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ゆっくりとした週末を過ごした。特別な予定もなかったので、目が覚めた時間に起きて、行動した。

天気の良い土曜日だった。朝ごはんの後、近所のクリーニング屋さんへ、それからお気に入りのパン屋さんに行って、オリーブオイルたっぷりのfocacciaフォカッチャを4枚とfiloneフィローネという種類のパンを買い(これでランチの用意は完了!)、同じ通りにあるカフェでcappuccinoカプチーノ(北イタリアではcappuccioカプッチョともいう)を啜りながら、スマホで来週に日本から来る友人とチャット、読書。カフェでの1人の時間が好きだ。廻りの人をゆっくり観察する。聞き耳も立てる。

私の住む北イタリアの小さな町で唯一の小洒落たカフェは、3人の熟女が経営している。私と夫はこの3人を親しみを込めて、tre stregheトレ ストレーゲ 3人の魔女と呼んでいる。おそらく3世代の女性たちで(顔が似ているから)、全員がふっくらとしていて、ルーズな徹子風お団子スタイルで、丈の長いスカートにドレープのかかったスカーフを巻き、いつもちょっとミステリアスな笑みを浮かべている。brioche ブリオッシュ(クロワッサンのことね)やケーキは手作りで、ちょっとしたアクセサリーなんかも置いてある。内装は、ワインの木箱を壁一面に並べて物を飾ったり、戸棚の取っ手をアンティークのスプーンやフォークをつけて代用していたり、なかなかの拘りだ。誰でも弾けるピアノが置いてあるのもいい。

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一人の可愛い小さなおばあさんが入ってきた。ストレーゲ達と言葉を交わし、遅い朝ごはんを頼んだようだ。よっこらしょと彼女には少し背の高い椅子によじ登り、パンと目玉焼きの入ったモーニングプレートのようなものをゆっくりと食べる。大きな窓から午前の光が差し込み軽いジャズの流れる店内には、時折笑い声を響かせる近所のおじさんグループ、新聞とスマホを眺めながら無言でコーヒーを飲む夫婦、興奮した様子で話す中年の婦人二人、そして私。

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おばあさんはナイフとフォークを使って、上品にゆっくりと食べ物を口に運ぶ。ふんわりした白髪に白いセーターと赤いスカート、黒ぶち眼鏡が良く似合っていて、可憐な少女のように見えた。彼女の周りには静かな優しい空気がほわーんと漂っていた。看板わんこの黒犬がその空気を察したのか、ゆーっくり近づいてきて、まずはおばあさんの周りをぐるっと一周、それから尻尾を振っておばあさんを見上げて、ねえ、ご飯頂戴とウィンク。あらあらあらとおばあさん。にっこり微笑んでから、エレガントにナイフとフォークで切った食べ物を、手でつまんで、はい、どうぞ。ありがと!二人の心の交流が見えたような気がした。良い光景だった。

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特別なことのない時間を幸せと感じるのは難しいと思っていた。いつもいつもスペシャルな事を探していた。特別な予定のない日は面白くないと思っていた。noteを書き出してから、自分を少し客観的に見れるようになり、周りの小さな出来事に注目するようになった。掘り下げていけばいくほど、問題だと思っていたことは小さくなった。そうしたら、毎日はスペシャルなことの連続だったことに気づいた。書くという行為によって、その行為のために頭を使うことによって、私は今までの考えが間違いだったことに気づいた。書くという行為が自分の頭を整理するのにこんなに有効だったとはと、今までやらなかった後悔を含めて、驚いている。

そんな風に腑に落ちると、自分の周りの景色が変わった。気のせいか、周りの人まで優しくなった。まさに奇跡だ。奇跡のことを、誰かのブログや自己啓発の本や言葉で幾度となく聞いていたけど、それには何か大きな変化が必要なのだと思っていた。全然違った。自分の心境を気持ちの持ちようを変えるだけだった。また落ちる日もあるかもしれないけれど、今の私の事を私はとても好きだ。

私にとって書くことは一種のセラピーなのかもしれない。1年後にどう思っているのか楽しみでしかたない。いつかこんな風に可愛いおばあさんになれるだろうか。

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