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(土)

小池耕と福田六個の公開文通「二叉路」は次回5月21日、第12回の更新をもって一旦終了します。読んでくださった方々、感想をくださった方々、ありがとうございました。異なる媒体にて数回更新したのち、12月の文学フリマにてなにか出せればいいなと企んでいます。お金を払わせてしまう場合は、学生がけっこう安くてうれしいなと思うランチ代くらい、かつ、ボリューム満点も満点でお届けするつもりです。よろしくおねがいします。

第11回、いよいよラブレターと言ってしまってよいくらいの温度感ですが、まあそれはいいとして、初回同様あくまで宛先は判然としない。友だちという言葉で考えているのは、どんな制度にだって言えることだが、特にロマンチック・ラブ・イデオロギーへの愛憎を、身近な人に対する愛憎と混同してしまわないようにしたいということ。読んでくださった方、ありがとう。たのしかった。

(日)

〈破壊せよ〉。僕らの目の前で、いま、扇動は正しい。なぜなら、あるものを対象化して破壊することの是非が問題なのではなくて、目についた手の触れたものから破壊していくことによってしか、それに先立つ崩壊にまともに対処する方法がないことが肝心だからだ。崩壊はつねに破壊(として映る作法)に先立っている。扇動に乗っかる必要がある。

(目)

医療人類学の授業、伝統医療に対する近代医療のまなざしの歪についてさまざまな角度から分析していて面白く聞いている。近代医療という制度は科学という方法的妥当性が説得力を与えているのではなく、妥当性をめぐるイメージが与えているものであって、伝統医療と近代医療で、社会成員の信頼を調達する方法には差がない。どちらも魔術のなかにいるし、ある治療法がなぜ効くか、どれが主作用で副作用かは社会的な解釈であるという一面がある。

痛みの表象の問題と併せて解説された、苦悩sufferingという概念が面白かった。すなわち、「生の根源的な営みとしての感情や情動の総体」であって、「悲嘆、怒り、恐れ、辱め、忍耐、希望、ユーモア、アイロニーといったかたちで表出」する。生物学的近代医学的な病を含みつつもっと広い捉え方で、より現象学的な接近の仕方であると言える。ドストエフスキーの小説の会話劇ののらくら、混乱は如実にこれと対応していると思った。あるいは、ベルイマンの『仮面/ペルソナ』。無言の患者を映し鏡のようにして、看護師が今まで感じたことのない安堵とともに秘密を打ち明けたと思ったら、途方もなく責められていると感じる、という揺れがこの「苦悩の表出」だなと考えていた。

(〇)

ゲスの極み乙女のニューアルバム「ディスコの卵」が五月に出ますね。楽しみですね、久しぶりですね。前回のアルバム「ストリーミング、CD、レコード」が二〇二〇年五月、九月にシングル「YDY」が出たので、二年くらい、早くて一年半くらいで出たりするか?とも思ったけれど、十周年で「丸 Best track」が、Sped Up盤なんかも出たりして、その頃で二年も前か。

前回のアルバムの名前が、目を惹くでしょうか?じっさい奇異なこともありまして「みんなCD買ってもサブスクで聴くでしょう、欲しいのは歌詞カードだけでしょう?それならCDの代わりにバームクーヘンを売ります」てな感じで、僕の家にバームクーヘンが送られてきて、バームクーヘンなら、みんなで食べるということならすこし出してあげてもいいわよ、と母がお金を出してくれたりもしました。ちょっと小ぶりだったけど、いいバームクーヘンだった。サブスクはようやくそのころ家族で入ると安いやつに入ったくらいで、兄弟で母を説得したのを覚えている。それが、学校が完全に停止するかと思いきや、Classiっていう高校ICT化の促進のアリバイみたいなスカスカのサーバに、ガビガビの授業動画なんかが毎日送られてきながら、まったく見ることなく、国際色ゆたかな料理をいろいろ試しにつくってくれた母をみんなでほめながら、南国のでかいホテルの庭みたいなところで大型犬が横切りながら日に焼けた女性が一時間ヨガする動画を見ながら毎日ヨガして過ごした、それが、高校二年生の、五月でした。なかなかたのしかった。

あれ?ゲスの極み乙女って、「ゲスの極み乙女。」じゃなかったっけ?と思っている人もいるでしょうか。もちろんそうでした。十周年のワンマンツアーのタイトルが「解体」といいまして、すこし、響きが不穏な感じがするし、声は出せないけど箱には普通に人が入れるようになってきたし、寮で隣室になった友だちもゲスが好きだとわかって仲良くなって、まあ、チケット一緒に買って行くことになるわけです。中終盤のMCで引っ張って引っ張って、「発表」があると言うから、なるほど、いや、なるほどじゃないな、ん?やばいぞ、とか考えていたら、「改名」をしますと。背後の「ゲスの極み乙女。」のほうに、セットだと思われたクレーンが動き出して伸びていって、句点を取って元の位置に戻って行った。はしゃいだ自分がすこし恥ずかしくなるくらい、さすがに、これはさむいな、とも思ったのでしたが、ぜんぜんうれしかった。「ゲスの極み乙女」は十年を経て句点を取って再出発したようです。「餅ガール」をやるときにでか美ちゃん(ぱいぱいでか美)が出てきて、餅バズーカで客席に餅撒きしていたのも、四人全員がいちばん好きな曲ですと言って「もう切ないとは言わせない」をやった最後も、僕は、すこし焦るような浮つくような気持ちはありながら来てよかったなあと思っていた。

(×)

最初に行ったライブが、延期のはてに、会場も変わった二〇二一年の七月の梅田のホールで、ゲスの極み乙女。だった。恋人に振られて、一緒に行く予定だったサカナクションのライブは延期、再延期のはてに中止となり、毎日街を歩くか映画をみるかくらいしかやることがなかったこの時期、スクリーンショットを合わせても月に四枚くらいしか写真を撮っていない。誰にも、何も、打ち明けたりしなかった。そういう頭がなかった、高校では眠っているかおどけているかだった。ゲスの極み乙女。のライブの日は駅のホームや、ホールのじゅうたんの赤や、買ったその場で着たライブTや、チケットなどを撮ってある。七月はさすがに十五枚くらい撮ってある。たのしかったのだろう。

(××)

ゲスの極み乙女。の歌詞がよく馴染んだ。道化と、道化と、道化と、ためらいと、陶酔の呼吸。ボカロを教えられるまでのあいだ自分で聴いたのはゲスの極み乙女。だけだったと思う。小学校から中学校にかけての一年か二年かのあいだの、iPod touchで、よくわからない無料のアプリで聴いた、「サイデンティティ」「いけないダンス」「無垢な季節」、アルバムという概念も知らなかった。「用意周到なあいつが考えたこのゲーム/きっと永遠に交わらないパラレルなサイクル/きっと最初から決まっていたんだよ、ねえごめんね/そんなもんさ」(パラレルスペック)。funky ver.を聴き倒していたからはじめてカラオケに入れたとき戸惑ったのだった。

(×××)

「帰り道が美しく見えるような人生が欲しい/ダサくても良いのにそれすらなれない/もっともっともっと光を知りたい」、なんてかわいそうな憧れだろう、成就することをあらかじめ信じていない。「もっともっともっと/このまま私は泣くけど/少しも諦めてはいないから」とつづく(以上「シアラ」)。「もしも私だけが正しくなれたなら/何も聞こえないふりができる/つまりは幸せと不幸の間から/傍観する側になるだけ」振りかぶるほどためらいがみえてしまう、独断するくせに慎重がすぎる(以上「悪夢のおまけ」)。先行配信曲、いい。

(××××)

にこっと笑うのはもちろん無理だからしない、から、道化で踊っていて、しかしいつのまにか泣きながら踊っていて、それが、一人芝居なので、つまらないし、かなしくて、そして気持ちよくて仕方がない、自分だけが。

はじめからぶすっと立っていたほうがよっぽどよかったのではないか。そう気づいてからはじめて、否定の文体というのは獲得できるものなのだろうか。










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