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徒然なるわっきー⑧

みなさんごきげんよう。わっきーです(cv:わっきー)

今日(3月1日)は長女氏の卒業式に出席して参りました_(:3」z)_

こないだ入学したと思ったんだけど、最近時空って歪みました??


さて、そんな卒業式ですが、いつもは「主催側」で参加していますが今回は珍しく?保護者としての参加なので、いつもと違った景色を感じながら座っていました。そこで感じた色々を日記代わりに徒然しておこうかと思います。


①オレでかいな
会場入りしたのが割と早めだったこと、開式寸前まで多くの人が設置されていた暖房器具の周辺にいたこともあり、最初着席した時は景色としては閑散としていました。出席番号順に着席&うちは最後尾ということもあったかな。

で、開式にあたって皆さんが着席し、「みなさんご起立ください」のアナウンスとともに立ち上がると・・・

ちょっと待ってオレ頭一つ出てますやん・・・全員の頭頂部が見渡せますよ・・

え?身長だけじゃなく体積も??それは内緒です_(:3」z)_

いやぁ。。最後尾でよかったわ(・_・;


②いるよね、こういう子
国歌や校歌などは放送されるのを聞くだけに今はなっているので、粛々と聞いて終わり、いざメインイベントその1、卒業証書授与となりました。

今は大体、クラスごとに担任が呼名し、1人ずつ返事をしながら起立していくスタイルなんですが、たまにいるんですよね、返事でふざける子。

今回もいました笑

以前は、式典なんだしまぁそこは空気読もうよ、としか思わなかったんですが、今日ふと「ちょっと燃えるYouTuberとかと感覚的には近しいのかな?」とか思いました_(:3」z)_

何というか、良し悪しの話はちょっと置いておきまして、抽象的に言うなら「既存の枠組みを破壊する」という行為は当たり外れは大きいけれど、イノベーション的には必要だったりもするよなぁ・・とか思ってみたり_(:3」z)_

100人中99人が踏みとどまるところを踏み越える、という意味では、そういう感覚を良い方向に向けることができたら可能性は広がるのでは?とか思ってみたり。

何が言いたいかと言うと、「空気は読もうよ」ということですね_(:3」z)_


③心を込めて
さぁ卒業式も最終局面に差し掛かって参りました。いや、ディープインパクトが翼を広げる訳ではないんですけども(・_・;

まずは在校生による送辞、そして卒業生による答辞と続きます。

オレは実は教師生活〇〇年の中で、結構な回数を答辞作成に関わってきました。一部界隈では「ミスター答辞」と呼ばれているとかいないとか・・・

で、よくありがちなのが教師がちょっかい出しすぎて、字面は整ってるけど言葉が一人歩きしてしまっているパターンですね_(:3」z)_あ、いや、今回がそうだったとか言ってないですよますよ(・_・;

ちなみにオレの作成方法は、答辞を読む生徒と1ヶ月くらいかけて一緒に作業をするんですが、まず「自分たちの学年のイメージ」を一緒に探して行きます。そして、そのイメージにあったストーリーの展開を大枠として作って行きます。

そこから、色んな出来事で「君はどう思った?」「友達とどんなことを話した?」みたいにしながら記憶の断片から「そこにあった気持ち」をサルベージして行きます。ある程度整ってきたら、それを文章化するんですが、ここで一定のアシストをする感じです。

だけど、「君の言葉で」というのを一番にしつつ、何度もその言葉、その表現で気持ちは表現できているかな?を確かめ続けます。ここに時間がかかりますが、結果として出来上がったものをオレは「決して練習しないで」と注文をつけます。

それは、卒業式に臨むその時の気持ちも上乗せして、「気持ちで読んで欲しい」からです。上手に読み上げる必要なんてない。あ、読み仮名を打つくらいはしますけどね_(:3」z)_


ちなみに、かつて答辞作成委員会なるものを作り、複数の生徒たちで作り上げた答辞がありました。この答辞、最後にアドリブパートがあって、読み上げた生徒が壇上で卒業生、保護者の方へ振り返り、自分の言葉で、自分の気持ちを、みんなに向けて伝えました。

そこそこ長い教師人生で唯一この時だけでした。答辞を聞いた保護者から割れんばかりの拍手が沸き起こったのは。

その時生徒たちに教えられた気がします。「心を込めて言葉を紡げば必ず響き合う」と。


日本各地でも今日を卒業の日として過ごしている学生諸氏も多いかと思います。


みなさんご卒業おめでとうございます。


よき人生の旅路であれ。

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