12歳:1992年3月(39/366)
小学校の卒業アルバムの文集より。
まだデザインという言葉を知らない時代。
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熊本健吾
昭和54年12月25日
趣味 スポーツ
将来の夢 ゲームプログラマー
好きな言葉 明日
児童長
いろいろなことあったこの六年間。ふりむけばあっという間に過ぎた日。
六年生の時は、特に、大きな出来事がたくさんあった。
一年生を連れていっしょうけんめい歩いた、たんれんえん足。最後のげきを演じた学芸会等の、様々な出来事が多くあった。なかでも、六年生のときの後期児童会役員選挙がそれだった。
五年生の時の後期、みんなに応えんされ、立候補した。おちてしまったが、まだあきらめられなかった。六年生の前期もおちた。そして六年の後期、大きい声でやった演説のおかげか、トップで、みごとに当選した。その時のきもちは今、まだ忘れられないものである。
それからすぐに、次の集会のうちあわせや、学芸会の話し合い等、次々に仕事が入ってきた。今はもう、どんど焼きの会議だ。
とても大変な児童会だけど、その集会や、学芸会が終わった時、心が体からぬけるくらいすっきりした。
これからの集会は全部完ぺきにやろう、というわけにはいかないけど、みんなが楽しめる集会を、卒業するまで、六人の児童会仲間と作りあげていこうと思う。
もうすぐ卒業だけど、この本村小学校で学んだことをいかして、中学校でも、勉強にスポーツにがんばろうというのがぼくの目的だ。
残りの時間で、ぼくたちのできることは、児童長として、この学校を良くしていき、支えていくことである。これがぼくの考えで、児童長としての、意見である。
あとは、この本村小学校の歴史や伝統を在校生に伝えるのが、ぼくたちの残された仕事だと思う。