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ピンチをきっかけにする

数年間に及ぶ、心身の不調という経験は
私の中で価値観を大きく変化させるものになりました。

最初のうちは、何度上手くいかなくても
「正しさ」を選ぶことにこだわり続けていました。

いくら正しさにこだわっても上手くいかない

ということを目の当たりにした時
改めて自分の中で「正しさ」よりも「喜びや楽しさ」を選ぶという
選択肢が見え隠れするようになりました。

同時に、心身の不調は継続したままであったことから

自分を大切にする
自分を知る

ということも、必要であることを理解するようになりました。

思えば、心身の不調を経験する以前の自分は
好きに生きてはいましたが、自分を大切にしていたかと言えばそうではなく
自分のことも理解していなかったので
人の意見によく左右されていたと思います。

虚勢を張って、自信を持っているように見せることはできても
本当の意味では自信もありませんでした。

そうやって、本当の意味での自分にとっての「正しさ」について
目を向けて行くことは、心や体だけではなく
食べるものやエネルギー的なところまでにも目を向けることになり
それまでの自分を一旦リセットさせられるかのような形で
改めて自分というものを構築して行くことになりました。

自分が好きだと思っていたもの
本当にそれは好きなのか

自分が大切だと思っていたもの
本当にそれは自分にとって大切なものなのか

心地いいと思っていたこと、信じていたこと、正しいと思っていたこと

人との接し方や人に対する印象など

心身の不調を抱えていた数年間は、それら全てを一掃して
見つめ直すような期間だったと思います。

そうやって自分自身の中にある価値観が再構築されていった中で
私の中には、スピリチュアルを仕事にして行くという道が出てきたのですが
人生でピンチと思えた出来事は
実はスピリチュアルへの目覚めのようなものの始まりで
自分自身が本来持っていた能力を自覚して行く道へとつながりました。

この年齢になって、改めて当時を思い出してみてわかるのですが
当時は「正しさ」を求めて、好きや楽しさを優先すること辞めた自分がいましたが
今の自分というのは、好きや楽しさを優先して生きていると思います。

当時と違うことは、自分自身を自分の未来を信頼しているということでしょうか。
当時は好きや楽しさには生きていたけれど、どこか刹那的な生き方でした。

せっかく、好きや楽しさを大事にしていたのに
その先に思い描いていたものがポジティブなものではなかったのだと思います。

その感覚というのは、若さ故のものもあったと思うのですが
当時の感覚のままでは、今の自分には辿りつかなかったと思います。

今の私は好きや楽しさを大事にしながら
更に未来に楽しいものを創造するような意識があります。

今と同じくらい未来も大切で、大切な未来にたどり着けるように
今をしっかりと生きている自覚はあります。

心身の不調を数年間経験し、社会的には何も上手くいかない日々だったことは
私にとっては大きな挫折感を味わうものにもなり
心が大きく揺さぶられることで、感情面が沢山浮き彫りになりました。

そこで明確になったことは

自分を好きではないこと
自分を信頼していないこと
自分を評価したくないこと

とにかく沢山の否定的な思いがそこにあったのです。

それらは、好きや楽しさを軸に生きていた時代から抱えていたもので
それらを浮き彫りにし、解放するためにも
数年間に及ぶ不調は必要なものだったのかもしれません。

人生を生きていれば、様々な出来事が巡ってきますが
人生のピンチと思えるようなものは
ただただネガティブで悪い出来事ではなく
その出来事を受けて、自分自身をどれだけ見つめることができるか
どれだけ自分に寄り添い理解できることができるのか
ということが何よりも重要だと思います。

人生におけるネガティブな出来事というのは
表面的には不安や恐れを感じ、巡ってきて欲しくないと思うものだと思いますが
実は自分自身が飛躍的に成長できる大きなきっかけのひとつだと思います。

ピンチをただのピンチと捉えて目先の対処方法を知ることに追われるのではなく

ピンチをきっかけに生き方を変えて行く

くらいの、物事を変えて行く意識が必要なのではないでしょうか。

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