日記について

日記を書くことの面白さは、生活というものの面白くなさにあると思う。生活を構成しているあれこれは、簡単に意味になってくれないという意味で面白くなく、捉えきれないままに逃げて行ってしまう。その不明瞭に後から後から誘惑されてしまう。追いかければ追いかけるほど、不明瞭さを保ったまま自分のなかでの存在感が大きくなる。これが楽しい。人の日記を読むのも好きだが、それはその人が誘惑されている感覚をじぶんのなかで再現できるからだ。

日記を毎日つけていると、毎日毎日、得体のしれない不明瞭が生まれ続けているのを実感できる。これはある種の救いだ。恐怖しないために僕らは目前に意味を与え続けるわけだけど、恐怖が減っても不安は残るし、恐怖が減りすぎると死にたくなる。身体が緊張を求めていることに気づけずに、やりきれなさとともに部屋に横たわっていることは耐えがたい。こういうのを、人は孤独とか退屈とか名前をつけて自分を慰めるなり解決の糸口を見つけた気になったりするけれど、それで実際やることといえば、その困難な時間を「何か」で埋めて、その「何か」の分泌する不安に中毒することくらいだ。困難なことや耐え難いことがどうにかなるというのはどこか変だ。それよりも、自分にとってもわけがわからない時間が今日のうちに存在していて、どう書いてもそれに近づくことができない、ということは不気味でありつつもまっとうな気がする。そしてその割り切れなさは僕を確かに癒してくれる。他人に説明できる部分だけで僕が構成されている、というのがもし本当なら絶望してしまう。ある程度生きやすくするためにそういうことにしているという面があり、その虚像が絶望をすこしずつ僕のところに連れてくる。日記はそこからの逃走だ。

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以下、日記になり損ねた最近の想念

部屋に夕方に帰ってきたら、ベッドに寝転がって進撃の巨人を観て、すこし涙して、3話くらいみたら満足して寝落ちする、というルーチンがいつのまにか出来上がっており、これがいちばん自分が安心できるということになっているらしい。本当はどうくつろいでもいいはずだが、注意力が減ってきて追い詰められやすくなっている夕方にはこうした定型が必要とされたのだと思う。

僕が小説から長らく距離を置いているのは、中一のときに出会った三島の金閣寺が僕を思いきりぶん殴って、それ以上の衝撃がその後の5年無かったからだ。五年間、いろいろ小説を読みながら、どれも大変退屈なので、心の裏ではずっと金閣寺が僕にもたらした呪いのことを考えていたように思う。小説を手放してからは、呪いそのものから距離を取ることができるようになったけれど、今でも観念の造形の瞬間に溝口少年を発見して戦慄することがよくある。今では僕が知悉できる美はこれ以外ないこともわかるから、金閣寺に感謝している。愛している。だけどずっと潜在的に三島と溝口少年を憎んでいた。

人が死ぬと、いつも忘れているだけですべては取り返しのつかないということを思い出す。いつでもかなしむには遅いのだ。だからこそかなしい訳だけど。

3か月に一度くらい、phaという人間がいたことを思い出してnoteの日記を読む。彼の無気力無関心はよくわかる。部分的には体質が似ているとも思う。そして、過ぎていく日々の些末に拘泥することでじぶんのポーズを覚えておく、あるいは昨日の自分の手放せなかったこだわりを覚えておこうとする、というやり方も、よくわかる。面白いかというとそうでもないけれど、やり方としてすごくわかる。そもそも人よりも体力がないし、何らかの対象に燃え上がるということが難しい。それでも、必ずやってくる虚脱がじぶんの絶望でもあり希望でもあるような、そういう生を引き受けるというのは、なかなか大変で、同時に楽しいものだ。
彼のことを三か月に一度しか思い出さないのは、彼には復讐がないからだと思う。僕はずっと、親に、『金閣寺』に、教室に、復讐しつづけている。その力が、その憎しみがほんとうの優しさだし、愛だと信じているからだ。それを彼には感じない。

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