歳をとることはレギュラー番組を増やすことだ
なんて。まだ感覚的で、理屈に落ちてない言葉を
気がついたらレギュラー番組を持っていた私が言います。
いま、大津のラジオの番組を月一で持っていて、ライブ配信番組も近所の不動産やさんの田中さんと始めました。
あとは仕込んでいる案件が、現在数件。
いま、時間の使い方でモヤモヤすることがあって
会社を辞めて五年、いろんな仕事をしてきて、いまわかるのは
労働力がそのまま換金されるわけではなく、お金にならない時間が多いこと。
お金は、時給とか月給とか労働力で貰う、という概念がバイトや会社員のときから染みついていたけど
お金=労働力収入じゃないと最近、自分の状況で認識する。
労働してもお金が入らない状況と、労働しなくてもお金が入ってくる状況とがあって
労働力=収入とは別の論理で動く成長痛で、私はいまモヤモヤしているのかもしれない。
価値をつくれたら労働していてもしなくても、お金がくる。
労働力と引き換えにしなくても収入が入る状況(株や投資以外)は
会社員や組織で昇進したら手に入るものだと思っていたら、フリーランスでもそうなる傾向があるみたい。
そうなってみるとお金の流れの概念も変わってくる。
お金は、
財産や権威だったり(そりゃ沢山あると強いし、色々できるけど)
自分の癒しや充足のための対価だけじゃなくて
その人やサービスに対して価値を感じたから、渡すバトンなのかもしれないとも思う訳で。
お金は、未来をつくるバトンを
渡し続けるためのインフラだと思う。
で、労働力担保じゃないところに足を踏み入れかけている私は
もしかしたら、生かされているということは、
未来をつくるバトンを、いろんな人に渡してもらっている状態なのでは、と思う訳で。何をする?とか、何の価値を主張する?とかそういうことを最近、自問自答している気がする。贅沢でありがたいことだ。
体力はこれから衰えるし、若いひとに劣る労働力最前線はほどほどにして
バトンを意識しなきゃ。
お金は未来をつくるバトン。