見出し画像

収集26 ショートカット

WindowsやWordを手癖だけで使っていることに気づいたので、簡単なショートカットキーくらいは使えるほうがいいと思った。
以下に使いそうだなというものを張っておく。

Windows
ファイルを開くCtrl+ O
アプリやウィンドウを切り替えるAlt+ Tab
ダウンロード画面を表示するCtrl+ J
ファイルを保存するCtrl+ S
項目の名前を変更するF2
ページ内を検索するF3

Word
アウトライン表示に切り替えるCtrl+ Alt+ O
文書内を検索するCtrl+ F
表を挿入するAlt→ N→ T→ I
文字を矩形選択モードで選択するCtrl+ Shift+ F8
日付を入力するAlt+ Shift+ D
現在時刻を入力するAlt+ Shift+ T
文字を中央揃えにするCtrl+ E

調べてやれるようにすれば、もっといろんなことが素早くできるはずで、そのために無駄になる時間はメンテナンスと併せて重要であるはずだ。知覚を道具のかたちにするという対処。
noteみたいなツールは、なんでもビジュアル化して直感的に操作しやすいわけだが、そのぶん代償も支払っているはず。仕組まれた範囲でしか動くことができないということはだんだん身体がそこに押し込まれていくようにしか動きを発想できなくなることにつながる。

すなわちこれがスマホが完全に生活を覆うことに成功した理由で、僕らの首が痛く、肩が凝り、可動域が前傾している理由だ。
アプリとは道具ではない。サービスである。使い方が指定され、その指定は相手の都合で変わりもする。

便益を享受しているという形式には警戒したほうがいい。



授業の全体像が見えたので、この話に繋げて注釈をつけてみる。ここでは「魂はつねに思惟する」という繰り返されるテーゼを中心に書いた。『デカルトはそんなこと言ってない』の「そんなこと」の第一は「デカルトは心身二元論を展開した」という理解のことだ。さらに、細かく見ていくと、「魂が知覚を処理する部分と、原理的にあれこれ操作する部分とに分かれている」という理解があるが、これは分かれているのではなくグラデーションで凹凸となっている。心に高次な部分と低次な部分があるのではなく、少なくともその割合と程度は動的に推移し、精神は、物質の程度を高めたり低めたりする。精神は、それ自体的ならしさを保っている時もあれば、物質に似る時もある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?