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自分が書いたメンヘラjpの記事達を振り返る|⑫

長いようで短い10つの記事を公開し終わり、後は記事を振り返る記事のみとなりました。企画をしたときは「これが終わるのは3ヶ月後かぁ」とか思っていたのに、もう3ヶ月経ってしまったことに驚いています。

今回、記事を編集していって今だから思うことをなどを書いていこうと思います。これらの記事が掲載されたときから言いたいこともあって、それらを思い出しながら書いていきますね。この記事はいわばエキシビションです。

まずざっと振り返ってみる

掲載した記事どれも僕自身、かなり気合いを入れて書いたものが多く、記事を読み返すとそのときの状況が思い返されて、なんとも不思議な気持ちになりました。遠くまで来たのだなと。

編集作業は懐かしい気持ちになりながら、ゲームで言う、セーブポイントを見直しているような感覚でした。そのときそのときのレベルやステータスを見ているような、この頃は先の展開をわかっていないからこその書き方になっているような……、そんな若さを感じました。

編集作業はそのとがった部分を削ぎながら、補足しつつ、加筆したり、思い切って消してみたりしました。けれども内容は変わらず言いたいことは残っていると思います。

始めに、すべての記事を書くおいて心がけていたことがあります。それは「読後は前向きになること」でした。落ち込んだときなどネガティブな話も書いてあるのですが、それでも記事を読み終わった読後感というものを大事にしながら書いたつもりです。過度なポジティブまではいけませんが、静かにあたたく思えるように書いたつもりですけど……伝わったでしょうか?

ただまぁ、あまりに気持ちよく終わってしまうと、俗に言う「速度の出た状態」となってしまい、それは躁鬱病の躁に近いことになってしまうのではないか、と懸念して文章の要所要所にブレーキもかけています。どうでしょうか。こればかりは書き手の感覚になってしまうのですが。

とはいえ、そんなことを読者の人たちが思ってくれるはずもなく、記事はどれも僕による僕のために書いたようなものです。誰かの役に立つのでは、とは頭の隅に置きながら書いているですけど、やっぱ自分自分になってしまう。役に立ったらそれはそれでうれしいです。

読み手との距離感

一方で読者の反応に対しての反応が下手くそだな、と思い返します。

多少話題になり、言及された記事もあり、リプライを送られてきたり、そんな小さな反応がちらほらありました。僕はというと、これらに反応したものの、ぎこちない反応になってしまいました。もっと気の利いた言葉でもできたら良かった。思っても仕方ないです。苦手なんだから!

ところで僕自身「記事を読まれたらそれは読者のもの」と考えているところがあり、記事を読者が読んだとき、その反応はその読者だけのものではないか、と思っています。これはカッコつけた言い方ですね。

エゴサはごくまれにしてました。自分の記事のタイトルを打ち込んでみたり。反応はめったにないですけど、やはり反応があるとうれしい気持ちは誰しも持っているのだなぁと思いました。

それぞれ記事の振り返りをします。

鬱という台風に備えよう

メンヘラjpに向けて初めて書いた記事です。

初めて書くんだからメンタルヘルスのテーマに沿ったものを書こうとして、「メンヘラ=鬱」という、今考えたらかなり安直な発想からの着工でした。

この頃、僕が無職だった頃でもあり「鬱にだけはなりたくない」とかなり慎重に行動していました。それでもたまに憂鬱なこともあり、落ち込むこともあります。そいった振れ幅のなかで「鬱はどうしようもない」と思った上で「あれは台風に似ているのでは」と夏の天気予報を見ながら思った背景があります。

それらをいい感じに言語化して、あとはできるだけ落ち込んでいるときにも読めるような書き方にしました。つまり自分に語りかけるように書いたんです。でもまさか鬱シリーズが続くなんてこのときは思ってもみませんでした。

記事:鬱という台風に備えよう|②

アスペルガー(自閉症スペクトラム)特有の想像力の欠如について

おそらく一番バズった記事になります。

「鬱という台風に備えよう」を柔らかく書いたとすれば、こちらは切れ味あるよう心がけて書いた記事になります。この記事は偏見や断言が多いからどうなんだろうと思ったらたくさんの共感者が出ているようで戸惑った記憶があります。

読み返してみると、この記事の完成度に驚きました。あの短い文字数のなかでこれほどまでに完結に書いているのかと、自分で書いておいて驚きました。これだけはそこら辺のメディアに乗ってても通用する(自画自賛)

さて内容はASD特有の偏見の強さ、その原因について自分を振り返りながら考えたもので、結論も「ぼくもわかんない」という投げやりなものでした。これ書いてる今は以前よりは知見は広がったとはいえ残念なことに、今も今とて主観から超えるようなことがないままです。たぶんずっとこのことを考えて生きていくのでしょう。もっと他人と交流していけよということでしょうか。

記事:アスペルガー(自閉症スペクトラム)特有の想像力の欠如について|③

鬱に耐えるシェルターを作ろう

鬱シリーズ2作品目です。

今回は前回登場した「シェルター」に対して詳しく書いた記事になります。前回の投げやりな感じがなんとなくいやで、この記事で「シェルター」について細く書きました。

シェルターとは自らを自ら守る場であり、僕もかなりお世話になった概念です。曖昧な概念でなんとも言えないものですが、こうして書いてみるとみんなと共有できて、興味深く思いました。なにごとも頑張って言語化したら、概念すらも共有することができるんだなとか。

内容に触れてみるとこの記事は多少僕の過去話が入っており、自分語り乙といったところがあります。まぁそれらを解説する形でいろいろ書いているのだから仕方ないとは言えますが。とはいえ自分の話が発端だと言うこともあり、自分自分と言った文章になってしまっていますね。自分語り乙。

記事:鬱に耐えるシェルターをつくろう|④

【書評】自閉症スペクトラム 生き方ガイド 自己権利擁護と「障害表明」のすすめ

唯一の書評になります。

この本、手に取ってくださった方はいるでしょうか。この本かなり密度があり、かなり密度がある本だということがわかったと思います。そんな本の書評なのだから、当然密度が高い記事になります。

僕もこの記事を書くとき何度も心折れそうになり、もっといえば本を何度投げ出したことか……、読破するのに半年ぐらいかかって、書き出した記事も何ヶ月か放置していた記事でもあります。それだけあって読むだけでもまぁまぁ読み応えがある記事になりました。編集しているとき強く思いました。メンヘラjpの編集班すごいです……。

その密度のある内容ですが、ぼくも知らなかった「自己権利擁護」と「障害表明」というキーワードを軸に話が続き、今読み返しても学ぶところがある内容になっています。発達障害本としての完成度が高く、いや完成度というか熱量がすごい。僕が書いているような軽いライフハックではなく、もっと濃密な一人一人の人生のツール(ライフハック)が記されているような内容です。

発達障害本は最近話題になっていますが、これもいい本なのでおすすめです。

記事:【書評】自閉症スペクトラム 生き方ガイド 自己権利擁護と「障害表明」のすすめ|⑤

『カタン』というゲームでコミュニケーションを学ぶということ

ボードゲームはいいぞの記事です。

この記事を書いているときはボードゲームに熱い時期でリア友を巻き込みながら、いろんなゲーム(とはいっても王道ばかりですけど)をやっていました。記事ではコミュニケーションが~と、やいのやいのと書いていますけど、ボードゲームは純粋にアナログゲームとしてとてもたのしいものです。

仮にボードゲームができなくても、ツールとしての「ゲーム」という存在は考慮してもいいと思います。今ならいろんなゲームがありますから。おすすめはやはりボードゲームなのは変わらないものの、テレビゲームも十分コミュニケーションツールとして利用できます。共有の話題があるだけでも会話は弾むものですからね。

後日談になりますが、この記事を書いた後にTRPGというゲームにドハマりしてしまいました。いまそれを熱心にやっています(TRPGもいいぞ)。こちらはネット上でもできるから強い。ボードゲームはどうしても集まってやらなきゃならず、世間的に集まれるような空気ではなかったのでね。年末年始ぐらいにまた友達と集まってできたらいいなとか思っています。

記事:『カタン』というゲームでコミュニケーションを学ぶということ|⑥

バランスのよい休息を目指して

「休息」について考えてみた記事です。

ただただ休むことが休息だと思っていた時期があり、学校を休んで「なんか休めてなくね?」となったり、英気を得るための旅行で「あれ疲れた?」となるなど、単に休むにしても「なんか違くね?」となることがあって、休むににもいろいろあるんじゃないかとずっと思っていました。かくしてこの記事を書きながら、今一度「休息」について個人的に考えてみました。

結論から言えば「肉体的な休息」と「精神的な休息」という2種類あるとわかり、この2種類をバランスよく撮ることが「よい休息」ということでした。そして「精神的な休息」とはすこし準備が必要なのでは? という考えも書いています。具体的な例もすこしだけ。

我ながらいい記事だと思います。僕も困ったらこの記事を思い出して「いま必要な休息は肉体的か精神的か」と問いかけたりしています。大体そう言うときは疲れており、とりあえず肉体的な休息をとるべき時なんですけどね。

精神的な休息については、後に触れていく就職を終えた今、多少資金に余裕がある今だからこそ改めて考えています。いろんな事をしており、いろんな事があり、部屋が散らかり、また片付けています。このサイクルも休息の一つかもしれない……。

記事:バランスのよい休息を目指して|⑦

自閉症スペクトラムからみた車の免許習得までの困難と対策

自動車免許を取りに行こうの記事です。

これを書いているときはもうすでに免許は取っていたのですが、思い返すエネルギーが回復するまで時間がかかった記憶があります。それほどまでに免許習得は膨大なエネルギーが必要なイベントでした。どう大変だったのかは記事を見てください。

ところで今はもう車をガンガン使っているんですよ。みんなが言うように、便利な乗り物だとことを痛感しています。車の免許を習得して良かったとすら思っています。けれどもなぁ、あの習得しているときの大変さは今でも鮮明に思い返すことができます。

話題が少し逸れますが、この大変さというものはみんな感じているものであるものなんですよね。免許を習得した皆さんはぜひ話題の一つとして周りに話してみたらどうでしょうか。きっとその人の苦労話を聞き出すことができると思います。これもまたコミュニケーションです。

記事:自閉症スペクトラムからみた車の免許習得までの困難と対策|⑧

就労移行支援事業所に通う日々、就労支援を受けることのメリットデメリット

就労移行支援事業所について書いた記事になります。

もう通っていないので過去の話を読むようでした。僕にもこんな頃があり、こんな風に考えていた時期があるなぁ、と数年前の日記帳を読むような感覚に陥る歯がゆい内容となっています。

今はもう就労移行支援事業所の様子は知りません。そしてほかの事業所の事情も進んで耳に入れていないので、どんなことが起こっているのかというのもわからないです。この頃よりはいいようになっててほしいとは思います。

記事:就労移行支援事業所に通う日々、就労支援を受けることのメリットデメリット|⑨

精神障害者就労奮闘記

就職活動について書いた記事です。

就職活動を人並みに体験して大変なだと感じました。記事に書いているようにかなり落ち込みながらも、なんとか就労は終えることができ、一方で潰えたものもあるようでした。

今書くことと言えば、このラストあたりで書かれてある自分の文章に自分で励まされています。毎日あっても毎日を過ごすのではなく、たまに原石を磨こうと、そう思えます。そう静かに思えるいい文章です(自画自賛)。たまにこうして昔の苦労を感じたり、前向きな文章を読めるいい記事だと個人的に思います。できればもう2度と就職活動はしたくないですが。

就職活動を頑張っている皆さんは頑張ってください。どうか無理をせず。

記事:精神障害者就労奮闘記|⑩

鬱で完全に終わってから立ち直るまで

鬱シリーズ3作目。鬱から立ち直るまでの過程を書いています。

就職活動時、とてもとても落ち込んだ時期があり、今までに類を見ない深度まで行ったので本当に大変でした。どうにかして抜け出したけど、抜け出したことは幸運に過ぎず、この出来事があった後と前とは自分が違うような感覚すら覚えます(この表現で伝わるはず)。あれはそれほどまでに深刻なイベントでした。

そんな大変なイベントを無謀にも自分一人でなんとかしようとして、なんとかしてしまった記事であり、記事に書いてありますがあまりおすすめできないような回復過程をたどっています。おすすめしないけど、一例の程度にはなったんじゃないでしょうか。なってたらいいね!

あと読んでくださった方ならわかると思いますが、記事中も過去の記事を振り返る文章を入れており、「鬱」というテーマも踏まえて、メンタルヘルス総決算のような内容になりました。鬱に始まり鬱に終わるというわけです。

記事:鬱で完全に終わってから立ち直るまで|⑪

1つの時期が終わるということ

「1つの時期」という概念は誰にもあると思います。例を挙げると小学校、中学校、高校、のように。これらの概念には1つ1つの時期があって、それぞれの先生がいて、友人がいて、場所があって、思い出があります。

どれもいい思い出ではないかもしれませんが、その時期の始めと終わりに節目があって、節目を過ぎると新しい「時期」が生まれます。実際は陸続きの日々ではあるのですが、それでも空気感や気持ちは一新することでしょう。

今回この記事を書いたすべてを一区切りとみていいんじゃないか、と僕は思いました。ここから始まり終わり1つの時期が終わったのだと思います。

この時期に「ASD」や「メンヘラjp」や「無職の期間」や「就労移行支援事業所」や「就職活動」などありました。そういった単語ひとつひとつに思い出があり、この思い出の空気感が記事を開くとふわっと広がる感覚がありました。そういったのを改めて読みながら感じた3カ月でした。

おわりに

いろいろ記事を振り返ってみました。あの記事を書いた後どうなったのか、とか書いていくつもりだったのですが、記事の中に書きたいことが大体書かれてあり、ここに書いたのはあの記事はああだという、まるで酒のつまみに駄弁っているような内容になってしまいました。

まぁそれも健全な内容でしょう。記事は読みたい人だけ読めばいい。

メンヘラjpには感謝しています。こんな記事を載せてくれたこと、編集をやってくれたこと、いろんなメールの対応をしてくれたこと。みんな達者でいてほしい。

これで一応終わりとなります。1つの節目ですね。

追伸:
写真はフリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)より、
とりあえずの生ビールとウーロンハイのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20200941252post-25120.html

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