常願寺川

富山の小学生は常願寺川をはじめ、県内の七大河川について教えられる。メインは常願寺川と神通川かな。



常願寺川には興味深いサイトがある。

火山、山崩れ、扇状地、天井川、冬の積雪、集中豪雨、洪水と渇水、霞堤、水制工、砂防、多目的ダム、河川改修、発電、複雑な用水網、水争い、水路の統合……、この川には、日本の農業土木、河川工学などが取り扱うほとんどの地勢、気象条件、そしてそれに対処すべき技術などが出てくる。さながら日本の土木技術の総合展示場であり、その意味では、最も日本的なる水土と言える。
したがって、この川で繰り広げられた水土の歴史を辿ることは、他の川、あるいは日本の水土の特殊性、もしくは「農」の営みにおける数千年の歴史そのものを語ることになるのである。もし外国人に日本の「農」を説明するなら、この常願寺川の例ひとつで事足りよう。


加賀百万石と言うが、加賀の国が100万石であったわけではない。前田家は加賀、能登、越中を領する大大名であり、その合計が100万石、つまり正確には前田家100万石である。しかも実際の石高は越中が約半分を占め、能登と加賀が25%程度であったという。
前田家は初め120万石であったが、三代藩主利常の時に富山藩10万石、大聖寺藩7万石を分家している。富山藩といっても領地は平成合併前の富山市の一部と八尾町をあわせた程度で、富山県の大半は加賀藩に属していた。
常願寺川の水を引いた農地だけでも約8万石と中大名並みの石高があり、その内、加賀藩の領地が6.7万石、富山藩は1.2万石に過ぎなかった。




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