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無意識の上書きは可能か?

みなさんお元気ですか?オレは数日咽頭炎からの発熱で寝込んでおりました。疲労なんて溜めるもんじゃないですね(・_・; いや、積極的に溜めてるつもりはないんだけどここ最近疲れ取れてない感は強かったのでな・・

いやいやそんな話ではなく

サッカーに限った話でもなければスポーツに限った話でもなく、意思ある生き物として生きている限り、あらゆる場面で関与してくる「無意識レベルによる意思決定」について備忘録的な感じで書いておこうかと


そもそも
脳科学がどうとか難しい話を持ち出すような感じではなく、あくまでも個人的な感想、印象に基づく主観的なお話なので、何かが科学的に違うからといって地球から出ていけみたいなことは言わないでいただけると助かります。もうちょっと地球に用事があるので

人間って油断したり追い詰められると本性が出やすいと思いません?

これって要するに人間の「行動として表現されるプロセス」において、意識のどの階層と紐づいたかによって行動の中身が変化するということですよね
普段は穏やかな人が運転中に不意に危ない目に遭遇した瞬間罵声を浴びせたりとか、まぁ枚挙にいとまは無かろうと思われます

ここでのポイントは
・人は余裕があると行動表現を選択して状況に最適化しようとできるが、余裕がないとより無意識的な部分に紐づいた反射的な行動をする
と言うことです


みなさんはゲームされますか??オレはファミコン登場以前からゲームに触れてきた&小学生時代にファミコンが世に出された世代なので、もはや人生がゲームです(?)

新しいゲームを手にした時、昔のようなカセットタイプのものだと説明書が、今のようなアプリ形式だとチュートリアルがあるかと思います。これをガン無視するかのように感覚的に攻略していくタイプもいますが、そちらは今回レアケースとして置いておきましょう(・_・;

でですね、手順通りに進めていくうちに
・基本操作を覚える
・画面に表示されている情報を理解する
・ゲームの攻略へ

みたいな感じで自身がレベルアップしていくと思います。ゲーム内のあなたではなく(もちろんそっちもなんだけど🙄)。今では昔とは比べ物にならないようなリアリティを誇りつつ、日常にはありえない経験ができるゲームも増えたことで、みなさんのゲーム体験は素晴らしいものに・・いや待てこれ案件じゃないのよ(・_・;

ここでのポイントは
・意識的に取り組むことで行動に紐づく情報取得や判断などのプロセスを簡素化させ、最終的にはそのプロセスごと無意識の階層に沈めることができる
と言うことです


一旦ここまでを統合しつつ、少し具体的に考えてみましょう

要するに、人間の行動として表現されるものは
・余裕があれば状況への最適解を模索し選択することが可能
・余裕がなければ無意識階層にある選択肢が反射的に選択される
・もしくは無理矢理最適解たり得ないものを選択する
そして
・無意識階層の選択肢は創出自体は可能

と言うことなんですが、ここで色々と考慮すべき要素がありそうです。何より「無意識階層に沈んでいく選択肢は必ずしも意図的にそうした訳ではないものも含んでいる」点です。さらには「一度無意識階層に沈んだ選択肢は消えるのか」という点もです


これでやっと今回の題目に辿り着いた感じですが、結論というか現時点での自身の考え方としては「上書きはできないが接続のし直しはできる」と言う感じでしょうか(無意識に沈んだ選択肢が消えるかは分からないです。だって無意識に貯蔵されてるし🙄)

この辺りから深掘っていくとどんどんオカルトな話になりそうなのでそろそろ逃げる準備を始めようと思いますが、まずそもそも無意識レベルに沈めるにはシンプルに「試行回数」というか「経験数」みたいなものが大きいと思っています。それと、無意識より上層にいくら良い選択肢を設置できたとしても、余裕がない瞬間にそれを選択できない可能性が高まると考えれば、大切な行動基準は頭で理解で止めずにいわゆる体で理解と言うレベルで頑張ろうなという話になるのかなと思います

あとこれはまだフワッとした話でもあるんですが、人間っておそらくそういう紐付きを得ることでそこから展開する力もあると思っています(もちろん個人差はあるでしょうが)。なので、あれもこれもではなく「これ」と言う主軸となるものを選んで取り組むことができると効率的なんだろうなと思います。これが浸透すると「予想」ではなく「予測」になるのかなと考えたりもしています

前にらいかーると氏と話した時に「過去→今→未来の時間軸の捉え方」みたいな話をしたんですが、その中で話した内容もこれに重なるかなと。サッカーの指導においても軸となるものを明確にしつつ、選択実行をスムーズかつ最適にするためには「基準」が欲しいと。それが「過去」に経験したものとして無意識に沈められつつ「今」の選択に繋がるには日々の紐付け作業が大切だよねと。「過去」に紐付かない「今」だけを基準に「未来」に何が起きるかを眺めながら選択をしようとしているだけでは時間の流れに置いていかれちゃうね、的な()

盟友トシくんとの合言葉でもある「先に知っとけ」と言うのはとても意味深いなと改めて思うなど


サッカーという「可能性の綱引き」のような競技って本当に奥が深くて探究するのが楽しいです。この探究に意味があるかは知らないですが(・_・;
少なくとも自分自身の納得に向けては着実に歩めているかなと。いやどこに向かっているかは分からないですが(・_・;


ということで今回は(も?聞こえない🙄)取り留めもない感じで色々と書いてみました。接続のし直しはできるとは言ったものの、まぁ難しいっすよね笑 なんて元も子もないことを言っておりますが、長年生きてきて思うのが本当に人間の地金の部分って意図的に丁寧に鍛えていかないといつか誤魔化しが効かなくなるよね、ということです。綺麗なメッキを貼り付けてみたところで、鑑賞品としてはそれで良くてもガツガツ戦うには不足です。長いこと教育現場にも立ってきましたが、そもそも教師側の地金が・・おっと誰か来たようだ・・・

これにてドロン👮

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