天国から届いたバトン
素敵な出会いがありました。。。
皆さんこんにちは。わっきーです。本年もよろしくお願いします_(:3」z)_
少し昔話を。。オレは大学時代を京都で過ごし、そのまま故郷の和歌山には帰るつもりも特にないままに9年の時が流れていました。とは言え、いつまでも根無し草という訳にもいかず、なんとなく「高校の先生でもやってみようかな」程度の考えで恩師に相談したところ、「ある高校で急遽空きが出来てしまったので、和歌山に戻ってこい」との話。何の準備もないままに和歌山へ戻り、週末は少しずつ引っ越し作業という慌ただしい毎日が始まりました。
その時、元々おられた先生が急病で長期離脱されたので、その代打として講師になった次第です。その先生がサッカー部の顧問だったことから、サッカー経験ゼロのオレが、そのままサッカー部の顧問になってしまいました。。当時のその高校は県内でも強豪で、外部コーチの方が熱心に指導をされていました。引率くらいしか出番がなく、退屈だったオレは道具一式を揃え、部員たちと一緒にサッカーをする毎日を過ごし始めました。
今、自分のチームで「オレたちは、サッカーが好きだという気持ちの表現者であろう!」とよく言いますが、その原点はこの日々にありました。日増しにサッカーの楽しさの虜になっていき、もっと深く深くサッカーに関わりたいと今なお願い続ける、その始まりの日々でした。その後10数年間、忘れることなく、色褪せることなくオレの中にある輝きです。本当に感謝しかないです。
それと同時に人には秘め続けてきた思いがあります。
この機会があるのは、病気で離脱された先生がいたからであり、それは喜ぶべきことではないと。もちろんその先生の快復を願いつつ、けど復帰されるということは輝かしい日々が終わるということ。病状が快方に向かい、一度グランドに姿を見せられたその先生に、選手たちが向ける嬉しそうな視線が忘れられないです。そうか、きっと先生が快復されて、オレの日々が終わる、それがあるべき姿なんだなと思いました。
程なくしてその先生は亡くなられました。
お別れの場に、どこか他人事のようにいる自分。人目もはばからず涙を流す方々。ああ、ものすごく愛されていた方なんだなと改めて思いました。色んな方が思い出を語るのを聞きながら、サッカーを心から愛し、全力で駆け抜けた方なんだなと思いました。この時オレの中で密かな決意が生まれました。
あなたの分もやり切ってみせます。オレにサッカーとの出会いをくれた、その恩を全力で返します。
ちょうどその頃、先生の息子さんが高校でサッカーをしていました。別の高校でしたが、とてもよい選手で活き活きとプレーしていたのをよく覚えています。当然自チームとの対戦なんかもありましたが、声をかけることも出来ずに避けていたと思います。せめてもの活躍を願うことしか当時の自分には出来ませんでした。
月日は流れました。オレも今では皆さんから温かく接して頂きながら、少しはサッカー界に貢献できていたりするのかな?とちょっとだけ思ったり思わなかったり。。。と、前向きに進んでこれたと思っています。最近ではゲームモデルの公開を中心に、多くの方からもお声かけ頂き、感謝しかないです。。。
そんな中、年末にある方から連絡を頂きました。ドイツに渡ってサッカー関係の仕事をされている方で、Twitter上では「N」さんと名乗られていました。エージェントもされていて、情報収集のためにTwitterを活用されているらしく、頻繁に目にするリラックマのアイコンが気になったそうです笑 オレを気に留めてプロフィールを見ると、粉河高校の先生だぞと。実はその方、隣の高校の卒業生だったようで、一気に親近感が高まりお会いして話でも、ということになりました。
そして本日、午後からお休みを頂き、近所のファミレスで待ち合わせをしました。名前も顔も知らないので、内心ドキドキしながら近付くと、随分と爽やかな好青年です笑
はじめまして、わっきーです!
はじめまして、◯◯です!
亡くなられた先生の息子さんでした。「そうか。。。君だったのか。。。。」握手を交わし、店内へ。オレがあの時お父さんの代わりに来た講師だったことは彼も初めて知ったようで、お互い言葉を失ってしまいました。少しずつオレが話し始めるも、涙が溢れて言葉にならない。。。彼もそんなこととは想像もしておらず、2人して運命の巡り合わせに涙を流しました。同じ人の夢の続きをそれぞれに背負い、それぞれの道で全力疾走をしてきた日々が重なった瞬間でした。
たくさん、たくさん話しました。またそれぞれの道でと硬い握手を交わしながら、「オレたちの今まではきっと間違ってなかったんだね。だから出会わせてくれたんだろうな。そして、ここからもっと走れってことなんだろうな笑」そんな言葉を餞に、少し遠い空を見上げた冬の1日でした。