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自叙伝~生涯路程から

私は子供の頃から偉人伝・伝記や格言・名言を読んで印象的な言葉を書き写したり、線を引いて読んだりすることがありました。

それは特別変わったことではないことと思っていましたが、
心の書写に出会い、自叙伝などのみ言で印象に残ったところを書き写しているうちに、
心の声に共鳴して書いていたのだな、と思うこともありました。

一ヶ月振り返って読み返してみると、心が穏やかになり牧会されることも多く、恩恵に感じています。

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今日はなんの日と、自叙伝 訓読の恩恵~

~神と自由のバンケット
1985年8月20日ダンベリー刑務所完全出監

人類の涙をぬぐう平和の母📖一部

『こういった非難や反対の声は、私たち夫婦に、いつも影のようについて回りました。特に1970年代、ワシントン大会がきっかけとなり、アメリカで「統一原理」が燎原の火のごとく広がると、私たちに反発する組織的な動きが出てきました。』168P

『同じように、文総裁のダンベリー刑務所での獄苦は不幸なことでしたが、私たち夫婦はそれを勝利へと変えました。』174P

『それまでで最もつらい期間でしたが、一方では最も感性が鋭敏になり、愛と慕わしい情が深まる日々でもありました。夫にとってもまた、切ない心情を分かち合う日々だったことでしょう。』175P

『夫は早朝五時に祈祷を終えると、刑務所の公衆電話で電話をかけてきました。そうして私と挨拶を交わすのが、一日の日課の始まりでした。』175P

『私が何よりもつらかったのは、当時、文総裁が既に六十歳を超えており、アメリカという異国の地で刑務所生活をするのは、容易でなかったということです。

しかも、有色人種である上に新興宗教の指導者だという理由で迫害が加えられていたため、私の心はより一層、痛みました。

また、末の子供である情進がまだニ歳を過ぎたばかりだったので、私は心身共に、非常につらい思いをしました。そのような中で、文総裁のいない空白を、私が代わりに埋めなければならなかったのです。』172P

『無念の獄中生活ではありましたが、文総裁は模範的な態度と勤勉さで、服役囚たちに深い感動を与えました。

彼らは、初めのうちこそ
「東洋から来た異端宗教の創始者」
と言ってあざ笑い、文句をつけてきましたが、ほどなくして文総裁を真の師と仰ぐようになりました。文総裁は怨みと憎悪、争いが支配する刑務所を、愛のあふれる場所につくり変えたのです。

服役囚たちは文総裁を「獄中の聖者」と呼ぶようになり、看守や刑務所の管理者たちまでも感服させるに至りました。

こうして、文総裁は模範囚として1985年8月20日、自由の身になったのです。』179P

1984年7月20日~1985年8月20日ダンベリー刑務所完全出監~

“ダンベリー刑務所に響き渡った勝利の歌”

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