抑止戦略について聖書が語ること

抑止力について参照される聖書の箇所といえば、ルカによる福音書14章31-32節「また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうかを、まず腰を据えて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵の王がまだ遠くにいる間に、使節を送って和を求めるだろう。」が有名。シチュエーションとしては、「侵略者の平和主義」ぽいが、広い意味では抑止戦略と受け取れるだろう。

しかし、Dr. Shmuel Barは抑止力を突破させるのが信仰あるいは神の意志だと指摘する。「宗教的動機、特に直接的な神の命令は、一般的な社会的および文化的タブーのため、あるいは同様の措置が報復で実施されることが予期されるために、とりえないはず敵への措置を取ろうとするときに、しばしば現れてきた。この初期の例の1つが、アマレクの例である。」「その結果、サウル王は預言者サムエルから、男性、女性、子供を含むアマレクのすべての人々を殺すように命じられ、聖書の物語によれば、そのような極端な命令を果たさなかったために自らの王国を失う。サウル王の考慮事項の1つが、将来の紛争を和らげる必要性と報復のサイクル(現代の抑止用語での第2撃)の恐れであったのは当然のことである。しかし、アマレク人全員を滅ぼすという神の戒めは、この合理的な戦略的考察を覆した。」

抑止戦略を無効化するのは、敵が抑止力よりも神の意志・信仰を優先する場合だと指摘する。抑止戦略は敵もまた合理的思考にしたがって行動することを前提とするが、神はその合理性を吹き飛ばす。



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