いていますが、いろいろなころがあり、いろいろなことがあって、かなり苦労しました。今回はその部分を書いていこうと思います。

この記事では「これをすれば就職できる」「あれをするといいらしい」などそういった処方術など書くのではなく、ただ僕から見た「就職(活動)」という存在について書いた記事になります。なので障害者雇用について、就労のコツ、一般常識などに触れますが、個人的に…という記述が多いので、もし就職について専門的に知りたい人がいるならば別の記事を読んだ方がいいということを先に書いておきます。

前提として

僕は基本的にITの仕事がしたいと思っていました。これは漠然とした憧れであり、僕自身の特性からして「そちらの方がいいだろう」という感覚を持っていたからです。今でも適正がまったくないとは言い切れないと思います。さすがに業界に入ったことがないので断言できませんが。

そのうえで、いろいろ施設を経由して「就労移行支援事業所」に通い始めました。IT系の知識よりそもそも「社会生活」の経験が乏しいからですね。僕はここに通いながら、その業界についての情報を得つつ、勉強して、経験して、就職しようと考えていました。そして資格など習得したりしながら日々活動していました。

そして結果としてIT業界には就職できませんでした。

理由はいろいろ考えられますが、理由をあげて「あれがだめだった」「これができなかった」など反省会をここでする必要はないので(僕の心の中でやっておくので)、ここでは「そういう立場の人間がこの記事を書いているんだな」という感覚を持ってください。

勘の鋭い方は気が付いたかもしれませんが、希望の業種に就職できなかったとはいえ、別の業種に就職することができました(めでたい)。この記事を思いついたのは事業所ですけど、記事の内容がまとまったのは会社が決まったころで、ちょくちょく書き進めながら、推敲している今は2度目の給料の使い道を考えています。掲載される頃には戦力としてありたいですね。

まずどんな職に就きたいか

さて、過去を振り返りながら、自分がやってきた就職の流れに沿って、これから就職する人達に向けて書いていきます。

もしこれから「就職する」と決めたとして、まず最初に決めるのは「どんな業種にするのか」ということだと思います。僕はもう「就職する」と決めたときからパソコンいじりたいと思っていたので、これはすでに通過しているわけですけど、中には業種を決めれない(あるいはどうでもいい)人が多数いると思います。

これに関しては僕自身、僕の境遇から適切なアドバイスはできないんですけど、この場を持って一言いわせて頂けるとすれば、「どんなことをしてお金を稼ぎたいのか」「なにをするのが楽しい(好きな)のか」よりも、「どんな苦労がしたいのか」というモノサシで職業を測った方がいいのではということです。なにがやりたいのか、ではなく、どんな苦労ならできるのか、という話ですね。

正直、どの職業も大変だと思います。ただその「大変さ」というものは選ぶことができるんです。

「楽しい」で選んでしまうと一部しかない楽しさのみがモチベーションとなりそれはきつい、一方で職の「大変」ならばわりと普遍的に網羅されています。その職業のブラックさ、というものは業種によってまちまちでしょう。特色に分けて、肌に合ったブラックを選ぶといいと思います(暗黒微笑) ……ネガティブな選び方であるんですが。

自問自答を繰り返して、漠然と「この業界がいいな」と思ったとして、その業種に対する――おそらくハローワークの求人検索で調べるのが始まりだとは思いますが――下調べを行い始めることでしょう。一般枠ならけっこうたくさんあって、どれにしようか迷うようなものですが、仮に障害者枠で調べているとすれば、障害者枠の狭さ(求人の少なさ)に驚くことになると思います(僕は障害枠で就職しようと強く思ってたのでこのような書き方になっています)。

障害者枠の少なさ、ここを訪れている人たちにとってはよくあるものと思うかもしれませんが(10分の1程にはあると考える人がいるしれませんけど)本当に一般求人が100だとして障害者枠は4あれば多い方だと思います。それぐらい求人が少ない。そしてその中ですらA型B型が含まれたりするので、結果的には2ぐらいになります。業種も限られてて、そもそも求めていた業種があることすらままならない。

もし求めている職種の障害者枠があったとすれば、とりあえずエントリーしてみるのもありかと思います。就労する地域によりますが、おそらく選ぶほど種類がないので、あればそれがベストなぐらいの感覚を持つといいと個人的には考えます。もちろん万全に準備をしてエントリーするのも、とてもいいと思います。

ちなみに求人の障害者枠というものは障害者手帳がなければ応募できません。より詳しく書くと、障害者枠で応募するためには「障害者手帳」のほかに「主治医(医者)の意見書」も必要です。医者の意見書はハローワークから書類をもらって、それを心療内科の先生に渡して書いてもらったらよかったと思います(ちょっと曖昧)、障害者手帳の手続きについては……別の記事に任せます。

障害者枠という狭き門

それほど求人が少ないのならば、当然応募が集中して倍率が高くなります。倍率が高いなら比べられることになり、比べられるということは、どちらが優れているのか劣っているのかという話になります。

ここで「強み」があるのなら存分にやって欲しいのですが、おおよそ「弱いからこそ」障害者枠を選んでいるわけで、なのにそこで優劣が行われるわけで、ここでの混乱はとても大きいと思います。

「障害者」というものもたくさんいます。僕みたいに就職前に気がついて手帳をもらった人もいれば、就職して適応できなくて手帳をもらった人もいて、僕みたいに高卒の人もいれば、専門学校卒や大卒の人もいます。

「手帳を持っている」ということは、特異な特性を持っていたり、身体になにか問題を抱えていたりする……いわば「欠点」という意味合いでは同じかもしれませんが、欠点の「程度」は本当に幅広いです。同じ精神病ですらグラデーションの幅広さは目を見張ります。

それらを含めての就職となれば……と考えると想像以上に障害者枠での就職の難しさを感じ取ることができると思います。その求人は「障害者だから応募できる」だけであり、「障害者だから雇ってもらえる」ではないんです。

手帳を持って多少優位に立ったと僕は勘違いしていたんですが、「障害者枠」としての立場であるなら僕は弱者だったようです。

ほぼ一般枠でもやっていけると評価を得ながら、手帳を持っているということは、「障害者雇用助成金(正しくは特定求職者雇用開発助成金)」の枠に入りながらも、障害者としては軽度「薬を飲まない程度」としてとどまっているということ。つまり「障害者だが一般で働ける程度」を証明していると思っていました。主治医も支援員もハローワーク職員もこれは納得していました。ただそれでも、それは、ただそれだけの話でした。

酷なことを書きますが、「障害者」と言われて想像できる障害とは「身体障害」なんですよ。悲しいことに「精神障害」はまだ一般的ではない。つまり「手帳を持つ」という条件が同じでも、「心臓が弱い人」と「軽度のASD」なら前者をとることが多い。ハローワークで「この会社は身体(障害)しか雇っていない」、あるいは先生の「そういえば合説の時採用されてたのは車いすの人だった」など、なにげない言葉に純粋な差別を感じて激しく困惑した記憶があります。

「書類選考」の時点で精神障害者は、すでに身体障害者より(ある意味で)劣っている……、これは事務職は女性がいい、雇うなら大卒がいい、即戦力がほしい、という世間一般の声でしょう。当然それらだけ見て判断されているわけではないですし、建前として「だれでも応募していい」と企業は言いますが、それは社交辞令であり、真に受ける必要はありません。

ちなみに僕は「精神病ですが応募していいですか」とハローワーク職員経由で会社側に確認し、「精神障害でも応募していいですよ」と言わた上で応募して書類で落ちてます。

……これは読んでる方に向けに書きますが、「精神障害だから落ちてしまった」という可能性は捨てきれないものの、それ以上に僕は仕事を一度もやったことがない(社会経験が乏しい)、コミュニケーションが苦手、などの要因があることを思い出してください。そして一方で同じく応募した心臓が弱い方はなにかしら優れた社会経験を持っていたのかもしれません。それに僕が偏見を吹き飛ばすほどの強みを持っていれば、少なくとも書類は落ちなかったことでしょう。

すなわち、これを読んでいる方が、精神病を持っているとはいえ「精神病だから雇われない」と動き出す前から落ち込む必要はないということです。もっと世界は優しいかもしれないし、僕より君の方が幸運かもしれません。始まってもないのに終わることはないですよ。もし行動を起こしているのならそれはすばらしいことです。

それでも酷なことを書いた理由は、ただただ一般的に「そういうこともあるよ」という考慮を障害者枠で応募する方(特に精神障害を持つ方)は頭に入れておいたほうがいいと思ったからです。

就きたい職と支援の距離感

余談になるんですけど、就職するにおいて「自分自身を信じること」が大事だということを改めて痛感しました。周りの人の意見を聞いてもいいですが、それはあくまで意見であり、意見に飲まれることはよろしくないのです。

就職活動は基本的に一人できず、支援者がいるなら彼らの話を聞くことになります。他人の話に(表現が悪いが)乗せられて、相手の意見に沿う流れになることが多々あります。それは普段しないような選択であり、もうすこし深く考えるべき決断であり、自分のペースではない速度で話が進み、茶番に対する疑問の解決をしないまま、軽率に先を歩くことになります。

他人の言葉を信じて普段しないような行動をするわけで、なのに失敗するわけですから。まぁ混乱しますし、心折れますよね。

僕の場合、これが行き場をなくした失意となり、なにを信じていいのかわからず、自信もないから軸もなく、支援員の言葉も信用できなくなりました。
普段は気にしないような立場がバラバラなゆえの意見の違いにも、神経質なほど気を使っていました。親はこういっている、支援員はこういってる、ハローワーク職員は……など、やがて本人が疲弊して「休みたい(意訳)」という声を上げたものの「このまま就職活動続けるのがベスト(意訳)」と支援者の判断するがまま、ずるずると就職活動をしていました。結果としてあまり類を見ない大きな鬱に飲み込まれることになりました。

ああいったことが就職活動終盤たびたび起こります。おそろしいことに「たびたび」起こったんです。僕はもう疑心暗鬼なのですから、「支援」者なのに、この「支援」に対して不審に思うわけのわからない状況に陥ってしまっていました。今思えば無駄なリソースを使ってましたね。

支援は受けていいと思います。こう書いてますけど、支援を受けてよかったと思うシーンは多々あります。ただ距離感を見誤ると振り回されることになり、これがほんとうにつらい。就労移行支援してる各位、いい感じに、良い距離感をもって利用してください。ご利用は計画的に。

それでも障害者枠を選ぶのかという話

話は戻って、障害者雇用の壁の分厚さを感じた僕は「障害者枠」にエントリーしつつ、「一般枠」でもクローズで応募することにしました。数をこなせば何か見えてくるのかと思ったからです。

そしてこのような就職活動をしながら感じたのは「精神障害者が――特にグレーゾーンの障害者は――障害者枠のみ選択するのは適切ではないのでは」という思いです。

僕が応募した会社を思い返してみて、面接まで行けたのは一般枠のみであり、障害者枠で応募した求人はなに一つ書類すら通らなかったんです。今回ご縁をいただいた就職先も「一般枠」です。もちろん理解のある会社なのでほぼオープンになったわけですけど、このご縁の求人は一般枠でしか公開されていない求人なんですよね。

もうもはや僕の邪推なんですけど、障害者枠に応募してるとき、求人の対象が「健常者だが体が不自由な人」や「(優秀だが)就職をして適応できなくて脱落してしまった精神障害者」などそういった、「わかりやすい障害」なのではないかという印象を受けたんですよ。

つまり「障害を持っている人」ではなく「優秀だが障害を抱えてしまった人」という枠のような気がしたんです。僕の場合だと障害という名のリスクを抱えながら、強みというメリットを持ち合わせていない。せめて就労経験が欲しいところでした。それがあれば結果は変わっていたかもしれません。となると、障害者枠で応募するには明確な「実績(強み)」がなければならないということでこれもうわかんねぇなって結論になってしまいます(これは個人の感想です)。

僕は「グレーゾーン」の障害者になります。もはや「精神障害者」として名乗ることがそのものがリスクであるほどに、世間に溶け込めるほどの曖昧なラインのASDです。それでも僕は、個人的に「普通ではない」方の人間であることは自覚していて、理由を考えればいくつもの出来事がフラッシュバックします。それらは大したことないエピソードかもしれません。

グレーゾーンの障害者はどの立場で働けばいいのか、という疑問は就労した今も疑問のままです。僕のような、明らかな障害者ではないが、普通ではないような人たち。普通の中にいると生きずらい人たち。そうした人たちはどんな職業(立場)が楽なのだろうか、という……先に歩いている僕がなにか言えればいいんですけど、これもまたわからない。

僕は「障害者枠じゃないといけない!」と思っていたので少し回り道をしてしまいました。けれどもいろんな枠があることを少し考慮してもよかったかもしれませんね。

労働は救いになるのだろうか

話が変わりますが、「働く」そのものがメンタルにいいという話があります。ただ働くことは心身のエネルギーを使うことになり、少々なことでエネルギーが消耗してしまう僕らはどうしても「働く」に対して大きな不安を持ちます。

けれども、これは強調したいです。僕は「会社勤めの今」の方が、「就労移行支援を通っていた日常」よりも穏やかな気持ちを持っています。実際の拘束時間は会社勤めの今の方が大きいし、責任があったり、対人で面倒だと思ったり、疲れたりしていますけど、少なくも今の方が豊かです。

これは単純に「働くのはいいぞ」ということを言いたいのではないです。僕の範囲で発言するなら、就労移行支援事業所でくすぶっている人はいっそ働いてみるのもいいのではという話です。

僕は就労支援に感謝してますが、一方でずっと(これは就労移行支援に限らずですが)足踏みをしている感覚がありました。ずっとその場にいるような感じです。たしかに毎日抜かりなくやってきているし、微々たるものでありますが、成長もしているような感覚がありました。それでもその場で足踏みをしているような、そんな感覚がずっと持っていました。

働き始めて、その先にやっと一歩踏み出したような感覚です。もちろんこの一歩のせいでいろんな情報がやってきて、もまれてしまっていたりもしますが、友達はすで遠くにいて僕だけかなり遅れた形ではあるんですが、それでも「進んでいる」という感覚というのは気持ちの面で豊かなものを与えてくれます。

「働くことに自信がない」「障害者だから障害者枠じゃないといけない」「体力がない」「自分はなにもできない」などいろいろな思いは今も抱えていますけど、くすぶっているぐらいならいっそ――完全に折れてしまう前に――動いてもいいのではと思います。レベル上げやスキル上げてから戦場に行くというのもありだけど、ある程度の能力があるなら戦場に出てみるのもいいと思う、そんな話です。もちろん体調を注視しながらですけどね。

なにも始まっていなければなにも終わってもいない

よくドラマなどで「職についたから夢をやめるんだ…」みたいなのあるじゃないですか。夢を追っていたけど、就職してしまったからあきらめるみたいなやつ。

これは個人的な感覚ですけど、たとえ就職してしまおうが、日常が忙しくなろうが、夢は続いていくと思っています。「夢」という表現があまり好きではないんですが、要は「いずれにせよ現実が続きます」と言いたいわけです。

僕がここで全然関係ない職につこうが、ITに対して諦めたというわけではないです。そりゃ、仕事にできないわけなので呑み込みは遅いでしょうし、学ぶスピードはとても遅いです。実力だって現実を耐えられないでしょう。けれども――たとえその業種につけなだろうが――ITに触れることをやめるわけではないです。これはITに限らず、僕が子供のころから置いていった好きなものすべてに言えます。

これから夢に向かって頑張っていきます! と言いたいわけではないです。商品にならなかった原石を、捨てることなく持っておいて、たまに腰を下ろして磨けよ。という話です。

難しいですね。なんというか、世の中には「夢=仕事」と信じ切っている人がいて、その仕事につくことが幸福であり、ギラギラと突っ走っている人もいるようです。そしてダメだったら「きっぱりやめてしまう」という人が多いと感じます。

ギラギラ突っ走ってもいいです。けれどもその職につけないという理由だけで、きっぱりやめることはないんじゃないんでしょうか。すこし置いておいて、たまに戻ってきて拾って磨いてもいいんじゃないでしょうか。そうですよ。すこし距離を置くだけ、嫌いになる前に少し距離を置くだけです。

おわりに

就職活動時、あれだけ楽し気に学んでいた機械系統の学習も手につかなくなって、プログラミングを勉強する気力、あるいは新しいもの大してのワクワク感がないことに気がついた時は衝撃的でした。この時僕は就職活動中これなんだから、自分にプログラミングに対して才能がないのではないか(事実ないかもしれないが)という疑念を持ち、そんなレベルで疑念を持つなら仕事にはできないだろう、という絶望感がありました。

そんな絶望感のまま勉強ができるはずもなく、壁にぶつかって始まってもないのにITに対して、プログラミングに対して嫌気が出てきそうでした。実際少し出てて、その系統に触らない時期がかなりの期間ありました。もったいないと思いました。なにせまだなにも始まってないのですから。

そして落ち込みながらも、無理にその世界に飛び込むぐらいなら、このまま突っ走ったらダメになると思う、しばらく離れても嫌いにはなりたくない、また戻ってこよう、そんなつもりで離れることを選択しました。

そして僕はいま全く別の仕事をしています。楽しいか楽しくないかと言わると微妙ですけど、暇と忙しいのムラがありますけど、納得できない出来事もたびたびありますけど、まぁなんとかやっています。

働き始めて気がついたのは、職場にはいろんな人がいることです。

様々な人がいますが、中でも明らかに発達障害者な人がちらほらいて、おそらく自分より重度だろう人もいたりして、それは本人は気がついていなかったりします。もちろん「周りが迷惑してそう…」と遠目で見たりもするんですけど、ここに「健常者」も「障害者」もあまり関係なさそうに感じました。

なんだろうな、障害者枠で就職していないからわかんないですけど、別に「労働」という意味では障害者枠も一般枠も一緒なのではないかと思います。「働いて賃金を得る」そこに誰もが変わりはないのではないか。有能か無能かそういった話は「障害に関係ない」と。障害は労働の壁になるけど、決してそれが働けない理由ではないのだということです。

僕は障害者枠で就職しようとして失敗しました。

この記事はいわばバットエンドルートの記事になります。けれども人生はそこで終わることなく続いていきました。このルートの先になにがあるのか、というのはわからないです。この選択であっているのか、間違っているのか……、迷いながら僕は歩いています。いいようになってほしいと思います。

人生ってそんなものだと思います。


追伸:
写真はフリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)より、
公園のブランコで時間を潰す後ろ姿が切ないビジネスマン(ドイツ人ハーフ)のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20140638177post-4297.html

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