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スライムをメタルスライムに変えられるのか?

皆さんこんにちは。わっきーこと、わっきーです(?)_(:3」z)_

フットボリスタラボnoteとは別に、実は個人的なことを書くこともあるようです(これが今年2つ目の記事です笑)。今回は、学校での授業や部活動、その他の取り組みを土台にしつつ、自身の様々な体験なんかも併せて考えてきたことについて徒然なるままに書いてみようと思います。

【要約すると】
・経験の「量」と「質」について
・経験の「質」は変えられるのか?
・自身の経験から他者の経験へ

それではお付き合いください_(:3」z)_


①スライムはメタルスライムに変えられるのか??
某国民的RPGでお馴染みの敵キャラ、スライムをご存知でしょうか?そうです、あれです。冒険の最初に出会うであろうこのスライム、倒しても得られる経験値はわずかです。主人公のレベルアップをするにあたり、例えばこのスライムを50匹倒さなくてはならないとしましょう。地道な作業ではありますが、積み重ねていけば結果にはいつかたどり着くことが出来ます。

しばらく冒険を続けているとメタルスライムという敵に遭遇します。諸事情あって倒しにくい相手ですが、倒すととんでもない経験値を獲得できます。それこそ1匹倒しただけでレベルが2つも3つも上がることだってあります。(なんの話か分からない方、すみません・・)

ここでポイントとなるのが「レベルを1つ上げる」という結果に対して積み上げるものとして「スライムを50匹倒す」ことと「メタルスライムを1匹倒す」ことの2つの選択肢があり得る、ということです。

要は経験には「量」と「質」があるよね、という至極普通のお話です。

問題はここからです。ゲームでは、得られる経験値は「敵を倒した」という結果に紐付いています。では実際の私たちの生活においてはどうでしょうか?経験値は「その経験の結果」のみに依存しているでしょうか?おそらくは「結果を導き出す過程」にも大きく依存していると思います。

ゲームで言えば「スライムを倒した」だけでなく「どのように倒したか」も経験値として積み上がる感じです(実際にそのようなゲームもあった気が・・)。そのように考えてみると、日々の諸活動において「何を」「どのように」経験しているかがポイントとなると言えるでしょう。この辺りにつきましては、拙著『プレー経験ゼロでも出来る実践的ゲームモデルの作り方』の中でも「言語化」にまつわる話として紹介しています(宣伝)。

結論から言うと、スライムはやはりスライムです笑。経験それそのものはすり替えることは出来そうにないです。しかしながら、スライムを倒したことによる経験値を増加させることは出来ます。スライムをメタルスライムには出来ませんが、スライムを倒して得る経験値をメタルスライムの時みたいにすることは可能です。そのためには、例えば「剣の握り方」「振り方」「相手の観察」「戦う手順」「自身の動作の質」「判断」・・・等々、こだわるべきポイントはきっといくらでもあります。そうです、経験の質を上げるには「こだわり」を持つことです。


②課金しなくても経験値倍増ブーストを
しかしこの「こだわり」、ともすれば偏った経験につながりかねません。ですのでもう少し表現を変えてみましょう。それは「丁寧に向き合う」ということです。だけど何と向き合えばいいのでしょう?これもまた抽象的な表現にも思えますが、「感性」と向き合うことが大切だと思います。

例えば「魔女トレ」でおなじみの我が友人、西園さん(@miyanishizono)も、身体感覚を研ぎ澄まして自らの感性と向き合うことに取り組んでおられます。人間というのはよく出来ているもので、ものすごく大雑把な感性を土台としても活動は可能です。ところが、その質を向上していこうと思うほどに「緻密」な作業が必要となります。それは言い換えるなら「神経を通す」ような作業とも言えるでしょう。そのようにして神経が隅々まで通っている状況で「ごく普通の日常動作」を行ったとすると、そこには明確な「感性の返答」が感じられるはずです。そうすることで、より上質な経験値を積み重ねることができると思います。

ちなみにこれ、「メンタル」に対しても同じです。身体感覚以上に分かりにくいかも知れませんが、是非挑戦してみてください。ここ最近学校で仕事をしていて感じることの1つに、「生徒たちが主観的なアイデンティティを持っていない」ということがあります。進路実現に向けた準備をしている中でよく聞くのが「自己PRが出来ない・自分の長所が分からない」といった話です。この辺りも、おそらくはSNS等で他者との繋がりが増大しすぎたことで、アイデンティティが相対化してしまっていることが原因の1つのように思います。他者の物差しでしか自分を計れないとも言えそうです。そうなると、自分自身の内面性に対して感性が鈍ってしまいます。それがメンタルコントロールを失う原因にもなっているとすれば、もっと自身の内面性とも向き合うことが必要ではないでしょうか。

という訳で、きちんと自身の感性と向き合うことで経験の質を上げてしまいましょう、というお話でした。少しずつ実行することで「当たり前」の取り組みに変わり、その当たり前のレベルを上げていくことが出来るように意識したいですね。

③人に伝えるために
さて、指導者という立場に立つものとして最も頭を悩ませる部分が「自分は分かるけれど相手にどう伝えたら良いのか」ということではないでしょうか。これについては拙著でも触れていると思いますが、有り体に言うと「頑張り続けるしかない」となります・・。せやかて工藤!ですよね。これまた某有名錬金術マンガからの拝借ですが、錬金術の基本は「理解・分解・再構築」だそうです。これを例えばサッカー等の指導に当てはめるなら、「学んだことを理解する・それを噛み砕く・整理して言語化する」のような流れと言えるでしょうか。今回の記事で延々とお話ししてきたのは「理解」を中心として「分解」にちょっと入るかな?辺りの話です。言語化をいかにして意識して行っていくべきなのか、については拙著で触れていますのでご参照下さい(宣伝その2)。とは言え、その後も日々学校現場において試行錯誤しております。自分自身も人生という時系列の中で成長、変化をしますし、相手も同様に成長、変化をします。ですので、どうしても普遍的な定義づけというのは難しいなと感じてはいます。そのような中にも、ある程度の普遍性を持って考えられることもあるはずだと暗中模索を継続中ですので、皆さまもなにか良いヒントなどありましたら是非共有いただけたらと思います。

さいごに
要は「なんとなく経験値を積むのはもったいないぜ」ということでした。またそれを伝えるという段階になっても、「なんとなく積み上げた経験」は「分解・再構築」に至りにくいと思います。言語化そのものにはまた別のスキルも必要とは言え、言語化の対象となるものをしっかりと見つめていけたらいいですよね、ということで今回はおしまいです_(:3」z)_

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