「下斗米伸夫: ウクライナ危機以降のプーチン体制と東方シフト」の「3.東方シフト」以降部分

以下「下斗米伸夫: ウクライナ危機以降のプーチン体制と東方シフト」の「3.東方シフト」以降部分


3.東方シフト


以上の変化が、ロシアの東方シフトを加速するのか、それとも停滞させるのか。ここでは二つの選択肢があり得る。第一は、クリミア併合や金融制裁などで財政金融難に当面したプーチン政権は大幅な東方への投資計画を断念、したがって北極海や極東を含む各種のプロジェク1、を断念せざるを得ないというものだ。第二は、逆にウクライナの「脱露入欧」などで西側からの「脱欧入亜」をせざるを得ないプーチンは、トルコ、インド、中国、日本などへの接近を深めざるを得ないというものである。

この問題を占うのは最近のロシア政府内でのヨーロッパか、アジアかをめぐる論争であり、なかでも「ロシアはヨーロッパでない」というウラジミル・メジンスキー文化大臣の一連の発言が話題をよんだ[7]。メドベージェフ首相も「ロシアはヨーロッパ」といいつつ、しかし「アジアに注視している」ことも付言した。ウクライナのヨーロッパ志向が明確になるにつれ、ロシアの「脱欧入亜」をめぐる議論もまたさかんになっている。ラブロフ外相は、11月外交安全保障評議会で、ウクライナ危機後のロシアの役割をアジアとョーロッパとの媒介と評価している[8]。外交的には、ロシアが外相のいう「キリスト教」を基盤としたものとなる以上、ヨーロッパから断絶することはありえないが、ウクライナが脱露入欧する度合いに応じて、ロシアが「脱欧入亜」、つまりはロシアの東方シフトが起きよう。

東西のアイデンティティ論争は経済の発展方向をめぐる議論に他ならない。とりわけヨーロッパ経済の混迷に加えて、サウス・ストリーム=パイプライン建設が中止されるとなるとエネルギーを含めた東方シフトは加速される。メルケル首相はこの案の再開を示唆、ブルガリア政府も同様に態度を変化させているが、基本的にヨーロッパ経済の低迷がロシアのヨーロッパ統合への意欲を減退させている。

他方11月の北京でのAPEC首脳会談時にはアルタイ・パイプライン建設が合意された。5月に合意されていた「シベリアの力」などと併せて将来はロシアのエネルギーの4割が東方を指向することになろう。ラブロフ外相は先の11月会議の発言では中口関係は「テクノロジー的同盟」を目指すという。日本との関係では日米同盟を牽制する発言をしているものの基本的関係は好調であることを指摘する[9]。もちろん、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国)諸国全体が一気に反米に傾き、米ドル離れするようなことはない。それでも事態の進展によっては基軸通貨ドルの威光に陰りが見えることになりかねない。事実、BRICSはBRICS開発銀行、アジア・インフラ投資銀行(ALIB)を2015年に設立することで合意している。後者では中国が資本金の半分を負担する予定で、中国が主導する独自の金融システムを模索する動きが具体化しつつある。ただ問題は、経済の停滞でBRが脱落、中国、インド経済のみが残る可能性がある。

とくにインフラ整備での投資についてはブレトンウッズ体制、つまり欧米に対抗する中国の意図が強まろう。当然長い歴史を持つ欧米主導の金融システムが、すぐに転換するようなことはないとしても、少なくとも対抗措置の意味はあろう。ここで制裁下のロシアもまた一定の役割を演じる可能性はある。

一方でロシアは、関税同盟を結ぶカザフスタンやベラルーシとの関係も盤石というわけではなくなっている。現にカザフスタンでは、ナザルバエフ大統領が関税同盟脱退をほのめかした。ロシア世界優先というプーチン系の強硬姿勢にも困惑している。そうでなくともカザフスタンの資源の4割以上が中国の手中にあるとロシアの専門家は見ている。

このエネルギー紛争をーつの契機として、ロシアではヨーロッパ中心だったエネルギー輸出を改め、東アジアにシフトする動きが強まった。もちろん、中国経済が急速に台頭したこと、2011年の原発事故をきっかけにして、日本での天然ガス需要が高まったことも影響している。今回のウクライナ危機はさらなる決定打であり、急速に東方シフトが進んでいくだろう。実際2015年1月、プーチンのアジア政策に決定的な意味を持つA・トルクノフ=モスクワ国際関係大学学長がアレクサンドル・パノフ元日本大使とサハリン=日本間のパイプライン構想実現を『独立新聞』で提言していることはきわめて重要である[10]。

また北朝鮮の統合を促す目的もあって、2015年5月に訪露が決まっている金正恩とプーチンとの会談で韓国に鉄道や縦断パイプラインを通すという構想もある。これは中韓接近への牽制という側面も見逃せないが、極東ウラジオストックの自由港化という戦略とも絡んでいる。北朝鮮企業が今年からロシアのルーブリ決済を進めることになった。

日本とのガスパイプラインも原発や代替エネルギーよりも安価で確実なエネルギー源となり得る。世界のLNGガスの半分は日本と韓国が使っていると言われるから、北東アジアに天然ガスをパイプラインで輸送することは、日本にとって価格交渉という意味でも重要であろう。事実、石油も天然ガスもおよそI0パーセントをロシアから輸入している。イスラム国など中東危機が深刻化する今日、もはやロシアを抜きにして、日本のエネルギーは語れなくなりつつある。

エネルギー大国であるロシアは、「北のサウジアラビア」を脱却したいという思いからエネルギー以外の産業育成を多角的に志向するようになった。プーチン政権が目指しているのはエネルギー輸出の強化だけではなく、ハイテクやITなどによる経済の近代化・多角化である。もちろん制裁下で農業などの輸入代替が進む。だが経済の近代化・多角化を行うためには、支援を受けるためのパートナーが必要である。ロシアが期待する技術支援は中国からはあまり期待できない。


北極海航路


日本重視のさらなる根拠として、北極海航路についても触れておこう。地球温暖化の影響もあって、航行が制限されてきた北極海が、現実的な航路に生まれ変わることが期待されている。現在、ユーラシア大陸の東西を結ぶ主要な航路は、マラッカ海峡から紅海を抜けてスエズ運河を通る伝統的な南ルートであるが、いまや中東危機や海賊対策などを考慮すると必ずしも最適ルートではない。まだ可能性の段階であるが、仮に北極海航路が順調に開拓されれば、短い時間でユーラシア大陸の東西が結ばれる。北極海は天然資源の豊富さだけでなくテロ対策という意味でも魅力的だ。北極海航路にはイスラム過激派も海賊もいないことから安全性も高い。難点は冬期の不安定さ、砕氷船などのコスト、それに制裁である。

とりあえずはヤマル半島のLNGなど北極海周辺に眠る豊富な地下資源開発との絡みで北極海航路の開発は盛んになろう。当然ながら日本も無関係ではない。こうしてプーチンのロシアは、「東方」とならんで「北方」を志向しているのが現実だ。この「東方」における極東開発と、「北方」における北極海開発が組み合わさったとき、きわめて重要な地理的ポイントとして浮上してくるのが、北方領土を含む千島列島である。北極海からアジアの国々へとエネルギーを輸送するには、ベーリング海から千島列島、オホーツク海を経て宗谷海峡を通り、日本海に至るルートが最短かつ有望となる。つまり、千島列島は北極と南部へのゲートウェーであり、ロシアの海の東方シフトは日本がカギを握ることになる。

もっともロシアにとっては中国との関係改善もきわめて重要である。ウクライナ危機による対口制裁以降、ロシアは中国への依存を金融面でもエネルギー輸出でも、そして国際舞台でもより深めようとしているからだ。2015年末にプーチン大統領が署名した「軍事ドクトリン」では上海協力機構との関係が強く強調された[11]。エネルギー輸出でも、ドル決済から離れつつある。もっともそれはロシアが人民元の世界に取り込まれることをも意味する。プーチンは対中で自立の道を探っているが、5~7年後には中国に従う立場になってしまうという観測も有力な政治学者に存在する[12]。

それは日本外交にとっても大きな機会であると同時に試練となろう。ロシアの中国シフト、が進めば進むほど、日本は中国とのバランスを失うからだ。そしてこのことは日米関係にとっても好ましくない。むしろロシアと日本とが正常なパートナーとなることが東アジア全体の安定に役立つ。このためには対ウクライナでの建設的役割を含め、むしろ対口関係をレベルアップさせる必要があろう。こう考えると日本としてロシアとの関係全般の改善が課題である。現代の超大国・中国を含む東アジアにおいて、ロシアというプレーヤーもますます重要になってくる。そうした東西の地政学的差異をG7諸国にも説明しながら、日本は対口政策を深めることができよう。その成否が、アジア、ひいてはグローバルな安全保障の確保にもつながろう。


一注一

1.         http://www.kommersant.ru/doc/2634179 (2015年I月I日閲覧)

2.         The Econornist,24 January,2015

3.         http://www.levada.ru/category/tegi/putin

4.         Bedomost,22 Novernber,2014.

5.         2015年I月2日付, Bloomberg

6.         http://news.kremlin.ru/media/events/files/41d527556bec8deb3530.pdf (2015年1月4日閲読)

7.         http://www.udprf.ru/press-center/soobsch-smi/2014-07-05

8.         http://trueintform.ru/rnodules.php?name=Video&file=article&sid=74479

9.         http://www.mid.ru/brp_4.nsf/newsline/DC5FF1F877264I7FC3257D98005I8D9A (2015年I月4日閲読)

10.     http://www.ng.ru/econornics/2015-01-13/4_japan.html?print=Y

11.     http://news.kremlin.ru/medialevents/files/4Id527556bec8deb3530.pdf (2015年1月4日閲読)

12.     フョードル・ルキヤノフ氏とのインタビュー、2014年9月16日

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