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季節工編/第11話「現代における労働者と資本家」

 9月も半ばです。暑かった夏も終わり、夜勤の帰り道(深夜3時頃)なんかは冷たい風を感じます。

 自動車工場では新型車の生産が本格稼働し、連日の残業と休日出勤から疲労困憊しています。新しい期間工も続々と来ており、最近では私がいる寮も満員になりました。

 あとは7月に貰った【白い粉】が再び配布されました。しかも前回より倍増です。よほど余っていたのでしょうか。 

 前は3箱でしたが、今回は6箱×3です。この量は明らかにおかしい。


 それに初めて貰ったときは物珍しさから使用しましたが、こうも疲れているときには面倒ですね。完璧な配合で混ぜていないので味も微妙ですし、結局はそのままのスポーツ飲料を買っています。

 【白い粉】は地元に帰る際にお土産として皆に配ろうと思います。
 きっと物珍しさから愉しく調合してくれることでしょう。


 さて、気付けば3ヶ月目です。期間満了が目前まで迫っています。早かったような長かったような、マンネリも感じつつ、日々を送っています。

 最近になって考えていることは「この仕事を20代の頃にやっていたらどうだったか」ということです。つまり耐えられたかどうか。今の私は「世の中を広く見知っていて」「自分自身の仕事を完成させている」ので目移りすることはないですが、20代の頃の、世間や社会を知らず、そして自分は何をしようかと彷徨っていた頃ならば、きっと耐えられなかったと思います。工場という閉ざされた空間が厭になって飛び出していたでしょうね。

 一方で、以前の会社は≪見えない危機≫が常にありました。職場では怒号と謝罪が飛び交い、私の心中では「何か問題が起きるのではないか」「重大なミスを仕出かしたまま進行しているのではないか」という緊張感が纏わりついていて、非常に神経質になっていました。例えば「客先のオーダーミス」「自分の発注ミス」「社内の連携ミス」「事故・事件・天変地異・不祥事」といったものが挙げられます。しかし確かめ直すような暇はありません。朝から晩まで打ち合わせ・会議・受注・発注・見積もり・出荷に奔走し、さらにクレーム処理と社内外でのいざこざもありました。電話もメールもファックスも一斉に畳み掛けてきますから、ベルトコンベアで自分の仕事量が決められているほうが余程に楽です。束の間の客先との交流(飲み会)だけが憩いでした。

 又、現在の私がいる自動車工場では新型車の生産が始まっていますが、前職の私はこの新型車の生産に翻弄されていました。新型車が始まると従来の材料が止まるのです。つまりは材質・形質・仕様・ルートの変更です。問題は従来の材料がストックされている場合。というより自動車のラインは絶対に止めるわけにはいかないので、関係会社は常に在庫を持っています。それ故に情報が命です。「新型が○月○日から始まるので、これまでの材料はあと△△個でいい」という打ち合わせをします。それでも余ったり足りなかったりして、理由は生産が直前になって前倒しや先延ばしになるからです。

 加えて新型が生産され始めると、必ずクレームも起きます。スムーズに動き始めることは滅多にありませんでした。そうなると自動車会社の購買・商社・メーカーによる責任の所在が問題となります。いわゆる「言った」「言わない」であり、「ここに書いてある」「ここでは書かれていない」といった責め合いです。結局は自動車会社の1人勝ちで、商社とメーカーで損失額の割合を決めることになります。

 常に交渉術処世術を行使し、油断することなく隠れた必要事項に気付き、筋道をきっちり整えておかないといけませんでした。これはとても難しい仕事で「仕事の経験(キャリア)によって得る」か「元々の素養がある」といった人しか活躍できません。新人はもれなく全員が大きな挫折を味わい、耐えられなければ会社を辞めていき、あるいは鬱病や自殺にも至りました。

 そして、こうした仕事で生き残った年配者たちは何故か非常に威張っていました。20代や30代でも悪人気質の人ばかりが寄り集まり、あちらこちらで下卑た笑いを浮かべています。毒を持たねば敗北を意味する環境の元、下衆であることを誇り、そして下衆同士がお互いに賛美している。特に社内では上に立つ者ほど「いかに失敗を隠し、あるいは責任から逃れて他人のせいにするか」という隠蔽工作と責任転嫁に長けており、さらには他人を苦しめることにも特化していました。

 そうした中、私は彼らと一線を引いて、限られた時間の中で勉強を積み重ね、自分の仕事を形作っていきました。朝8時から夜20時まで働いて、21時に帰宅、そこからが勝負です。20代の頃は様々な分野を広く勉強しました。その日、たった一歩でも歩む。目標に向かって目の前の一歩を歩めるなら、そして継続できるならば、それは遥か遠くまで辿り着けるということを意味するのです。

 本稿は『現代における労働者と資本家』と題しました。労働者と資本家といえばカール・マルクスですが、ここでは割愛します。私が言いたいことは、つまり以下です。

 労働者階級はコツコツ貯めようとする。10年や20年と継続すればそれだけ大きくなるけれど、たいていは大した貯蓄のない人ばかり。一方で資産家タイプは世の動きに合わせてガツンと増やす。失敗することがあっても、成功した人たちは一様に努力と閃きによって成し遂げている。

 これです。私も資本家のグループに入りますが、同時に労働者でもあります。そもそも完全に分けられるものではなく、労力に対するキャッシュの入り具合による格差といえます。それでも100人いれば99人が労働者の枠からは出ません。私の周辺にいた友人や先輩・後輩にも「不労所得を得たい」と言う人が何人もいましたが、実際に行動したのは私ぐらいでした。中には私が読み終えた本をあげたり、何時間にも亘って語り明かすこともありました。しかしみんな早かれ遅かれいつもの日常に戻っています。結局、今の今まで何年も経ってから「あのときに始めていれば良かった」と言い出す始末です。

 資本家と労働者の差異は「市場の原理」を上手く扱っているかどうかです。それはまず第一に学ぶかどうかであり、次に実践できるかどうかです。これがなかなか難しく、例えば不動産屋に行くと「本に書いてあることはデタラメだよ(笑)」とか「そんな方法は通用しない!」と言われます。不動産業に関しては、私は26歳のときに1から勉強し始めて、最初は知識だけで飛び込みました。あとの交渉や立ち回りは私個人の性格や前述のサラリーマン時代に培ったものです。あるときには私より2倍も年上の人に「その額は無理」と言われて、私は「お前が無能だからだろ!」と面罵しました。世の中で不可能と言われる数々は、有能な人とっては可能なものばかりです。結果、私は結実させました。勉強を始めて2年後の28歳のときでした。積み重ね、そして歩み続ければ、到達できるのです。

 大事なことは知識や技術そのものではなく、どう使うかです。つまり何処で何の為に使うのか。裏を返せば「求められているかどうか」です。現代における資本家はその的を精確に指向しなくてはいけません。これはビジネスでの成功と同義です。例えば、偉大の発明家と知られるトーマス・エジソンは、あの時代において突出した天才だったわけではありませんでした。多くの競争相手に打ち勝ったに過ぎません。彼は以下のように言っていました。

「何かを発明するだけでは全く意味がない」「発明にはニーズが必要。社会が必要としていないものは作っても意味がない」「アイデアを単に形にするだけではなく、それを世に広め、世界を変えてこそ初めて発明は意味をなす」

 私もこうしたことは常に考えています。投資に置き換えれば、「株や土地を買えば必ず儲かるわけではない」とか「世の中の出来事を知るだけでは意味がない」と言えますね。やはり世の動きに対して一緒に歩む必要があります。動いているものを捉える目を養わなくてはいけません。

 これは私が投資を学んだ際に読んだ本です。全部ではありませんが、要らない本を譲渡したり廃棄した上での全部ではあります。こうして学んだ上で実践し、さらに私自身の指向を加えて知識と経験を編集したのが『投資におけるスキーム論』でした(Amazonで発売中)

 そして今は『カジノにおけるスキーム論(仮題)』を全くの1から作成しているわけですね。これは2年から3年後を目処に完成させる予定であり、今の活動はすべてその布石ということです。要は昨年12月に可決されたIR法案が本格稼働するのはオリンピック後と見立てた計画です。

 ということで締め括りに【資本家になれない人】というのを、私の考えに基づいて一覧にしました。言い換えれば「人生で失敗する人たち」です。今日まで本当に多くの人たちを見てきましたが、口にはしなくとも「それじゃ駄目だろ」という人が沢山いました。読んで気分を害するような人は私の傍に来ない方がいいので、「あっちにいって」という思いもあります。以下。


【資本家になれない人】
▼20代(人生は20歳からが本番)

・遊んでばかりいる。
・物事を甘く考えている。正しい努力をしない。
・知識と経験を積み上げようとしない。非常に怠惰で「表面を取り繕うだけの効率性」を求める。
・礼儀を知らず、道徳心がない。最悪の場合は犯罪者になる。
・「○○を勉強する」「△▽を練習する」と言いながら結局はしていない。あるいは足りていない。
・病気だからと諦める。いたわりすぎる(羽生選手曰くは「言い訳している」)。

▼30代(まだまだ挽回できる)
・世の中における信用を得られていない。転職してキャリアを失う。
・つまらない会社で延々と働いている。又は「独立する」「辞めてやる」と言いつつ、動き出さない。
・自分や家族の生活で手一杯で会社の仕事だけをしている。それでいて出世コースから外れている。
・体力や精神力が衰えてきており、休んでばかりいる。たくさん休めば治ると勘違いしている。
・挑戦はするが失敗しており、さらに同じ失敗を繰り返す。何も学ばず、性格を変えようとしない。

▼40代(チャンスは残されている)
・何もかもを諦めている。何かを始めた人に「そんなのは上手くいくわけがない」「世の中は甘くない」と説く。失敗した人も多く見ているので、それが世の摂理だと考えている。
・出世していない。あるいは、まともな職ではない。
・事業を起こしたが、失敗している。その失敗から這い上がれない。再挑戦しない。
・自動車、マイホーム、子供の養育費などで資金が枯渇している。火の車となっている。
・知識と技術を積み上げて来なかったので何の分野においても低レベルなままでいる。

▼50代(やなせたかし先生は50歳からアンパンマンを描き始めた)
・「仕事は大変、労働以外で儲けることはできない」と思い込んでいる。
・閉じた世界にいたので、世の原理を理解していない。
・転職を重ねたので非正規である。
・これまでの生活が原因で病気(生活習慣病)を患っている。
・本人はつつがなく勤めている。ここまで根気よく働けたなら退職金は1,000万以上となるが、もはや残された時間は少ない。

▽総括
・要は何も考えていない。その日暮らしを続けている。意欲や興味がない。
・失敗を恐れて行動しない。失敗した人の話を聞いて「自分はやらなくて良かった」と思う。
・世の中は厳しいと思い込んでいる。あるいは逆に甘い考えを持っている。
・すぐに実践しない。まとまった時間を欲しがり、瞬時に動かない。
・何が大事なのかが理解できていない。落とし穴にはまる。
・とにかく楽をしようとしている。正しい努力をしない。

◆人生における3つの要
・根本的な勉強をする。基礎をしっかりと身に着ける。
・勉強したら行動する。間違っていたら方向転換、正しい道なら継続。
・上手く行かなかったときに他人のせいにしない。自分のできる範囲で改める。


 以上です。私も前職でサラリーマンしながら自社を起業し、そのサラリーマン生活を辞める際にも周囲から色々と言われました。単に否定したい人もいて「他人が成功すると面白くない」というのは人に備わった感情のようにも思いました。

 言われたのは「金だけを追い求めるな」といった忠告です。確かに私は社会貢献をしません。常に勝つか負けるかであり、自ら為すことも他人様にお教えすることも、すべてが勝つか負けるか、それだけです。私の信条は「人生は勝たなければならない」ということです。ひとつだけ弁解しますと、これは「毒を以って悪人になれ」という話ではありません。下衆たちと一線を引いて、正攻法で圧勝する。ただ単純に労働者から資本家へと転ずるという話です。

 世の中には様々な説教があります。会社勤めをしていると本当に多くの忠告を頂きます。私が常に思うのは「その考え方はあなた自身が実践できていますか?」「その考え方で生きてきたあなたは勝者(成功者)ですか?」ということです。失敗している人にも敗北している人にも哲学があり、中には平然と公言する人がいます。そのような忠告は受け入れれば自分も失敗するということです。だからこそ私は人に教えるとき、まず先に私が成果をあげてから助言します。私が常に説くのは時代や環境の違いに関わらず、そのときだけのフロック(まぐれ当たり)ではなく、いつでもどこでも成果を得られる方法です。

 自動車工場での仕事も色々なことがあり、短期間ではあっても沢山の学びと発見がありました。私はその中から今後もずっと活用できる何かを得たいと考えていました。そしてこの3ヶ月での収穫、得たものが確かにありました。

 それは次回にてお話します。季節工編 / 最終回「期間満了」にて…!

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