『ソーシャル・ネットワーク』を見ての感想
こんな話
facebookが生まれて、マークザッカーバーグが成功するまでの紆余曲折を2時間にまとめた話。親友サベリンとの決別、ライバル(?)的なウィンクルボス兄弟とのトラブルなどなど。
結果が全て
映画の話は、時系列的にマークザッカーバーグが訴訟されているところからスタート。
登場する共同創設者のエドゥアルド・サベリン(マークザッカバーグの学生時代の親友)が追放される。→マークザッカーバーグが訴訟される、という流れ。
サベリンは、CFO(会社の財務のトップ)で、最初、広告主や出資者を求めて奔走していたけれど、全然お金を取ってこれなかった。
これに対して、マークザッカバーグ(か、その黒幕の誰か)はサベリンを株主から追放。
一方で、別の登場人物の雇われエンジニアが何度かシーンに出てくるが、毎回「コード書け」「彼は仕事中だ」などなど、とにかく雑に扱われている。
サベリン=結果出していない役員、モブのエンジニア=雇われ人
という構図を感じて、やはり、給与で雇われていない人(年俸や成果報酬など)は、結果出してなんぼなんだなと思った。逆に、雇われ人は、結果出してないからクビ、という厳しさはないかもしれないけれど、逆にキツいまま働き続けているという意味で、それはそれで大変。
なんにせよ、管理職であったり、なんらかの長として権限と責任がある=とにかく結果出せ ということだろうな、という。
自由には結果責任が伴うのだなぁ、という教訓。
もちろん、雇われで終わりたいくない人だって、同じように「結果出せ」という話になる。上司や同僚に何言うにせよ、なんらかの影響力や権限を求めたり、変化を起こしていこうという人には「結果」が必須の条件なんだろう。
説明責任というか、筋を通すのが大事
追放されたサベリンと、マークザッカーバーグは、もともと親友。
この映画、前述の、「結果出せ」の話と、「友情」の対立軸があったように思う。
サベリンが追放されたシーンで、最初サベリンは意気揚々とfacebook社に出社、呼び出されて弁護士的な人に「これにサインを」と言われ驚愕。激昂し、マークザッカーバーグのPCを破壊、黒幕っぽい"ショーン"が登場、ショーンがサベリン追い出す。
そこで、マークザッカーバーグがショーンに「あれはやりすぎだ」と、2度言った。
マークザッカーバーグの中でも、やっぱり「友情」と「結果」で揺れていたんだろうなぁと思う。
追い出すにしても、話を尽くして伝える必要があったのでは、と思う。
日本的な『筋を通す』ということが大事だったように思う。
〜まとめ〜
これは自分に向けて言うのだけど
熱狂できる何かに鬼のように打ち込み、「まず結果出せ」
そして
大成功しても自分におごることなく、「筋を通せ」
と。この2つを教訓として得たと感じた。
まずは無名で何者でもない自分から、結果出して何者かになった自分に、なろうと思った。
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