狡猾は先天、我儘は後天

たくさんの子どもを見てきていつも思うことがある。
それは・・・
狡さというものは、教えて身に付くものではないということ。
よくぞ、そこまで自分に都合の良い引水ができるね、
と開いた口が塞がらない人が居るものだ。
これが、“人”ならまだましだが、“子”であるとぞっとする。

中には、“子どものうちからそんな発想ができるものよ”と
呆れかえってしまう子もいる。

それに比べたら、
現象面では似ているが
“我儘”など可愛いのもかもしれない。

要は自分の生理に合わないとむくれるだけで、利が第一義でない。
ここが狡猾と我儘と決定的に違うところである。
功利しか考えていないのである。

我儘は改善された例をいくつも見てきたが、
狡猾にそれはない。
そして、それは何をやっていても、時として頭を擡げ、姿を見せる。
『蛇蝎のごとく嫌う』という言葉があるがまさにピッタリである。
ここまで書いてこの文章になんの希望もないことに気が付いた(^^;)
勉強ができる子に、こういう子は本来居ない
ということを、締めにしておこうと思う。

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