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永久不変

私の最愛の人が旅立って10/13で2年になります…

彼女とは25年前…30歳の時に出会い、当時対人関係で疲弊していた自分を救ってくれて光を与えてくれた大切なひと。

お互い対人関係で似た境遇だったからか愚痴を言い合い同調して盛り上がったり、時にはお互いの悪いところを言い合って大喧嘩したり…互いに本音をぶつけ合える親友(二人の間では戦友と言ってた)でした。

私の両親が立て続けに亡くなった時も傍にいていっぱい支えてくれました、彼女が居なければ葬式もきちんと済ませることはできなかったでしょう。
両親が亡くなった後、かなり重度の鬱になってしまった時も何も言わずただただ背中を撫でてくれました。

彼女も親兄弟には言えない家庭の愚痴を私にはいっぱい吐き出しぶつけてくれました。
毎日のように仕事終わりにドライブに出て、三浦海岸や江ノ島で波の音を聞きながらただただ夜の海を眺めたり、時には大声出してストレス発散したり…

そんな彼女とは好きなものも一緒、感動感涙するポイントも一緒、なんでこんなにシンクロするんだろ?って二人で笑ってこりゃきっとニコイチなんだねぇ〜なんて言ってました。


彼女の子供の成長を陰ながら応援して、彼女に孫ができた時はこの子が大人になるまでは最低でも長生きしなきゃね!って言って健康のために毎日ウォーキング始めたり、食事もコッテリからサッパリへシフトしたりしたのに…

そんな毎日のなか仕事中に連絡きて、外出先で貧血で倒れて救急搬送された!って聞いてあわてた!
けど入院した病院にはコロナ禍でなかなか入れず…

その後入院中の精密検査で癌lv4が見つかった…

信じられなかった…彼女の余命があと半年って知った、目の前真っ暗になった涙も声も我慢できなかった一人車の中で大声で泣いた。

コロナ禍で入院の見舞いに行けず、病院の下から病室を毎日見上げて応援した。

抗がん剤や点滴をいっぱい頑張ってる彼女に自分はそれしかできなかった…

彼女が調子よかった時は、病室の窓際に出てきてくれてちっぽけだったけど直接顔が見れてすごく嬉しかった。

夏が終わる頃彼女は退院できた…残りの時間を家族の近くで過ごすために。

癌は強敵だった…10/13の朝に彼女を天国に連れて行ってしまった。



彼女が穏やかなお顔で旅立っていった…あの日からもうすぐ2年、年下だった自分は彼女の生きた年月にどんどん近づく。

来年の3/9には年上になってしまう…年上になんかなりたくない。

彼女に色々託されたけど一人では無理だよ…

色々いっぱいだよ…

マイナスな感情がだんだん心の中に顔を出すよ…


25年一緒にいて本当に色々な場所に行った…

今の生活の中、通勤していても買い物に出掛けてもどこに行っても彼女と思い出のある場所ばかり…テレビを点けて旅番組を見ればいつか一緒に行こうね!って約束した景色。

楽しかった思い出を感じた後には、左側に誰も座ってない助手席がぽっかりある現実に引き戻される。

正直なんで私は今を生きてるんだろ?何のために?って思う、彼女と迎えた犬たちを見送れたらもう責任果たせるからいいよねって…
そんな気持ちが湧き出てくる時…彼女の愛孫の姿が浮かんでくる、そして亡くなる前に「あの子達のことお願いします」って彼女の言葉が鮮明に聞こえてくる。

今、愛孫ちゃんは13歳…成人するまでは頑張らなきゃ。

私、やっぱり彼女の事を心から愛してる。
今でも変わらない、愛してる…


ーーー

誰が見るって訳でもない、こうやって書いて気持ちを吐き出したい、残したいと思っただけなんだけど…

偶然?これを見たあなた…

当たり前と思うかもしれませんが、いま隣で笑いかけてくれてる人を大切にして下さい。

大切な人が亡くなって気づくこと、後悔する事がないように精一杯愛し合ってください。

喧嘩をしたらその日のうちに仲直りして下さい。
次の日に持ち越さないで、また帰ってきたら謝ればいいなんて考えはダメです。
相手が帰ってくるとかまた会えるなんて、絶対じゃないんですよ。

謝るのも相手が怒っている理由を知りもせず、ただごめんなさいを繰り返しちゃダメです。
喧嘩になった原因理由をきちんと理解して、そのことについてきちんと話し合ってください。


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