思考し知識を得ることの楽しみ【LikeAroom002感想】

LikeAroom002が始まり、そして終わった。
夢のように濃密で、1年待ち続けた時間を裏切られない1週間を過ごした、そんな風に思う。

LikeAという作品の何がわたしの心に刺さったかといえば、【美しさ】と【妖しさ】のコントラストな気がする。
【美しさ】は舞台演出・美術・登場人物(俳優)の造形・音楽・照明・衣装、LikeAを作るその全てが美しい。

 今回のroom002は、意図して割と引きで観ることが多かったけれど、舞台上のシーン全てまるで一枚絵のようにバランスの取れた配置と色使いだった。

【妖しさ】は001のときから感じていたもので、死の匂いが濃厚に漂うOP、言葉遊びのような台詞に、登場人物や背景の関係性。統一されているようでちぐはぐにも見える設定に、登場人物の安定していない情緒。演劇らしいといえばそのように思えたし、また、自分の理解出来るもの、観たもの全てがこの作品から捕らえられる全てのようには思えなかった。

例えるなら、ボタンを掛け違えたシャツを着ていることはわかるけど、何番目のボタンを掛け違えているのか、あるいはボタンを掛け違えて着ることが正解のシャツなのか、わからないような感覚をこの1年何度も001を観て感じていた。
その【妖しさ】は002でより形がはっきりし、舞台としての【笑い】と【悪意】のコントラストが想像以上に強まって、初日に足を運んだ際はあまりの衝撃に立ち上がれなかったことを思い出す。
001を観たからこその衝撃もあった。【悪意】を感じさせようという制作側の意図的な【毒】も感じたし、でもその【悪意】は001を観ている側からすれば、衝撃ではあったけれど、嫌なものではなかった。この作品には【毒】があり、【生】や【死】や【性】がある。むしろ待った甲斐があったなあとすら感じさせられたし、だからこの世界観が好きなんだなと改めて知ったことでもあった。

LikeAの面白いところは、観方・捉え方に正解も不正解もないところだと思う。
わたしはこの作品を観て、まだ捕らえられるものがあるのではないかと目を皿のようにしてセットを見、立ち位置や関係性を見、台詞や歌詞を聴くなどしていたが、そんな重箱の隅を突くようなことをせずとも、目の前にあるものを素直に受け止めるだけでも十分に楽しめる。
何しろ全てが【美しい】のだ。先述した一枚絵のような舞台美術や演出はもちろん、意図的に選出したのであろうそれぞれ違う美しさを持つキャスト、楽曲も素晴らしいのはもちろん、それを歌うキャストの歌の上手さ。その上手さもそれぞれ方面が違う。方面が違ってもそれぞれが上手ければ美しいユニゾンになるのだと知り、驚き感動し、なんて贅沢なんだろうと思った。

今回初めてLikeAを観劇した友人は、「いろいろな謎や裏があるのだろうとわかっているけど何もわからなかったしただただ歌が上手いし綺麗で面白かった」と言っていて、正しい感想だなと思ったことを覚えている。
インパクトと説得力のある美しさと上手さに隠されているのは、この作品が【ミステリー】と名乗っている所以の【謎】であるのだなと気づかされ、まるでマジックのような作品だと思わされる。グランドイリュージョンを観たときの感覚と似ているなと002では思った。大きな謎を、より大きな衝撃で隠す。
映画と違うのは、これは舞台で、なおかつ続き物で、その謎の殆どは解決しないまま衝撃を残し、美しい演出と歌で目くらましさせられ、謎を次回へ持ち越されてしまう(あるいはこの中で見せているけれどパッと気づかせないようにされている)ということ。
前回も『上手いなあ』と歌や演技や演出、様々なことに感じたけれど、今回も家に帰り衝撃に落ち着いたあと、更にそう思ってしまった。
若手で歌が上手い役者、演技が上手い役者、ピアノの生演奏に、スタイルが良く動きにキレのある役者の華やかなダンス。歌や演奏やダンスは確かにキーだけど、観ているとこれはミュージカルでないのがわかる。言うなれば音楽劇だ。
演技は、役者が若いだけに荒削りに見える部分もあるけれど、役は役者への当て書きであったり、役者へ寄せて作られているため、そこも含めてそれぞれのキャラクターの表現となっているとも思う。
また、役者それぞれにこの作品の『謎』や『秘密』(あるいは嘘)を伝えられている尺度が違い、役として本当に互いに謎を探り合う関係、知る関係、知らない関係であることも舞台としての魅力だと思う。
インタビューやブログ、対談などで役者陣がこの作品について語っているものを読み、この作品は『演じる』ことはもちろんだが、『秘密』を持っている役者はそれを守る責任を負うことを知った。しかしそれは知らない役者もそうであると思う。『知らない』という責任も負う。それは他の舞台ではなかなか無い責任だと思う。
今回は特に、『知る者』と『知らない者』のコントラストも強調されていて、それも観る側の絶望感を駆り立てられた。
演出側は良くこんなことを思いつき、とても難しいことを実行しているなと本当に感心する。それは舞台としての深さと厚みに繋がっていて、こちらが舞台を読みこみたくなる要因だ。

今回の002、わたしは久々に同じ公演を何度も観た。毎日観ても毎日感じ方が違い、視点や考えを変えることや、言葉や行動の本当の意味を考えることが楽しかった。
更に座組自体がどんどん変化していき、座組、そして役者の成長する瞬間を何度も目撃することとなった。役者陣に若手が多いこと、そして座組が若く柔軟で、オリジナルシリーズの2弾目のため関係の結びつきが1弾より深くなっていたことなど、そういった様々な要因があったからこその成長の瞬間だった。

わたしはエンターテインメントが好きで、ライブに足繁く通っていた時期もあれば、同じ映画を何度も観たり、こうして舞台に通ったりする。
世の中の大多数のひとには、衣食住ではない、そういったエンターテインメントやカルチャーは、生きていくためには【絶対】ではないものだ。
でも、ひとは生きていく中で何かしらを思考して知識を得たり発見することに面白さを感じている生き物で、それは人生だったり、生活であったり、趣味であったりする。
わたしはLikeAの【毒】や【美しさ】や【謎】が加わった自分の生活や心は、豊かに、そして楽しくなったように感じている。
生きていくなかで絶対に必要なものではないけれど、生活や心や思考が豊かに楽しくなること、これがエンターテインメントを感じることの醍醐味だと、改めて実感した。

今年もわたしは色々な舞台を観にいき、感銘を受けることとなるだろう。
しかし、去年のLikeA001がそうであったように、LikeAroom002もやはり自分の中で特別な舞台であることだろうと思うし、最終日の成長やあのスタンディングオベーションの景色、役者の照れくさそうで泣き出しそうに見えるほど嬉しそうな若い顔を、忘れられないことだろう。
また003で、あの景色や、初日の立ち上がれないほどの衝撃を味わえますように。


余談だけども今回の公演中、わたしはとんでもない風邪を引き、熱がカンカンに上がり、熱が上がる際に見る悪夢は全てLikeAroom002の夢だった。悪夢になるくらい、悪意のインパクトはわたしの中で強く、しかし夢の中でもあのステージを観ているようで嬉しかったなと思ってしまったくらい、日々はLikeA002に溶けていた。

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