自分のことを「普通」だと感じますか

最近、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』を読んで、倉下忠憲さんをtwitterやこのnoteでフォローするようになりました。

倉下さんが毎週発行している有料メルマガ(の無料部分)で頭の体操的に問いかけたQにそそられて、ものすごく久しぶりにブログ記事を書いてみました。とりあえずnoteで書いてみましたが、ここでこんなに長文を書くのは初めて(笑)

Qはこんなものです。

Q. 自分のことを「普通」だと感じますか。それとも違いますか。

「普通」ってありふれているのに、よく考えてみると分からない言葉です。
改めて「普通」ってどういうものか、分類しながら考えてみました。

(1)複数のものを比べた上の「普通」
「良い」「悪い」の中間という意味の「普通」ですね。
例えば成績表の「ふつう」とか、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」ってのもありました。何かしらの評価軸があって、その真ん中辺りってこと。

(2)「多くの人」が思っていること、していること、繰り返していること。
これは「多い」「少ない」の「多い」に着目した概念。
例えば「日本人は普通、食事に米を食べる」のように純粋に状態を示したものや、「ゴミは普通ゴミ箱に捨てる」のように、何らかの規範を多くの人が受け入れている状態を示したものがあるでしょう。
どちらにしても多くの人が行っていること、考えている状態を指して「普通」ということですね。

(1)と(2)は実際の状況を見て判断しているのでいいですが、次の(3)がクセモノ。

(3)誰かが「こうあるべき、こうすべきと考えていること」の中心を指す「普通」
物事の規範と「普通」が結びつくと恐ろしいです。
大体、根拠もなく人を動かそうとするときにはこの意味の「普通」が使われるものです。こうした「普通」は「同調圧力」とも言えるでしょう。この「普通」は怖いです。極力避けたい(そして使いたくない)と思っています。
「普通」を使って行動の価値(良いか悪いか)を決める人は信用しないことにしています。「普通〜するよね(笑)」って奴は信用できません。

「普通」といっても、これだけの意味があることを書きながら気が付きました。
自分は、「普通」から外れたところにある価値を感じ取るために、あえて「普通」からは距離を取るようにしています。
こういう考えをする人は((2)でいう)普通でないんでしょうね(笑)
ということで、Qに対するAは
自分から普通と思ったことはありません。」でしょうかね。

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