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余白による居心地

私は、わかりやすいものが苦手かもしれない。

比例して、隙があるものやひとが好きだ。

この前リンちゃん(嶺上牌)とボーカロイドについて語った。
今はボーカロイド楽曲を作っている人、いわゆるボカロPが歌い手の方に曲を提供して、それがうんとバズって人気になっている事が多い。カラオケで話していたので、Adoのうっせえわはまさにそれだよね〜、みたいな。
なんとなく、初音ミクの声が好きで、前のボカロ時代の方が良かったよね〜なんて、古参ぶってるかもしれないけど、そんな話をした。機械音が好きなのもあるが、本質的なボカロの良さは、余白だと感じている。

ボーカロイド歌声は、ぼーっと聞くことでぐっと心の確信をついてくる事が少ないと思う。声で気持ちや表情を表すのは難しい。よさは、ここにあると思うのだ。
人の声の方が伝わりやすい。ぐっと、気持ちがそのまま声に出やすく、人間である自分までもぐっとなる。それは、作曲者や歌っている方の伝えたいものが割とストレートに伝わるという事だと考えている。それはそれで素敵だ。
ボーカロイド楽曲は、作曲者の意図に沿って作られた曲でも、歌っている方(初音ミクなど)は機械なので気持ちを込めるのに限界がある。ここに、余白ができるのだ。ミクを通した事によりぱっと聴きでは作曲者の意図が伝わらなかったりする。
この余白によって、聴いた人が意味合いを予測したりその時の気持ちで聴くかによって、受け取り方が変わってくる。ここ、この地点がたまらなく好きなのである。
ひとつの曲で様々な解釈が生まれて、正解はみんなに与えられる。(作曲者からの明確な答えがあっても、聴き方は自由で良いと思うので)自由度が高いのだ。
ただ聴いて、それをまっすぐに感じるのも楽しい。
しかしなんて言っているのか分からない曲の歌詞を調べてわかる事があったり、人によって解釈が違う事を楽しんだり、前途したただ無心で聴くことも出来る。そんな面白さをボーカロイドに感じているんだろうな、と思う。
それぞれに良さがあるが、この余白という点においては人間による歌ってみたでは叶えられないのだ。
わかりやすいものだけを得ていると、受け身に感じてしまって、怖い。自分で何も出来なくなってしまいそうで。別に何もしてはいないのだが。

関係ないけど、この前テンションが低くて、メロンパンにあたり散らかしてしまった。
彼女(メロンパン)は容姿端麗で、そこそこ人気を博している。確かに砂糖たっぷりでキラキラした見た目でかわいい。
しかし、中、何も入ってないじゃないか。
詐欺ではないか?(詐欺ではない)
側だけ取り繕って中身は空なんて、そういうのも、アリだけど(くだらなさ、も愛おしいと思うので)そういう事をしておいて菓子パンコーナーでお菓子ぶっているのが苦手だ。甘いのは側だけで中身は味なし。牛乳とコンビとかにしたらいけるけど、中身だけでは食べれない。
これは私の好きな余白とは違う。見た目だけ取り繕うタイプは好きじゃない。菓子パンコーナーでイキっているのがにくい。
私焼きそばパンが好き。
じゃーね!

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