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~クーデターですが何か~ネパール滞在記②

ネパールの政治のこととかちっともわからないですが
わたしがネパールを訪れていた21世紀になるかならないかの時期は
政情が不安定な時期でした。

外務省のホームページには
レベル3と記されているという噂を聞きました。

「レベル3渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」

もし、何かの事件に巻き込まれてわたしが死んでいたら
迷惑な日本人として世間を賑わしていたのかもしれないです。

でも
ありがたいことに、今、こうしてわたしは生きています。

大人になってから
何もかもなくして段ボールで寝てみたことがあったけど
ネパールのころを思い出すと命があるから、あとははい上るだけと
なんか笑えていたのを覚えています。


2001年6月ネパール王族殺害事件が起きました。
犯人は王様の弟で、いわゆるクーデターでした。

そんな年の夏、
わたしはNPOの調査でネパールを訪れています。

今みたいに誰もがスマホを持ってSNSで発信している時代ではないので
「よくわからないけれど危ないらしいが我々が訪れる地域は安全だ」という
あてになるのかならないのか分からない情報を頼りにわたしはネパール山中の村へ赴きました。

今だったらそんな怖いところはどんな大義名分があっても行かないのでご安心ください。
と家族にだけは伝えておこうと思います。

ロッジが整備されているトレッキングルートをはずれると村までの道のりは、
道と呼べるものはありません。
背丈ほどある草をかき分けかき分けしながら進んだ先に突然目に飛び込んできたのが、
そびえ立つ山と深い谷。
そして、その谷を渡るための細い吊り橋でした。

今は、どんなに大きくて頑丈な吊り橋でも怖くて足がすくむわたしですが
当時は、後戻りをするという選択肢はありません。
何日もかけてここまで歩いてきていました。
村はもうすぐ。
そう。この橋を越えたところなのです。

高所恐怖症のわたしがどうやって渡ったのか記憶にありませんが、これだけは忘れません。
橋の中ほどを過ぎたところに、大きな穴があいていました。
現地の案内人は、笑いながらその穴を飛び越えて渡っていきましたが、
今、想像したがけでもわたしは足が震えて鳥肌が立ちます。


そんなネパールの山の中に入ってしまえば
そこは信じられないほどゆっくりとした時間が流れています。
村のみんなにとっては、王様が殺されたことはどこか遠い世界のことで
もっと遠くからやってきた日本人の方がずっと興味の対象でした。


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