確実な変化

昨年2018年3月末にスタートした3行日記はわずか90日程でウダウダになって終了した。最後の6月はほぼ日記が歯抜けのような状態だったので、実際まともにできたのは45日くらいだった。

約4ヶ月のブランクを経てその年の11月末に再び3行日記をスタートさせた。まさに”強くてニューゲーム理論”体現するかの如くスタート。2度目は習慣化に成功した。そして今週、半年間継続突破を果たした。前回の4倍以上の期間きっちりと3行日記を継続できている。

今回のトピックは継続でいかに素晴らしいという話ではなく、日記の内容に対する確実な変化に気づいたので文章にしてみた。。昨年の4月17日の3行日記と今年4月17日の3行日記を見比べたとき、そこには明らかな変化の違いを発見した。

昨年の4月17日の日記は1行の長さも短ければ、その文体から明らかにめんどくさそうな筆圧が感じられた。その字から滲み出る当時のエネルギーのようなものはまだ未熟さを露呈しているようだ。

またただ起きたその日の事象・出来事を埋め合わすかのようになんとなく書いているだけの印象が拭えない。これは1年前と言えど全く同一人物なのかと言わんばかりの人格の差を感じた。とどめは夕方の時間”何をしていたか記憶がない”と書いてあるではないか。

さすがに1年後の自分が読み返して呆れてしまった。

今年は1行に対する感情や、反省、また良かったことなど文章に未来への展望を感じさせる内容がかかれいる。

そのため、同じ夕方の時間に対しても有意義に時間を使っていることが顕著だ。本音を言えば夕方にもっとパフォーマンスを上げて質を高めることが出来たらなという思いもあるが、去年と比べたらその意識の高さとパフォーマンスは雲泥の差だと言えるのだ。

この3行日記は日々の中では気づかないが振り返ってみると、確実に進化していることがわかった。習慣としても完全に定着している。その質をさらに高めて1年後、3年後、10年後日々進化する軌跡は今日の1日を大切に積み上げていくことだと実感した。

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