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収集20 いつも誰かと話すように

「好奇心いっぱいで
 無知で
 いつも誰かと話すように考える」
という映画の台詞に目が留まった。『ベルリン 天使の詩』だ(ヴィム・ヴェンダース監督、1987年)。

解散の迫ったサーカスに所属する若い女が、再びウェイトレスへなり戻ることはできるけれど、その退屈に耐えられないじぶんの気性について、ひとり部屋で、心の内で反芻する場面の言葉だ。いろんな場所から集めてきた石が机に置いてある。

遠くに憧れながら、実にじぶんのうちに閉じこもっている。関心は遠くへ遠くへと拡散していきながら、そのどれにも執着することなく、それゆえ最初からずっと無知のまま、喪失的に渡っていく。そのつどの色彩が身体を賑やかにする。

そんな自分を諦めてウェイトレスという職業に舞い戻ったとして、私は納得できるだろうか?果たしてできるかもしれない。いわゆる「時が解決する」というやつかもしれないが、それは、時が私を引き裂くのと何が違うのだろうか。そんな疑いが離れない。

ゆえに呟く。「時が[私を]癒やす?ーーでも時が病気だったら?」


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