見出し画像

クロードと一緒に ネタバレあり感想

クロードと一緒に Cyan
https://www.zuu24.com/withclaude2019/

以下ネタバレあり感想。

とにかく観に行ったひとの評判が物凄く良いのと、わたし自身『赤レンガ倉庫を選ぶ、イメージをしっかり持った舞台ってどんなものだろう』とわくわくしながら足を運んだ。
本当はCyanとBlanc、両チームとも観たかったが、いかんせん横浜は遠いためCyanのみの観劇。


演劇というものは割と最初はピアニッシモから入ってゆっくりと観客を舞台の世界に馴染ませてくれるものが多く、観る側にとって易しく作られているものだったのだと開始の暗転が明けて、今まで観てきた優しい世界を気づかされた作品だった。

暗転が明ければもうそこは、カナダ・モントリオールの裁判官執務室。36時間、事件解決に向けてなんの答えも出ない会話を続けてきた刑事と『彼』の苛立ちに塗れている。
先ほどまで細やかな騒めきを纏った赤レンガ倉庫のホールにいたわたしはその苛立ちの空気の中に突然放りこまれた。
あらすじは確認してきているが、こんな風に初っ端から放りこまれるとは思わず、動揺しながら彼と刑事の会話に耳を傾ける。
とにかく長く複雑かつ、取り調べのため執拗に同じことを繰り返される会話は、1度の観劇では全て捉えきれないし理解が出来ない。でもたぶんそれで良い。

被害者を殺し、警察へと遺体の場所を連絡し、そしてここに立てこもった『彼』の足取りと行動を尋ねる刑事に、もう何べんも言った! と声を荒げながら何度目かの説明をする『彼』。
そこから長い長い会話劇で、硬く閉じた花弁を時間をかけてめくるように、物語は進んでいく。
『彼』こと殺人を犯した男娼イーヴは、その動機について刑事から執務室で執拗に探られている。
イーヴは、育った環境、生活環境から、あまり学はないようで、でも頭の回転や知能は高い人物のようだった。
苛立つ子どものような話し口調や、『ぼく』という一人称、刑事の苛立ちを退屈そうに受け流す床への寝そべりだとか、本をぱらぱらと捲る姿に、幼さを感じる。
会話は、殺人を犯した日のイーヴの行動や育ちをさらうような流れ、それからイーヴが殺した相手、クロードの話へと移る。文学を学んでいたクロードの日記には、この1ヶ月、文学作品の比喩をもって、イーヴのことが綴られていたと、イーヴがクロードを殺した動機を語らせようと、刑事はイーヴに伝えた。しかしそれを聞いてイーヴは、「読みたい!」と嬉しそうに声を上げ、自分の意図が伝わらない刑事はイーヴに更に苛立つ姿が、ちぐはぐで引き込まれた。
また、クロードのガールフレンドの話を語り出した刑事に対してのイーヴの取り乱しぶりが、印象深かった。それまでは対して何にも興味を示さず、行動を語ってもはっきりと覚えていないことが多いのか曖昧な供述も多かったイーヴの、感情を覗かせるシーン。

それから。自分の名前も、家族も、生い立ちも、両親の死亡理由も刑事が知っているとイーヴが知ったラストスパート、クロードとの出会いを聞かれたイーヴの、長い長い一人語りが始まる。

イーヴとクロードの偶然の出会い、体を売っていたイーヴが、酔ったクロードに声を掛けられて買ってもらい、でも家に行ってもカナダの生活の話ばかりして、やっとベッドに入ったクロードは、なにもせずに眠ってしまったこと。いつもなら何もしなくても貰って帰るお金は、その日はじめて置いて帰ってしまったこと。自分のしたことなのに驚いたように、未だにその行為の意味が自分でわかっていないように興奮して話すイーヴに、切なさを感じた。
1ヶ月間の蜜月のようなクロードとの交わり、絵本を読んでもらったこと、イーヴにとってクロードはおひさまの様な存在に感じていたこと、「きょうだいになりたい」と言ってもらえたこと。
それからイーヴにはわからない、文学の本を2ページほど、読んでもらったこと。
イーヴは、自分の『男娼』という仕事を、食べるのための手段とわかりつつもとても嫌悪していて、たまに無性に自分のことが嫌になってクロードに話してしまう夜があると、痛みと嫌悪を帯びた表情で語る。そんなとき、クロードは「よしよし」と頭を撫でてくれる、と照れたような、懐かしいような表情で話していた。
話している最中、取調べ中刑事から雑に扱われたことを思い出したイーヴが、男娼という仕事は、寝るまではどんな男も全財産あげてもいい、と甘やかしてくるけど、行為が終われば虫けらのように扱う、さっきのお前と同じようにとイーヴは言った。
それを聞きながら、大なり小なり、女も割と高確率で男から性行為の前後に受けている行為だよなあ、と胸の心地が悪くなった。
イーヴがクロードを殺した日の話は、イーヴはまるで夢のように幸せなことを話しているように、興奮していた。
たしかにそれは夢のように幸せだったことなのだろう。イーヴにとっても、きっと、クロードにとっても。お互いの愛をお互いに手に入れて、溶け合ってひとつになった、そんな時間だったんだろうから。
殺人の手順を話しているはずなのに、その話口調も表情も、まるで惚気のようだった。

「ぼくなのか彼なのか境目がなくなって本当に、何度も同時にいきそうになってその度に2人で笑って、わからないか、同時に、本当に同時にいきそうになる瞬間があるんだよ。それで、一緒にいきそうになった時にテーブルにぶつかって、皿が落ちてきて……いや皿はテーブルに乗ってた。グラスか、グラスが落ちてきて、ぼくと彼の頭の上にはステーキナイフが落ちてきて、それで、ぼくはナイフを手にとって……彼と一緒にいったのと同時に、それで……」

「未来が見えたんだ、瞬間。彼も同じものが見えてたのかな。未来が……この部屋から出て、その先今まで通り生きてくことが想像できなかった」

大切で暖かい日々を話すイーヴは表情豊かで本当に嬉しそうで、呆然と頭を抱えて項垂れる刑事との対比が、なにが現実なのか知らしめるアンカーとなっているように思えた。

イーヴは刑事が思っていたように、育ちが憎いだとか気が狂ったとか、クスリをやって飛んでいたとか、そんな理由でクロードを殺したのではない。ただ、これまで愛を知ることなく育ち、これからも愛を知ることのないイーヴが、手に入れたクロードという愛、刹那を永遠にするため、イーヴが選ぶことができた手段だったのだろうと思う。
今まで愛を知らなかったイーヴが、世の中の人間の大多数は愛を知っていることを知らずに、クロードとの愛の交歓の感動を語る姿は、愛おしくも痛々しく、切なさを感じた。
イーヴに学があれば、別な形で先になにか愛を知る経験があれば、ステーキナイフが落ちたのがクロードの側であれば、そんなことを考えずにはいられないほど、切ない愛の物語。

イーヴがクロードと出会ってから殺し、そこから今に至る足取りを全て改めて話し、「これでぼくの話はおしまい」と唐突に物語は終わる。
見入ってたわたしは、物語の余韻なく赤レンガ倉庫の劇場へと放り出された。作内で昇華することの出来なかった感情は、劇場の雰囲気ある廊下や、赤レンガ倉庫の異国感、横浜のまちの光、やわりと香る潮の匂いと交わり、わたしの胸の中に、衝撃と切なさを残しながら揺蕩っている。

情報量も多く、感情を深く吐露する会話劇。心に突き刺さる台詞がいくつもあり、演じる役者の技量や度量、美しさ、そして演出や会場選びの素晴らしさを感じる舞台だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?