罠にかかって3年間
私の大大大好きだったラジオ番組、
シソンヌのばばあの罠が2023年3月をもって終了することが発表されました。
発表直後は「あー辛い!ほんとに辛い!ずっと辛い!」という精神状態で、もうやってけないかもと思いましたが、少しずつ現実を受けとめ、残りを全力で楽しみ、最後までメール投稿を頑張ろうと気持ちを切り替えることが出来ました。
ばばあの罠のリッスンナーになってから私の毎日はなんだかキラキラしていたような気がします。
こんなに思い入れのある番組は後にも先にもないと思うのでここで、ばばあの罠への思いや色んなことをまとめて記しておこうと思います!
ばばあの罠との出会い
私がばばあの罠を聴き始めたのは中学1年生が終わろうという頃。
ちょうど学校が自粛期間に入り、時間を持て余していたとき、他のラジオをきっかけにradikoのプレミアム会員になりました。そのとき、ずっとコントが好きで応援していたシソンヌさんの番組を探してみたら「ばばあの罠」が見つかり、聴いてみたのがリッスンナーになったきっかけです。
聴き始めた当初も今と変わらず、おふたりが好きなことをゆる〜くトークしている番組でした。
そのため、正直なところ私には分からない話ばかりの番組でした。でもそんな自由なおふたりの話にいつしか私は虜になり、ばばあの罠が私にとって心の支えとなる番組になっていました。
私が虜になったとこ
ばばあの罠は回を重ねる事に増すじろうさんの自由度、じろうさんを止めようとしているように聴こえて実は一緒になって楽しんでいる長谷川さんのトークが心地よく永遠に聴いていられました。
そんな私がばばあの罠で1番好きだった時間はOPでした。時には番組の3分の1がOPで終わることもあり、その度に「長いよ!」「じろうさんの話わかんないよ!」とお決まりのようにツイートしていました。
でもそんなことをツイートしつつも内心は「永遠に二人で話しててくれよ!!」と思っていました。
スポーツの話でじろうさんが盛り上がっていたとき「もういいよーじろう」と言いつつも結局、「それで〜?」とじろうさんから話を引き出し、OPを自ら長引かせていた長谷川さんがとっても好きでした。
ばばあの罠を聴いていなければ私はここまでおふたりのことを好きになっていなかったかもしれない。そう常々感じます。
私がこのラジオを聴くまではおふたりのことはスタイリッシュなコント師というイメージでした。ただコントがとんでもなく面白いでっかい2人としか思っていませんでした。
しかしこのラジオを聴いて、おふたりの素の部分の面白さを知ることが出来ました。スマートというイメージに関してはいい意味で崩壊しました。
このラジオはコントだけではなく、じろうさん、長谷川さんおふたり自身のことを好きにさせてくれました。
初採用から今まで
私が初めてメールを送り、初めて読まれたのは、ばばあの罠を聴き始めてから4ヶ月程経った頃。
初めて送りますと一言添えて、リスナーの罠に送ってみたのが始まりです。送ってすぐは「読まれたい!」という気持ちしかなかったのに、少し時間が経ってよくよくメールを読み返すとなんだか恥ずかしくて耐えられなくなって、ついメールを削除していました。
その私が恥ずかしくて堪らなくなったメールが私の初採用になり、採用されたら結局嬉しさが恥ずかしさに勝ってました。
だからメールを削除してしまったことは今、ちょっとだけ後悔してます。
私はそのとき採用されたことをきっかけにたまにメールを送るようになりました。
2回目に採用されたとき、1回目の採用からすぐだったこともあり、長谷川さんがRNを覚えてくれていました。
ちなみにじろうさんにはそんなヤツいたっけ?と言われた記憶があります!笑
ずっとずっとばばあの罠で見せてくれるじろうさんの国王ぶり大好きでした。
以前からシソンヌさんはリスナーいじりが多かったのもあり、いつの日かおふたりに覚えてもらえたらな〜と少しだけ夢を見ていました。
その後、「ニュージェネの罠」が始まったことで採用されることがちょっと増えました。
リッスンナーの中では比較的、ニュージェネ世代だった私にとってこのコーナーはメールを書くのもネタを探すのも楽しくて大好きなコーナーでした。
このコーナーで1回目に採用されたとき、初めてじろうさんがRNに反応してくれて、さらに長谷川さんも反応をしてくれて嬉しくて堪らなくて1人で夜遅くまで何度も何度も放送を聴き直したことを今でも思い出します。
その後、リクエストでじろうさんがメールを読んでくれた際、おふたりから
「いつもありがとうございます!」と一言!
読まれた時期にTバックの話題で盛り上がっていたこともあって、「14歳、フォーティーン、Tバック履くお年頃かな?」とじろうさんでなければキモ男になってしまうようなことを言われましたがそれを忘れてしまうくらいに「ありがとう!」という言葉がとってもとっても嬉しかったのを鮮明に覚えてます。
おふたりが私のメールで盛りあがってくれる度、嬉しくて、さらにRNで反応してくれることが嬉しくて、その頃から、私はメール投稿にどっぷりハマってしまいました。しかしその頃というのは中学3年生の夏、もう受験勉強に本格的に集中するためにメールを控えないと!と思っていた時期でもありました。
本当は7月に行ったシソンヌライブに関するメールを最後に一旦投稿を控えるつもりでした。しかし結局ずるずる引き伸ばしてしまい、10月初めにやっと区切りをつけることが出来ました。
メール投稿を辞めてもラジオは聴こうと思っていましたが、シソンヌにちょっと触れてしまうと勉強に手がつかなくなってしまうのが怖くて途中で完全にラジオから離れることにしました。
そして2022年二月末、長かった受験生活が終わりました。
ちょうど入試が終わった日の夜、その日は金曜日でした。約5ヶ月ぶりに戻ってきた華金。
私は入試終わりの帰り道、消していた全てのSNSを復活させ心を躍らせていました。
色んなリスナーさんからのおかえり!という言葉は、ばばあの罠のリッスンナーで幸せだと改めて心の底から感じさせてくれました。
そして入試後の初メール。
個人的な事だったので少し迷いつつ高校合格の報告メールを送ってみました。
シソンヌさんにおめでとうと言っていただけたことはもちろん、沢山のリッスンナーさんからおめでとうという言葉をかけて頂き、さらに幸せを感じていました。また公式ばばあの罠さんからのツイートからも勝手に愛を感じていました!
安定にばばあの罠公式Love!
そしてそこから勉強おサボりメール大量送信期間がスタートします。
夏にはステッカーの罠がスタートし、より送信数が増えていきました。
私が初めてステッカーを獲得したのは新コーナーの罠でした。
連続で二通採用され、じろうさんが「ステッカーはあげてもいいよ」と言ってくれたおかげで運良くゲットできました。
その後「川柳の罠」が新コーナーとして始まりました。
初めのテーマは山本由伸とタティスジュニア。
本当にわけが分かりません。正直全くもって送る気はありませんでした!
でも収録終わっちゃっただろうなというタイミングでタティスジュニアの川柳がふと降りてきました。正解も分からなかったのでとりあえず送ってみました。
次の回でジャイアンツ川柳と共に読まれました。
そしてそこでステッカーを貰えました。
ボロクソに批評されての1枚でした!
その回から突然、じろうさんと長谷川さんにいじられるようになりました。
ここからは一日中、毎度の事ながらテーマが難しすぎる川柳を考える日々!
川柳はメールを考えるのも、おふたりの反応を想像するのも皆さんの川柳を聴くのも楽しくてどんどん大好きなコーナーになっていきました。
初めの方はじろうさんにあっぱれを貰えそうな川柳を作っていましたが、「いちょちょちょちょ」辺りからフォームを崩し始めコロコロコミックのような川柳ばかり作るようになりました。でもそこから川柳の本当の楽しさが“自分なりに”分かるようになりました。
その後も有難いことに色んなコーナーでメールを読んでいただき、通算41回の採用をしていただけました。
笑ってくれたり笑われたりいじってくれたり酷評されたり褒めてくれたりもうメール送ってくるなと言われたり。採用されるとただの私が書いたなんてことない一つ一つの文章が宝物になっていました。ばばあの罠での採用ほど脳汁が出るものは今のところ見つかってません!きっとこれからもそんなものは見つかりません!笑
メールの中だけは自分の名前とは違うラジオネームを名乗ることで恥ずかしさがなくなり、思う存分おふざけが出来たのはメール投稿で楽しかったことの一つです!
口には出せないような下品な単語もメールの中ではこれでもかと言うほど連呼させて頂きました。なんの単語かはお察しいただけるとありがたいです!💩
思い出が音声に
2月10日、メールは読まれてないのに1番思い出に残る放送になりました。
じろうさんに私が遭遇し、声をかけたときのことをラジオでおふたりが話してくれました。
2月10日、この日の放送は私がじろうさんに会った日から多分一発目の放送だな〜。もしメールが読まれたら心の中ではっとしてくれたりするのかなー?なんて少し考えながらいつも通りの放送を楽しみにしていました。
その日は運悪くリアタイができずちょっと遅れての拝聴。
これから追っかけます!とツイートして聴き始めるとなぜかいつもより反応してくれる人が多かった。ような!
川柳の罠でメール読まれたのかな?とドキドキしながらでも期待はしすぎずばばあの罠を楽しんでいました。
結局その回の川柳の罠では読まれずこの後の何かのコーナーかな?と思っていた直後、
じ この前、そうだ!
長 言ってたね!
じ アイツにあったんだよ!前屈するうさぎ
とそのときの会話の流れで私の話が、
あの時のほんの数分の出来事をじろうさんは事細かに覚えていてくれて話してくれました。
1番嬉しかったのは私と会ったことを本当に長谷川さんに伝えてくれたこと。
ちゃんと長谷川さんにも伝えてたからね!と約束を果たしてくれたことを電波に乗せて私に届けてくれたこと、すごく嬉しかったです。
ばばあの罠の終了発表、そして最終回
ばばあの罠が終了することが発表されたのは3月3日。でも私は少し前からちょっと嫌な予感がしていました。
RKBラジオの春の番組改編でシソンヌのばばあの罠の時間帯に別番組が移動してくるとの情報を耳にしてしまいました。
さらに直近の放送で、突然始まった「ぼっちメールの罠」
聴いていたときは読まれないと思っていたコーナーのメールを拾ってくれる素敵な企画が始まった!と思っていましたが、よくよく考えると番組終了に向けたコーナーだったのかな?と思うようになってしまいした。
結局、私の嫌な勘は当たってしまいヌルッと発表された番組の終了。
ショックで朝まで寝れませんでした。
でもすぐに来るメールの締切。
全ての動作に「最後の」をつけてしまい自分で悲しくなっていました。
最後の最後、締切ギリギリまでメールを送りました。
シソンヌは最終回だからといっていつものゆるさは変わりませんでした。だからこそ最後の放送も笑って楽しく聴くことができました。最後の最後まで変わらぬスタイルで私たちを楽しませてくれたおふたりには本当に感謝しかないです!
ばばあの罠が終わって
日に日に人気が増して、メディアに出ることも増え、遠い存在になっていくシソンヌを金曜日の1時間だけはちょっとだけ身近な存在だと錯覚させてくれました。
これからはそんな金曜日が来ないと考えると寂しいです。
シソンヌのコントを見てこんな面白い人がいるんだと知った小学生の頃、まさかその時はそんな憧れの人に覚えてもらえる世界線なんて想像もしてなくて、おふたりにラジオネームを覚えてもらえたことは今でも夢なんじゃないかって思ってます。
おふたりに覚えて貰えたことはきっといつまでも嬉しくて、いつまでも私が誇れる唯一のことで、でもだからこそいつか私のラジオネームなんて忘れられてしまうんだろうなって思うとそれも寂しいな〜
なんて寂しさいっぱいの気持ちになりながら過ごしたのが4月でした!
そして5月1日、多分この日がばばあの罠リッスンナーとしての本当の締めくくりの日。
学校でTwitterを開いたらリッスンナーさんの元にステッカーが届いていました。
私もワクワクしながら家に帰って郵便受けを開けてみたらばばあの罠から封筒が届いていました。
今まで計4回私の元に届いたシソンヌという文字が書かれた封筒。ステッカーの罠で選ばれる度に胸を高鳴らせながら家まで自転車を爆速で漕いで郵便受けを開ける日々が今思うと幸せすぎる時間だったことに気付かされました。
今回で本当に最後。
嬉しさと寂しさが混じりつつも結局は嬉しい気持ちでいっぱいになりながら封筒をあけました。
私が今までに頂いた計15枚のステッカーは私のばばあの罠リッスンナーとして過ごした証として大切に大切に持っていようと思います。
ばばあの罠は、私の日常に彩りをくれた番組でした。シソンヌさんのことはもちろんこれからも変わらず応援しています!いつかまたおふたりだけのトークが聴ける機会が来ることを願って私はいつまでも待ち続けようと思います。
そしてこんなにも長い文章を最後まで読んでくれた方には私から「あっぱれ」と言わせてください!
RN 雲の上で前屈するうさぎ
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