歳を取ると「あたり」を付けにくくなるのね

きのうとおとといはお墓参りで秋田県をまわってきました。私の両親は向こうの生まれなので、秋田県には親戚がたくさんいて、今回は現地で母の姉妹全員(叔母たち。うちの母が長女)に会うことができました。

末妹の叔母からは私と母と妹それぞれに素敵なマグカップをお土産にいただきました。ですが、母(80代半ば)はこれが入った紙袋をちらっとのぞいて、空っぽの丸い箱だけが入っていると思ったみたいです(笑)

それは、叔母がこれを手渡すときに「何か入れて・・・」と言ったからなんだって。私は聞いていませんでしたが、たぶん前後の文脈から「コーヒーでも淹れて飲んで」とでも言ったんでしょうね。

それを聞いた母は、叔母がこういう手作り品を趣味にしていて、自分が作ったお手製の箱を(作品として?)私たちにプレゼントしたと思ったみたいです。

とはいえ、手に持つとそれなりの重さがあるので、私は絶対、箱だけのわけがないと思ったのですが、うちの母は開けてみるまで中にもの(マグカップ)が入っているとは思っていなかったようです。

手に持った瞬間の重さで「箱だけじゃない」のはすぐにわかると思うんだけど、歳を取るとこういうところの「あたり」や「察し」が鈍くなるんですよね、きっと。

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高速道路で立ち寄るサービスエリアも同じで、「トイレの場所がわからないから一緒に行って」とよく頼まれます。

サービスエリアのトイレはだいたい建物のはじっこにあって、しかもすぐにわかるように大きな表示があるので、私たちはわざわざ探さなくてもすぐに見つけられますが(というから降りる前から目に入る)、80代半ばになってからの母は、そういった「あたり」がすぐに付けられなくなってきているみたいです。

歳を取るといろんな物事が、パッパッとつながらなくなるんですね。

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ということで、今日も、亡くなった祖母や父の古い写真(昭和20~30年代)を私が探していたら、棚の上の「ファミリー」というアルバムにあるかも?と言われました。えー?そうかしら??^^

このスタイルのアルバムは比較的最近のもので、少なくとも私の子供たちが生まれてからのものだと思う。だから「ここにはないんじゃない?」と言ったら、「いや、きっとある」って(笑)

我が家の昭和20~30年代のアルバムは、背表紙がボロボロになっていて、表紙が布製の重厚なやつだったと思うけど、きっと忘れちゃったのかな。

少し前までは「ここにあるわけないでしょう?」という感じの言い方をしていたのですが、本人がそう信じているものはあまり否定せずに、「じゃ、探してみるね」と言って、実際に開いてみればいいんですよね。

開いたらすぐに違うことに気が付いたみたいで、「あ、これは違うわね」と笑っていましたが、私もきっと80代半ばになったら、こうなるんだろうな。

そういえば亡くなった祖母も、大型車両が通る音やヘリコプターの音など、誰が聞いても何の音かわかる音に驚いて、「なんだ?なんだ?」ってよく言っていましたね。歳を取るってそういうことなんですね。

うちの母は、色々な趣味のサークルに入っているので、週に何回もバスに乗って仙台の街中に行くぐらい元気ですが、若いときのように素早く正確な判断ができないときがあるので、それは理解してあげないとダメだなと思いました。


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