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少々話が前後するが、この世の始まりについて、もう少し話をするとしよう。

その頃の人間という存在は、まだまだ幼く若く、そして人としての形も、まだまだ未熟であった。人として如何なることが求められているのかも知らぬ存在であった。ただ、他の生き物(動物)たちとは、明らかに異なっていた。それは、知恵を授かる力を要していたという点である。

知恵は、人が人たるために与えられたものである。その知恵を受け取ることができるよう大きな器は人を創り上げたのである。

人が他の生き物と異なるという点は、人として理解しているであろう。その異なる点は何かといえば、人には知恵が授けられているということである。

太古の昔、人は大きな器から出でた、大きな器と小さな器により、様々な知恵を授けられた。その知恵の意味をきちんと理解し、それを有益に利用していたのである。

しかし、その知恵を誤った形で解釈し始めてしまったのである。そこから人々は、知恵を正しく理解し使うことのできる者と、知恵を自分にとって都合の良いように解釈し使い始めた者とに分かれたのである。

この世は、二つに分かれた。大きな器と小さな器に。
その流れで、この二分は致し方のないことであったのであろう。どちらが良い悪いという問題ではない。また、どちらかの人であると分ける必要もない。全ての人の内に、この二分は存在しているのである。大きな器の中に大きな器と小さな器が存在しているのと同じなのである。

人には、知恵が与えられているのである。その知恵を如何様に使うのかは各々に任されているのである。人が人たるために与えられたその知恵をどのように使えば良いのか知恵を出し合って考えてみてはいかがかな。

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