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ベトナムの翻訳版ドラえもん
トラベルジャーナル社ACG編集室
アジアカルチャーガイド(14) ベトナムわんさか共和国
32ページをチョット箇条書き程度に引用してみた
かなりしょっ引いてるので、図書館から借りるなり古本屋で見つけるなりしてください。
・制作された経緯、90年代、タイの海賊版どらえもん「ドレイモン」がベトナムに流通した。絵とキャラクターは好評だったものの、単行本の売れ行きは不評。
・そこで、日本の紙芝居を勉強していた、本業が建設家と画家のドゥック・ラムさんが編集者として出版社から白羽の矢が立つ。子ども向け雑誌の編集社の奥さんと一緒にベトナム版どらえもんを作る事になる。
・ベトナム版ドラえもんは、出版社から提供された日本語版とタイ語版を参考に「ベトナム人にわかりやすいドレイモンの話」を編集しなおしてる。92年12月に週刊本として出版、当初始まった5000部だったのが2年間で20万部に拡大
大人気になる。
・ドゥックラムさん「もともと『ドラえもん』自体が万人に受け入れられる素晴らしい漫画だったんですよ。藤子不二雄(F)先生は、本当に子どもの心理学の権威のような人だと思ってます。
・ベトナム版、ドラえもんは極力暴力的な部分と「ちょっとエッチ」な部分をカット。名前もベトナム人にわかりやすいように、しずかは「スカ」、スネオは「セコ」、ただし、のび太はそのまま。巻末に5ページ程「ドレイモン相談室」なる投稿ぺ-ジを設け、日本についてなどの、質問等が届き登場人物が答える方式を取ってた。つまり、娯楽と教養を一緒にして子どもたちの両親を見方につけてしまったのだ。
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日本を身近な存在に
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・ドゥックラムラムさん「多くの子ども達は、ドレイモンは実在すると、信じているんです。高度な経済大国の日本なら、ドレイモンぐらい作れると思っているかもしれません。」そう言って笑いながら、ラム(編集者)さんが開いて見せてくれだ読者のページには、こんな投書が載っていた。
一日一九月ハノイ
親愛なる小さな神戸の友達へ
私たちは、地震のことを聞いたときは、本当にショックでした。
今日、テレビでその映像を目にして、
多くのクラスメイトは涙を流しました。
私たちは、日本に助けに行くことはできませんが、心だけは送れます。
私たちと同じ「ドレイモン」の読者たちに。
私たちは、常にそばにいます。
小学生 十一歳
阪神大震災が、あった数日の間、日本を心配する電話がひっきりなしに出版社
へ子どもから掛かってきたという。
・子どもたちや社会の人達(両親)や学生(大学生、高校生)は「ドレイモン」を通して日本を身近に感じる事にできる。ベトナムの社会に深く浸透した漫画。
ドゥックラムさん曰くドラえもんは、「成熟した大人でも楽しめる質の高い漫画」
・他国で出てる海賊版と違い、作者名「FUJIKO FUJIO」と表紙に書かれてる事。
これは、朝日新聞グローブから転載
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1994年、同社の担当者がドイツのブックフェアで、ドラえもんの版元である小学館の社員と遭遇し、著作権の存在を初めて意識した。勉強を重ね、翌年になって小学館と正式に協議。使用料をベトナムの奨学金の基金に充当することで作者の藤子・F・不二雄や小学館と合意した。
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