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鬱で完全に終わってから立ち直るまで|⑪

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この記事は僕が寄稿したものの、メンヘラjpより公開されなかった記事になります。この試みに関しては『メンヘラ.jpに投稿した記事をアーカイブする』を参考にしてください
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この記事は「僕が就職活動をしている時」に書いた記事になります。現在は事業所を辞め、就職活動を終えているなど、以前とは違った境遇になります。そしてこれは一つの症例だと思って読んでください。それぐらいの客観性でお願いします。(2020/09/30)。

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僕の現状を気にする人は少ないでしょうが、現在社会に出るための行動を行っています。前向きでいいことなのですが、最近ちょっとイベントが立て続けに起こり「完全に終わった」という状態に陥りました。僕の言う「完全終わった」というのは「メンタルが終わった」「憂鬱」といったもので、いい状態ではありません。むしろ最悪といったところです。

今回の記事は「完全に終わった」状態になってから、今こうして記事を書くことができるぐらい「それなりに回復した」までの流れを書いていこうと思います。この「それなりに回復した」という状態が本当にそうなのか? という疑問は(この記事を書きつつも疑念は)拭えないものの……まぁ大丈夫でしょう。書いていきます。

※僕が書いていることが万人に適する方法ではないです。たとえ僕が憂鬱から回復する過程を書いていようが、それが誰にでも通ずる鬱から回復する過程ではないということです。性別が違えば、環境も違えば、状況も違いますから。ある1つの症例と思いながら読んでください。

個人的な話ですが、この記事は僕が以前書いた、
鬱という台風にそなえよう|②
鬱に耐えるシェルターをつくろう|④
で触れたことに沿って書いてある部分があります。別に以前の記事を読まなくても読める内容ですが、以前の記事を読むとより興味深い記事になっていると思います。

概要:終わってしまった原因

完全に終わってしまった原因は「趣味のこと」と「事業所のこと(僕が通っている就労以降支援事業所」と「就職活動」、この3つのイベントが立て続けに起こってしまったところによります。

それぞれ1つなら問題なかったのですが、それぞれが立て続けに起こってしまった。まず「趣味のこと」「事業所のこと」が2つ同時に起こり、これが大きなショックでした。ただこの2つは立て直しをしようかと思ったらできたのですけど(実際立て直そうと動いていた)、間が悪いことにここで「就職活動」の悪いイベントが起こり「完全に終わった」状態になりました。

悪い空気というものはあると思います。なにもかも上手くいかない時、そういう空気というものは日常的にあります。

勘が鋭かったら普段でも結構頻繁に見えるもので、天気でいえば雨が降る程度にある気がします。それぐらいなら僕も前兆に気がついて「あぁ雨が降りそう外出控えようか」ぐらいですけど、今回は雨が降り続けた上そこに台風が来たみたいな感じになり、前兆がわからなければ、悪い空気のまま最悪に突入した感じでした。

雨から台風の変化を経験した身として、今振り返ってみると(まったくおもしろくないんですが)おもしろいことに鬱にも段階があるなと実感しました。当の本人は「今が最悪だ」と思っているんですが、「最悪の先の最悪」というものがあり、表現一つでも本当に最悪までやってきたときは「最悪」というよりも「完全に終わった」が近い気がします。

回想:鬱の段階

今回の鬱をより詳しく思い返してみると「3段階」あったように感じます。

〇第1段階:趣味のトラブル
趣味の件でトラブルがありショックを受けてた頃です。これはまぁよくある話で、連絡のすれ違い程度のショックでした。確かにショックですけど、時間が解決してくれそうなショックでもありました。これがいわゆる「雨が降ってる」状態です。

〇第2段階:事業所とのトラブル
趣味のショックが抜け出そうとしたころに、事業所とトラブルがありました。簡単にいうと各自それぞれの立場があり、その立場で動いたことで起こった問題であり、誰も悪くなく、ただただ自分が勝手にショックを受けただけという話になります。ちなみに今ではトラブルは解消され、僕も納得してますし、問題はないです。

ただ「僕が強いショックを受けた」という事実は変わらず、それはたとえ「事業所との関係性が解消されても」そのしこりは変わらず残っていました。一度深く傷ついた部分が治っても跡が残るように、あるいはただショックを受けるタイミングが悪かったのか、立ち直った今でもそのしこりは変わらないです。

ちなみに自己権利擁護の記事を以前書きましたが(別記事参考:【書評】自閉症スペクトラム 生き方ガイド 自己権利擁護と「障害表明」のすすめ|⑤ )、あれを最悪の中で事業所に対して行いました。結果としてはうまくいきました。おかげで僕がショックを受けた(そしてそれは事業所に正しく伝わった)程度の最善といえる成果です。

〇第2段階 後半:第3段階に突入するまで
就職活動、僕ははじめからうまくいくとは思っていません。試行回数重ねて社会がうまくなって、やっと…みたいな期待値を持っています。今回もその試行回数の1つ「よくあるお祈りされた話」なのですが、立て続けに起こるショックからやっと立ち直ろうかとしている時に行われたこと、それが起爆剤になり、連鎖的にメンタルを終わらせて「完全に終わった」と思いました。

今思えば「最悪」の状態で面接をしたわりにちゃんとやってたと評価します。よく自己権利擁護やりながら就職活動しましたよ。えらい! むしろ最高レベルにいい面接だったのに。と書きながら自己評価を上げています。

〇第3段階:メンタルが完全に終わって
メンタルが最悪なことは今までに何度かありました。それぞれがショックな出来事だったのですが、それら問題なくいなしていました。理由は簡単で、僕が憂鬱を「台風」と例えたあれ、あれを踏まえて「(この安全な場所で待っていれば)台風はいつか通り過ぎるだろう」という根拠のない希望を持っていたからです。いろいろ否定的な意見が聞こえてくるが僕は大丈夫だ。なにシェルター(精神的に安全な場所)を死守しているんだから。ここにいればいつかいいアイデアが出るはずだ……というふうに。

今回、初手で趣味のトラブル……つまり「趣味のシェルター」にヒビが入り、その本来は雨風がしのげる場所に対して疑念を持ったことがまずかったです。

同時期に居場所となるべき事業所に対して不信感を持ったのもかなり大きい。いわば台風が起こり、このひび割れたシェルターに閉じこもるしかなかった。なんとか大荒れの中(憂鬱の中)土嚢を積む(自己権利擁護など)はできたものの、すかさず次の台風がやってきた。その時もうシェルターはめちゃくちゃになっていた。

ここにいれば安心だ、もうしばらくで通り過ぎるだろう、と思えないことは恐ろしいことに、落ち込みから立ち直るなんて希望はなく、日を過ぎるごとに体が重くなり、思考は鈍くなり、毎日しているようなことができなくなっていました。本来シェルターの役目を果たしていた趣味にも手がつかなく、どうにも「就職どころではない」むしろ「生活どころではない」みたいな状態でした。

まさしく台風の中に無防備にいる状態なのですが、問題はシェルターが壊れていることで、ちょっとしたことも心底傷つくようになっていたことです。終わってる状態なのにさらに終わるなんてことはないとは思うのですけど、ほんの「些細なきっかけ」を「守るためのシェルター」がシェルターとしての役目を果たしておらず、なにげない日常がだただ苦痛の時間でした。いかに日常から意識をそらせるかみたいなことばかり考えていました。

復習:鬱の最中に気を付けたこと

台風のとき「もうだめだ」となんども思いましたが、それでもかろうじて気を付けたことがありました。端的にいうと「その時できること」を注意深く観察していました。

思い返してみると、「その時できること」は感覚的に上に書いた「鬱の段階」に沿って変化するようです。

台風ネタが続きますが、台風も普段から「家の補強をしておく」「庭の掃除をしておく」などあり、台風が来る前は「備蓄をしておく」「避難所の場所を把握しておく」があり、台風直前に「雨戸を取り付ける」「飛びそうなものは家にしまう」があって、台風が来たときは「静かに待つ」「ラジオを聴く」「逃げるタイミングを伺う」などがあります。台風が過ぎれば「転がってきたゴミなど掃除する」「崩れたところを直す」など……、時と場合によってやることが違ってきます。

僕は鬱も同じと考えます。鬱もその時により、できることが変わってくると。まぁ最終的には「なにもできない」になっていたわけですけど、それでも僕は今回の鬱で「その時できること」を極力注視していました。

これは「やる」「できる」という話ではなく、「なにがかろうじてできるか」「今の状況はどうなんだ」の話であって、「現在の状況を注視してどこまで動けるか(活動できるか)」という話です。台風きてる状況で庭いじりが不可能のように、今更雨戸は取り付けれないように。でもせめて逃げるタイミングだけ見ることができる、今できるのはこれぐらいだ。いやどうだろう? もっと事態は深刻なのだろうか? といったことを気にかけていました。

上に触れましたが、いくら注意していようが、最終的には「なにもできない」という状況になりました。今までの台風と違うことは「なにもできない」という状態が「希望が持ててない状況」で起きたところです。いまだかつてない種類の絶望でした。

「希望が途絶えている」とき「なにもできない」が訪れた時なにをするのか。そこまで考えれる余力があればいいのですが、その状況下では余力がないことのほうが多いです。正直に言えば、この段階まで来てしまった場合はもうどうしていいのかわからない。台風実況の「立っているのがやっとです」とは言い当て妙ですよね、ここにいるのがやっとなんです。

僕がまたあの境遇になってしまったとき、またあれが来たとき「無事」である可能性を信じきることはできない。今回「無事」なのは様々な要因が重なった「幸運」に過ぎない。僕はそう思います。その幸運はかみしめますけどね。

転機:気持ちが変わったきっかけ

曖昧な記憶ですが「完全に終わった」状態で僕がやったのは「事業所を休む」「なにもしない」だった気がします。なにもしないというのは、なんだろ、ベッドに横になるやつですね。なんだろうかな……、そういえばツイッター開かなかったです。エアコンつけてベッドに横になって3時間ぼっとするやつをやってました。

3時間ぼっとして、寝て、起きて、ご飯食べて、また寝て、ぼっとして、軽く動けるようになったらFGOやってました。ここで文章が頭に入れば「その時できること」を考えて、入らなかったら周回だけして「周回はできる(肯定)」と思ってから寝てました。余裕があったらツイッター見てました。

ちなみに「軽く動けるようになって」と、また動けなくて「ベッドに横になるしかない」をいくつも繰り返しました。大変でした。

さて、そういった波を繰り返していくうちに「なんでこんな落ち込んでるんだろ」と自分に対して疑問を覚え始めます。このささやかな疑問は台風の暴風でかき消されてしまうんですが、それでも「完全に終わった」の間にあるわずかな回復、そのかろうじて考えることができるあいだで考えていました。今思えばここら辺で「自分」と「台風(憂鬱)」を切り離して考え始めています。

たぶんこれが転機であろう「自分と台風(憂鬱)を切り離して考える」です。

確かに落ち込んでいるんですけど、ここらへんで「落ち込んでいるのはその状況だけ」で「状況が変わればまた変わるのではないか」とふいに思うわけです。まぁたしかに状況はこれ以上ないぐらい最悪ですよ。ちょっとしたことでうっかり死んでしまうぐらいには。でも自分は、今ここに立ってびじょ濡れになりながら空を見上げてる自分ぐらいは気丈にいられるのでは。と思うわけです。

気丈ってのも違いますね…、希望とも違う、楽しむ、面白く、ハイテンション、とも違う気がします。イメージするなら、映画の「どうジョン状況は?」と聞かれて最悪の状況でも「最高だね」と答えてるやつです。

状況は最悪、戦力も絶望的、狂気に陥りそう、でも冷静に手持ちを見て「対処」する方法を探る。かろうじて残る前向きな思考を消さない(たまに消える)ようにして考えを進めます。こうしてみると本当に映画みたいです。

作業としては「(落ち込んでるけど)なんで落ち込んでいるのかわかんない」やつあるじゃないですか。それを「なんで落ち込んでいるんだろ」と要因を取り出して、要素に分けて、さらに細かく分けて、一つ一つ吟味してみる。それをやってました。感覚としては「分けて、分けて、取り出して、観察して、磨いてみる」という感じです。

それは現状、最悪の「要因」を批判するのではなく、「要因」を「要素」に分けて問題を評価する現状把握になります。あるいはいつ倒れてしまう不安からの現実逃避かもしれません。

苦痛な空間から逃避するように、暗闇の中かろうじて残っている火を探して、内部に問いかける。消えかかる中で思考したその「過程」というものは、個人から始まる小さな、けれども「確かなもの」を探し求める作業でもありました。

この作業をやり続けていくうちに、ある一つの気づきがあります。それは「ひとつひとつ自分で積み立てていくしかないんだ」ということです。

わりと以前から僕自身思ってきたことであり、実際にやってたりしたんですけど、今回これを「再認識」したんですよね。それはもう大きな気づきであり、気が付いた瞬間に雲が晴れていくような感覚すら覚えました。

散らかった要素の中でたまに見つける「確信のようなもの」、それもまた主観に過ぎないんですが、その小さな小さな要素をレンガのように積み立てる動作をすること。そうやって積み重ねて行くしかないんだ。そうして自分は自分を信じるしかないんだ。そう思ったわけです。

依然として状況は絶望的ですし、外では台風が猛威を振るっています。ただ僕はここにいる。僕がここで信じる物を積み重ねていけばいい。それはほんの弱く小さなもので、吹けば簡単に消えてしまうものかもしれないけど、それは台風とはまったく別のエネルギーであり、自由に出力することができるものです。すべて失ってダメになっても、それだけは確かに「ある」ものなんですよ。それは温かく希望たりうる話です。

補習:僕があのとき考えたこと

気持ちよくなっているところ申し訳ないですが、急に抽象的になったので、もっと当時のことを思い出して具体的に書いていこうと思います。このまま終わってもよかったんですけど。

※具体的にとはいえ、下に書くようなしっかりとした思考が「終わっている時」にできているとは限りません。簡略化もしてるし、読みやすいように順序立ててもいます。つまり「今こうして当時を再現している」程度なんだと思って読んでください。

たとえば「自分は何もできない人間だ(要因)」と思ったとするじゃないですか。

これを問いかけてみると、そこには「就職活動がうまくいっていない(要因)」と「趣味がうまくいっていない(要因)」など(いろいろあるけどこれが大きな)理由が見えてきます。

さらに、ここで「就職活動がうまくいっていない」に対していくつか問いかけみると、「結果としてはうまくいっていないが最善をやっている(つもりではある)」という回答が得られます。つまり「就職活動がうまくいってない」というのは「僕はそれなりにがんばっているが成果が出ていない」という意味になります。

そこで「がんばっているのに成果が出ない(落ち込み)」「社会が求めるレベルが高すぎる(困惑)」「障害者枠なのに身体障害者しか雇わない?(半ギレ)」など感情が生まれますがここは置いておいて、1つ「仮にどんな要素が追加されたらうまくいくのだろう?」と問いかけます。これは仮でいいです。まぁここで調子に乗って『大学合格!』とか『公務員合格!』とかそういった系統の発想でもいいですけど、次にこの『追加要素』に対し「現実みを帯びさせるにはどうするか?」を考えます。

今回は「あの資格を習得すれば就職できるのでは」と考えを進めたとします。これで就職活動については『資格習得』すれば解決というわけなのですけども、そう簡単に終わらせるのではなく、現実みを帯びさせるため「その資格を習得するため僕になにが必要か?」を問いかけます。

たいてい答えは「時間」や「資金」や「勉強」とか行き着くんですけど、この中の「勉強」一つにしても「勉強する!」として、『資格習得』という追加要素を解決するのではなく、もっと深くというべきですか、ここで「これをこなせば僕でも合格できるだろ(ここまですれば現実みがあるだろ)」ぐらいまで細分化させるんですよね。

そもそも『資格習得』するためには「勉強する!」のが一番ですけど、その「勉強する!」という意味を考えたことはありますか。なにをすれば「勉強」にあたるのか……、僕自身ほぼほぼ学習とは無縁な生活をしてきたためわからないんですけど、というか詳しい人に教えを乞いたいぐらいなんですけど、ここつまり「ここまでやったらイメージする『勉強したレベル』まで達する手ごたえがあるな」という話です。

かっこいいこと言ってますが、「勉強」に関しては今もわかんないです。なにをしたら勉強したになるのか……それこそ人それぞれ違うと思います。

……今回はここまでで終わりますが、そういったこと「就職活動」だけではなく「趣味」で、あるいはいろんな方面で考えていきました。

ちょくちょく無茶苦茶な考えになったり、明らかに現実的ではなかったり、うっかり現実を直視して落ち込んだりしたんですけど、ごくまれに「これは確かだ」というものを見つけるんですよね。それらを拾い集めながら考えているうちに「ひとつひとつ自分で積み立てていくしかないんだ」と、はっと気がついたわけです。

警告:ただそれは危険な内省であること

上の思考方法、要因を詳細に要素に分けて、さらには「何が足りないのか理解」して「ある意味で前向きな検討」をするというのは言葉で書くと簡単です。ただこれはどうにもうまくできすぎている話でもあります。

すこし考えてみてください。内省した先が「自分が存在することの否定」だったとき。すべてを考えた上での答えが自分がいないことが正しいと心の底から理解したとき。その失望感は半端なものじゃありません。

客観的に指摘するなら「それは認知の歪みかもしれない」「それは単に今いる場が悪いのかもしれない」などいくつも思い浮かびますが、まぁそれは焼け石に水といったところです。本人がそう思ったのだからそうなのです。簡単に思考が修正できるとは限りません。

ここまで書いてわかったと思います。それは自己分析を究極的にすると壊れてしまう可能性があるということです。

ここまで徹底した内省は精神に悪影響を及ぼし、それは悪い意味でもいい意味でも「変化」してしまうので結果がどうなるかわからない不安が(リスクが)あまりに大きい。ましてやこれは台風が上陸するときにやっていいことではないと思います。故に僕は「幸運だった」と表現したわけです。

名残:回復に向かって歩くとき

話を戻します。大きな気づきがあり、いわば「原初の自己肯定」が生まれ、無限の万能感、そんな台風一過の朝はとてもすがすがしいものです。なんならここから台風の間に動けなくてできなかったことが、あるいは今までできなかったことが、今ならできるのではないかと考えるほどには満ちた気分であるはずです。

そんな肯定的な時に水を差すのは悪いかもしれませんが、ここでも「現状」を把握することに努めてください。なにせ現在ぐちゃぐちゃになったシェルターほか、台風で地盤が緩んでるでしょうから、ちょっとした雨だけで全壊なんてこともゆうにありえます。

先ほど超巨大台風が来たんですから、まずは今の状態を慎重に調査を行うことが肝要です。僕も人のこといえず、調子に乗ってしまいそうだからこうして振り返りながら記事を書いています(唐突な告白)

僕の現状としては、今まさに(この記事を書いている時)僕はこの「回復に向かって歩いてる」状態です。台風が過ぎてわりとなんでもできる気がしていますが、前の台風のダメージが大きすぎたために、ちょっと周りの片づけから始めています。物理的にもそうですが、精神的にも散らかりがすごい。

人間関係でもそうです。ぼくはしゃかいせいがあるのでご迷惑をかけた人に「元気になりましたよ」というシグナルを出しています。こみゅにけーしょんのうりょくもあるので「元気です」と声を掛けるのではなく、元気っぽく振る舞うという高度なコミュニケーションを使用していますが、周りの人は多分このシグナルに気がつくと思います。たぶん。

さて、そういった地を固めながら、次の台風に備えます。

とはいえ具体的なものはなく、「余裕が出来たら趣味を楽しもう」「また今度友達をゲームに誘おう」「止まっていた勉強をすすめよう」「途中の本の続きを読もう」などさらに簡単にしたものです。そういったことをちょくちょく予定していきます。これらをこなしつつ、こなせたら自己肯定して、できなかったらまた調子を見る。そういう調整は大事だと思います。

半年近く全く手に付かなかった資格勉強、やり残していた就職活動の準備、社会に出るうえで身に付けるべきこと、こうった「日常にするべき仕事(社会復帰みたいなこと)」にもゆっくりと手に着けていきます。こちらは社会に出るための作業でとてもカロリーが高い。ゆっくりゆっくり手を付けていきます。

もちろんですけど、この作業する過程のなかで雲行きが怪しくなったり、雨が降ったり、なんなら警報レベルの大雨が起こったりします。場合によってはここまでの文章で「僕はこれに気がついた瞬間に気持ちが好転した!」というふう捉えている方がいらっしゃるかもしれませんが、「すべて好転しているわけではない」と言っておきます。天気はうつろいでゆくものです。全く雲がない瞬間なんてほんの少ししかないんですよ。

事実、この記事を書いている最中にもヤバい大雨がたびたびあり、作業を中断したり、自宅待機をしたりしたりしました。完全に終わることはないものの、無理しないよう天候を見極めつつ作業を続けています。ここばかりは注意しますとしか言えませんね。

おわりに

以上が回復までの流れになります。憂鬱の間って常に記憶が霧がかったような感じになっていて、思い返すのも一苦労でした(そもそも楽しい思い出ではないですし)。

けれども「この立ち直った瞬間」に「大荒れだったころ」を思い出して書くことは意味のあることだと思います。なにせあんなに苦しかったのに、すぐ忘れてしまいそうでしたから。

回復の過程を観察するのは重要だと僕は考えます。仮にこのように詳細に書かなくても、なにがどうなって好転していくのか、なにがあの絶望下で救いになっていたのか、かろうじて生き延びた理由はなんだろうか、など考えるのはいいと思います。そして余力があればどこかに記すとさらにいいでしょう。それはまた終わったときのためであり、自分の姿を知るきっかけになるはずです。

とはいえ「立っているのがやっと」という状態のころを思うと、ここまで考えれるはずはなく、この場にいる僕は「耐えてください」としか言えません。そして僕は適切な支援も行えません。回復したことも僕が恵まれているからとしか答えれない。

突き放すようで悪いですけど、僕はただ祈ることしかできないんです。遠くに台風があるならば、テレビ中継でその場や人を心配することしかできない。どうかご無事で。

上にに書きましたが、僕はまたシェルターを作り始めています。この記事もシェルターの1つになるといいな、と思いながら書いています。僕自身落ち込んだらここにきて、もっといえば自分の記事を読み返したりしてるんですよ。この記事も僕のために、あるいは誰のためになればいいですね。

追伸:
写真はフリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)より、
夜明け前の美しの避難塔(美ヶ原)のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20200105023post-25367.html

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