推しの誕生日は1日だけじゃないのか?

1月中旬に書いたんだけど、水さすなこりゃ、と思って結局公開しなかった記事を発見したので、今頃ですが投下します。
完全に吐き捨てです😅。
じゃあ書くなよ、って話なんですが、こんな心が狭い人間はワタシだけなのか、それとも同じような感傷を抱いた人は他にもいるのか、ちょっと反応を伺ってみたい部分もあり、あえて投稿します。

あ、それわかるー、って思った方は、名乗り上げなくていいので、イイネ押してください(笑)
こちらにアカウント名知られたくない方は、ログオフを忘れずに!
ゼロだったら笑えるな!😂
(それはそれで貴重な調査資料なので、それもまた良しです(笑)おかしいのは自分だけ、ってわかるから!)





推しの誕生日が近づいてきて、タイムラインがお祭り騒ぎになっている。
最初のうちはそれでも楽しく拝見していたのですが、だんだんなんとも言えない気分になってきて、TL見るのが辛くなってしまいました。

まぁ、イエス・キリストの誕生日だって、1ヶ月以上も前からみんな心待ちにして、もう1週間くらい前からはフライングで「メリー・クリスマス!」なんてやってるわけですので、、、(笑)
推しも神と同等に尊いと思えば、それでなにも間違っていないわけですが。

しかし、どうにも居心地が悪くて、もうTL見るのも嫌になってしまったので、いっそのこと、と、その誕生日のタグをワードミュートかけたら、ものすごく心が穏やかになりました(笑)。

勿論、タイムラインでたくさんの人が推しの誕生日を心待ちにしていて、毎日楽しく写真やら絵やらポストしている、というのは、ジャンル的には非常に良い状態です。
そして、まさに出版社側はそういうのを期待しているんだと思うんです。
だから、決して、やるな、と言いたいわけではないし、それで楽しい人は思う存分乗っかって楽しんだらよいと思うのです!
そのために、見たくない人にはミュートという機能があって、それでちゃんと棲み分けができるようになっているわけですし。

だから、この記事の目的は、そういうのヤメロ、といいたいわけでは決してありません。
むしろ、それで楽しい人がいるんだから、どんどんやったらいいです。
でも、もしも、私みたいなひっかかりを感じる人がいたら、ミュートしたらすごく幸せになれるよ、って、それだけです(笑)。
そうすれば、ちゃんと、見たいポストが表示されるようになるし(笑)。


と、まあ、それだけの話なんですが、、、
ただ、自分がこの現象を受け入れられなかったのはなんでなんだろう? というのには興味がありまして、ずっと考えていました。
(ちなみに、誕生日イベントの当日自体はすごく私も楽しみで、自分も投げる気満々だし、皆様の作品を見せてもらってコメントつけまくる気満々です(笑))
その理由がようやく腑に落ちたので、以下はそれについてメモっておきます。
非常〜にしょーもないです(笑)。



だんだん、誕生日タグのついたカウントダウン作品を見るのが辛くなってしまった理由。
それは、途中から、私には、それらの作品の中に、推しの誕生日を心待ちにしている、という皆様の情熱が、見えなくなってしまった、ということなんだと思います。
(あくまで、「私には」見えなくなった、と言う話であって、投稿された方に情熱がないと言っているわけでは決してありません!)

てか、そもそも、誕生日じゃないじゃん!(笑)
なのになんで誕生日のタグつけるの?
〇〇誕生祭カウントダウン、とかいうタグならともかく(笑)
推しの誕生日は俺にとって特別な日なんだよ! 
その日でもないのに、そんな安易に使うなよ!

て、そういう、ものすごーく身勝手な感傷もある(笑)
(完全に戯言です(笑)真面目にとらなくていいです)

推しの誕生日のタグがついてはいるけど、つまるところ、TLに流れていたのは、こんな写真撮りました、とか、過去にこんな作品をupしました、とか、そういう普通のポストであって。
私には、とくに「推しの誕生日が楽しみで仕方がないからそのワクワクを表現しました! 見てください!」というものには見えなくなっていました。
それなのに、推しの誕生日を祝うタグがついていることに、なんともいえない居心地の悪さを感じた、というか。
ひどい言い方をすると、自分のポストの宣伝のために推しの誕生日タグが使われているような気分に陥ってしまって、それで見たくなくなっちゃったんだな、と気がつきました。

勿論、みなさまはそんなつもりは毛頭ないんだと思います!
ただ推しが好きでたまらない、というだけで。
だから、そりゃアンタのセンサーがどっかおかしいんでしょ、と言われたらぐうの音も出ないし、実際そうなんだと思う(笑)。
しかも、素人の演奏会とかと違って、それを見るのに閲覧料を払うわけでもない。
何をポストしたって、どんなタグをつけたって、その人の自由だし、そこでまたお喋りに花が咲く。
過去作品の再掲でも、フォロワーさんが見て、いいな、と思うきっかけになればまた新たな話題が広がるわけでして。
で、そういう交流こそが、SNSの本質であって、きっかけとか理屈とかは二の次、会話が進めばそれが正義、というのがSNSのいいところでもあるわけです。
だから、そもそもそれが居づらいというのなら、根っからSNSに向いてない、という話です(笑)。

まぁ、そんなわけで、自分はホンットにSNSに向いてないんだなー、という結論に至ったわけですが、、、

ただ、自分は長年趣味で音楽をやってきたので、、、
たとえば、音楽のサークルというのは、発表する場があるんですよね。つまり、お客さんを招いて行う演奏会。
その演奏会の場で、ろくすっぽ練習しないで、自己満足の演奏を聞かせるのは、お客さんに対しても、自分自身の音楽への愛情に対しても、不誠実だ、という思いがあります。
もちろん、素人だし、やってもできることに限りはあります。
だから、その時できるだけ、頑張れるだけ、しか表現はできない。
でも、そこに愛情があって、本気で向き合っていれば、それって必ず演奏に滲んでくるものだ、とも思う。どんなに技術的にはつたなくても。
そして、それを感じ取るセンサーについては、根拠のない自信と思われるかもしれませんが、私は絶対に見逃さない自信があります(笑)。

だからこそ、なんですが…。
誕生日タグをつけて投稿するなら、私は、その愛情と本気度をどうしても期待してしまうんですよ。
なぜなら、それはその誕生日を祝うための、愛を込めた特別な投稿です、という記号だと思っていたので。
だけど、現実に起きているのは、誕生日当日までに投稿されたもののほとんどが、その練習風景を聴かせます、という感じの現象だったなぁ、と思うわけです。
勿論、練習も面白い部分はあるのだけど、やっぱ、一発入魂の本気を込めたものではないわけですよ(笑)。

(※これ見て自分の投稿かと思って悲しく思われた方がいらっしゃったのが申し訳ないので追記しますが、全てのカウントダウン投稿にそういう印象を抱いたわけではないです。ただ、私の感覚的には、「ほとんど」という印象でした。
だからミュートかけるのもかなり迷いました。気合い入った作品は見たいので…。
途中からミュートしてしまったので、私が拝見していないものもあるから、なおさら、全部ではないです。ご理解いただけると嬉しいです。)

私は、やっぱり、本番の本気が見たい。
その中には、必ず、感動するものも、私が学びたいと思うものもあるから。
でもって、本番の本気って、そんなに長続きするものではない、というのは自分が一番よく知っている(笑)。
あまり事前に情熱を小出しにすると、本番の爆発力が維持できないな、と。
(プロの演奏家なんかそうですね。リハーサルで絶対本気は出さない。アマチュアはそんなことやったら本番失敗するので、もうちょっと真面目にやりますけど)
まぁ、若い頃はそうでもなかったので(いつでも全力疾走(笑))…
単純に、自分が年をとった、ということなのかもしれません。

ここ一年ほど、推しの誕生日が近づくたびにこんなモヤモヤを抱えていたのですが、今回思い切ってワードミュートかけてみて、自分でもそういうことか、とようやく納得がいったので、記録として残しておきます。


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