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徒然なるわっきー⑥

遅ればせながら、あけましておめでとうございます(遅)
年末年始にダラダラしていた余波がここまで影響力を持つなんて、いったい誰が想像できたでしょう()

兎にも角にも今年もぼちぼちと徒然していこうと思います_(:3」z)_

そんな新年第一弾は「隙間を埋める」お話です。

どういうこと??と思われたそこのあなた、オレもそう思います(・_・;

とはいえ、これは誰かの心の隙間を埋めるために自身を犠牲にするような切ないお話ではなく、ちょっと視点を変えた雰囲気のお話の予定です。予定()


例えば、組織というかグループなんかで仕事や作業をしていると、「それぞれの役割」みたいなのが規定されていくじゃないですか。そうすると、良くも悪くもその専門性は磨かれるけど、横の接続がちょっと弱まるなんてことないですか??

そういう時に、その弱まった部分に気付いて上手いこと埋めてくれる人がいると超ありがたくないですか?個人的には、性格的なことも含めるとそういう人になれるといいなぁと思ったりしています_(:3」z)_ おじさん頑張る。


で、本題はそっちではなく、結局少し切ないお話になります(・_・;

自分で言うのもアレですが、実はワタクシ「少しは賢い雰囲気がなきにしもあらず」なんですよ_(:3」z)_ それなりの地頭に生み育ててくれた両親には感謝なんですが、この地頭の活用法にちょっと問題があるよなぁと常々思ってきました。

それは

「A」と「C」を見たら「間はB」みたいに脳内で「隙間を埋める」ことができてしまうことです。それって便利だし良いことじゃないの?と思われるかもしれませんが、いやまぁ確かに便利ではありますが、それゆえに「本質を見抜いた気になる」という大きな落とし穴があるのです(・_・;

例えば今は世界史の教師だったりサッカーの指導者だったりという立場で頑張っていますが、知識や経験が積み重なるほどに「一から十を知る」感覚によって「一から十を知ったつもりになる」に陥ってることに気づき始めたわけです。

Twitterなんかをしていると、本当にその道で多くの知識経験を積み上げ、純粋に「すごいな」と感服する人や、若くて経験はまだ多くなくても、その鋭い感性や洞察によって広く深い理解に至っている人なんかをよく目にするわけです。

そこで自分自身に目を向けたときに、「オレは中々に中途半端だな・・」と痛感することになるのです。


その原因の多くが「隙間を埋める」感性によって「分かったつもりになる」ことだなと最近はよく反省しています。それゆえに、自身が理解したつもりになっていることと何度も向き合い直しながら「自分にできる理解のマックスまで」を目指して日々足掻いております_(:3」z)_

その意味でも、Twitterの世界は刺激的だなと思います。色んな人が色んなことを発信していて、その「感性」に触れられる機会があるのはとても嬉しいことです。

まぁ時として眉間に皺が寄るような話も散見されますけどね(・_・;


人生も折り返し地点あたりな気もするし、慌ててあれこれ頑張ろうというよりは、一歩ずつ意味を確かめておきたいというフェーズに今はいるのかなと思いつつ、今この瞬間もオレの大好きな世界史の一場面だと思いながら観測し続けている感じですかね_(:3」z)_

今まで積み重ねてきたものに、自身で納得のいく「意味」をきちんと与えてあげたいし、まだ「これから」を駆け抜ける気満々なので、そのための準備という意味もありつつです。


そんなこんなで今年も隙間を埋めつつ、それだけで終わらない取り組みを忘れずにぼちぼちやっていこうと思います。


てなわけで、今年もゆるゆるとよろしくお願いします_(:3」z)_

おしまい

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