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徒然なるわっきー②

みなさんお元気ですか??『徒然なるわっきー』第2弾です。ですが、これから書き続けていけるとして(いけるのか?)、書き出しの部分ってなんかこうYouTubeのあれこれみたいに「定型文」みたいなキャッチーなの考えた方がいいんですかねぇ・・・

それは継続できてから言え、という話ですよねわかります_(:3」z)_


今回のテーマは「自分の居場所」についてです。


みなさんは置かれた場所で咲き誇ってますか??自ら咲く場所を選んでそこにいますか??そもそも咲いてますか??()

オレはなんと言いますか、「ああ、ここがオレのベストプレイスだ」というのが良く分かんないまま今に至ります(・_・;


思い返してみれば、「自分のやりたいこと」を見つけた(気になった)時や、「心を許せる仲間」に出会った(と一方的に思ったりした)時なんかは、自己肯定感も爆上がりするし、生き甲斐みたいなエネルギーを全身に感じていたように思います。(この記憶が宇宙人とかに改竄されたものでないのなら)

けど結局は色々な浮き沈みを経て、振り返るとなんとなく均質化した時間がそこにあったりもして、多分これって「時間は振り返ると短く感じる」のと似た理屈で、過去の経験もまた圧縮されてしまったり、時には思い出補正でキラキラしすぎてしまったりするんだろうなぁ・・

まぁ詰まる所、人って結局「今」を積み重ねているだけとも言えるので、その「今」にどれだけ納得したり満足したりできているか、でしかないのかなぁ。


なので、いつも自分にとっての「今」を大切に歩むことを心がけているつもりです。つもり、です。

例えば「家族」とか「仕事」とかといった、自分自身が属している何かを指して「居場所」という考え方もあるでしょう。と言うか、むしろこれが一般的な考え方なのかな。

だけどオレとしては、「在り方」が先に来るのかな、と思ったりもしています。詳しくは書けませんが、今の家族の形になって10年ほどになるけれど、その中での自分自身の「在り方」は大きく変わってきたと思います。語弊を恐れずに言えば「居心地」とも言えそうです。もちろんそれだけじゃないんですけどね・・


収拾がつかなくなる前にまとめていきましょう・・


「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は「なるほどな」と思います。それは「選べなかった環境に不満を抱えて生きるより、そういうものだと受け入れて歩きなさい」という意味ではなく「どのような環境であっても自分という在り方を軸としてブラすことなく力強く歩みなさい」という意味だと思うからです。(ちなみに書籍を読んだ訳ではないので本当はどうかは知らずにドヤってます)

そうやって自分の居場所は生まれていくのかなと_(:3」z)_


ちなみに、もう何年経過したのか数えていないんですが、毎晩のようにFIFAプロクラブ(オンラインサッカーゲーム)で仲間たちに遊んでもらっています。その名も「リラックマーズ」ですが、おそらくここがオレのベストプレイスです()

色々な余裕がある形で死ねるとして、今までの日々を振り返るとしたらきっとリラックマーズの面々とのことは思い出すでしょうね笑


こういう思い付きで何かを書くのって気安くて良いなぁ・・次は何を書こうかな、と前向きに考えられるのもまた良い感じ。


あ、終わり方も考えないといけないな・・

ほなさらば_(:3」z)_

・・・違うなぁ・・・(・_・;

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