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8月のこと

8月が終わった。
いつも僕は、夏のあいだにいろいろなことを思い出しておくことにしている。去年の今ごろの日記を読んだり、中学のときに読んでいた本を読み返したりして、ああそうだった、僕はぼやっとしていたな、と気づくころには、夏は終わりつつある。

なぜか毎年、こうして過ごすのも最後だな、という予感とともに夏を楽しんでいるのだけれど、今年ばかりは本当に最後であるような気がする。この家でいろんなことがあった。それを納得いくようになぞりなおして、辛かったときのことを思い出して、泣いた。少し泣けるかもなと思った次の瞬間、盛大に泣いていた。昨日の夜だ。これでやっと元気が戻ってきた。これほどきちんと泣いたのはいつぶりだろうか。感情はある。それだけのことに気づくのに、莫大な時間が要る。

ちゃんと死ぬ、というのはいいな

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家に帰って特別にやることはいくつかある。犬に触って話しかける。とはいえ何も言っていないのと同じくらい意味のないことしか言わない。なにしてたんの、ねーって言い続けたり、その時だけの名前をつけて呼び続けたり。ちゃんきちという名前が付いていて、僕はそれがお気に入りなのだけれど、そこにはほんとうの名前の成分は全く入っていない。――ちゃんという呼び方と――きちという本体プラスアルファの呼び方が合流して本体が抜け落ちたかたち。ゴラゴラゴラッ、って言いながら撫で続けるときもある。いつも喜んでくれる。半年とかぶりに帰ってきたというのに、まったく違和感なく遊んでくれる。そうしていつも少しずつ老いている。耳がすごく遠くなっている。一時期は体調も心調も不安定で、ふさぎ込んでいたときもあったけれど、今はとても穏やかで、笑っている。口に指を突っ込んだり鼻と口をふさいだりして、どれだけ勝手にしても何も言わずにただこちらを見ている。あるいは撫でてもらうためにこちらに背中を向けている。これは飼い始めたときからずっと変わらない。ずっと一緒にいたのに、おそらく彼を看取ることはできないだろうことを思うとたまらなくなることもある。多分僕が実家にいないあいだに死んでしまうだろう。その時が大学を卒業してからであっても、多分僕は実家には戻っていなくて、死んだときに僕がすぐ実家に戻れるかというとおそらく難しい。いろんなものを捨てて、諦めてしまっているなと思う。でもそれも自然なことで、ほんとうは最初から受け入れているのかもしれないとも思う。最近はそう考えている。チャンスは少ないし、足りない。足りることはない。最初から/最後には=いつも、覚悟の問題なのだ。

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本屋をみんなでやれたらいいね、という話をうららとしたのけれど、今すぐ動き出した方がいいと思う。話をしているうちにぜんぶ終わってしまう。ぜんぶが今よりもずっとはやいスピードで動き出す前に、やるべきだと思う。

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久しぶりにプロの将棋を観た。NHK将棋トーナメントという、一局ずつ収録対局して放送するテレビ棋戦だ。中高生のときはこれを録画してほとんど毎週観ていたし、いろんなタイトル戦の予選から、何から何まで把握していたのだけれど、藤井聡太がタイトル戦に食い込むようになったあたりからぱたりと追いかけるのを辞めてしまっていた。今でもたまに将棋部に行くことはあるが、将棋がすこし面白いだけで、プロ棋界はもちろんのこと、将棋をやっている奴が面白いとも思えないから続かない。僕の関心がだんだん他のものに移っていくのと並行して、実際のプロ将棋(とそのパッケージング)がつまらなくなっていく感触がはっきりあった。
 対局の進行に合わせて、女流棋士と棋士の二人で解説をしていって、その音声がつねに入ってくるのだけれど、この解説が終わっている奴が何人かいる。どう終わっているかというと、観ている奴を完全に舐めていて、カテゴリーとステレオタイプの組み合わせでありていのことしか言わないで、それで初心者に向けて解説してあげた気になっている。対局している棋士が扱っている情報量が1万だとすると、僕の扱える情報は1000くらいしかない。300あると楽しく将棋ができて、3000あるとアマチュアとして切磋琢磨できる。5000以上あると優勝者がプロ棋戦にちょこっと出られるような大きなマチュア棋戦の本戦で活躍できる可能性があるが、このレベルは県に一人か二人で、プロを除くと日本に100人はいないくらいのボリュームになる。視聴者の割合としては、おそらく100とか200くらいの人が多数で、それは国際政治で言えば、アメリカとかロシアとか日本ドイツフランスウクライナとか国名とそのイメージだけを持っているくらいのレベルだ。これに合わせて、これを満足させるためだけに喋ってしまうから何にも面白くない。アメリカの外交について、トランプやバイデンの人柄以上のことを話さずにそれで政治の現象面をすべて説明してしまうような感じ。終わっている奴の中でもいちばん終わっている奴がよく引っ張ってこられるので、Abemaのタイトル戦放送の解説なんかだとそいつの割合がいちばん高い。僕はたいていそいつが解説だと観るのをやめてしまうか、どうしても対局を観たいときは消音にして観る。こういう終わりかたっていうのは、番組そのものや将棋ビジネス全体に漂っているもので、それを面白くもなんともないと思いながらなんとなく合わせている棋士が8割、それをダサいと思っているからちゃんと戦おうとしている棋士が1割、それがいちばん素晴らしい啓蒙だと思って簡単なことしか言わない舐めた棋士が1割いる。
 こういうのが冴えないなと思っていつもうんざりする。最近の将棋コンテンツではこういう冴えなさがすべての局面を覆っていて、たとえば、NHK将棋トーナメントでは、二年前くらいに二つの仕様変更が行われた。一つ、感想戦(対局後に対局者の二人だけで駒を動かしながらしゃべって、いろいろと検討する)を時間の限り放送するというスタイルをやめて、対局者への2,3の質疑応答に差し替えた。二つ、盤面の上にAIの形勢判断を掲載。これにより解説者の解説が浮ついたり奇妙に左右されたりする。この二つのギミックによって、より将棋観戦は「客観的」で「清潔」なものに成り下がりつつある。いちばん保守的で伝統的なジャンルであるくせに/だからこそ、こうした時代変化をもっとも従順に被る、という現象が見ていられなくて、いつもうんざりする。
 しかし今日はとてもいい場面が一つあった。先手・敗者の藤井九段への質疑応答の場面。解説者「先生がお考えになる本局のポイントがどのあたりか教えてください」藤井「ポイントというのはわかりませんね......(沈黙)うん、わかりません」
けっこう長い沈黙だった。解説者は、沈黙が続いてそれ以上何も出てこないことを察知して、次の質問をすぐに繰り出したが、この時間の、彼の表情と声の出し方がとてもよかった。番組の時間がちゃんと破れて棋士ひとりの時間がこちらまで流出してくるようだった。


これは 藤井システム と呼ばれます
(先手)玉を囲わずに端歩を詰めて4六歩-3六歩から右桂の活用を急ぐ


 去年の夏の入りから秋の終わりまでのあいだほとんど毎日日記を書いて、全部で15万字くらいのボリュームになったのだが、それを見せた友だちには一様にまったくわからないと言われた。それは僕にもある程度わかっていたことだった、というのは、本当に何の形式もテイストも考慮せずに、書きたいことを、ただ出てくるものを、出てくるものの声を聴くままに転がしていくような書き方をしていたからだ。夏が本格化するころにはその波がみえるようになって、それに身を委ねるようにしてスピードと深度を上げていった。そうして、主に感情について、「こういうことがあったな、世界には」という一つの発見があり、それを中心にして見えてくるものを確かめつつ、ずっと同じ仕方で、しかしだんだん丁寧に身体のほぐれていない部分を刺激し続けた。これは本当に、僕以外の誰にも分からないものかもしれない。それはそのときは考慮していないことだったが、ありうることだと思う。誰ひとりとして、どの部分として分からないということもありうる。でも、それでもいいというくらいやりたいことをやれた感じがしている。僕はそこで自分の中心を得たと思う。
 いつまでもそういう書き方をしているわけにはいかない、というのはもちろんそうだ。が、それよりも、今はその書き方をしたくてもできない。誰にも・全くわからないということはないだろうというような書き方に移ってきた。それは、非常に厳密な意味で、否応ない推移だった。選べなかった。それでも、誰、という割合でいうと、1%から3%くらいだと思う。そこをじりじりと、行きつ戻りつして、1%から7%くらいを漂うのがいい気がしてきた。

ところで、周りを見渡してみると、「多数を取りこぼさないように」喋っている人がいっぱいいるな、と思う。その意図が大きすぎて、失われてしまうものがいっぱいある。何よりも、喋っている人の熱。何かを面白がって喋らないと伝わりうるものなんてないのに、多数のためにそれを犠牲にしている。全く伝わらない相手を少なくするか、ゼロにするために、頭の中に「誰」を作り出して、その人に合わせて喋る。でもその「誰」は誰でもなくて、想定としての「誰」というのはほとんどの場合、切り刻まれた実際性がかき集められデタラメに組み合わされたモザイクとしてのマネキンで、話を受けている僕らは、自らがマネキンとして扱われていることに必ず気づく。知識の量なんか関係なくて、ただ気づくのだ。誰が、誰のために何を喋っているのか、そのすべてがはっきりしなくて、訳が分からない場面が多すぎる。
 たくさんの知らない人に届く声であっても言葉であっても、多くとも10%にだけ伝わるように話すべきだと思う。そしてもう一つ大事なのは、揺らぎを持たせることだ。10%から3%まで下りていって、そこからまた15%、20%まで上がっていき、また下がる。そういう語りはたまにあって、それだと、聞く人は分かる人と分からない人に二分されるのではなくて、その間に揺さぶられる人が出てくる。この揺さぶられる人は決して割合として多数になることはないのだが、それが多ければ多いほどいいのではないかと思う。

人を主に割合で扱うのはまったく無意味だが、それがいちばんわかりやすくて振り回しやすい基準だから、よく使われて、何も伝わらないどころか誰がどこにいるのかさえわからなくなってしまう。割合を優先的に考慮するということは、まずもって人間たちは均質であると解することで、そして彼らがひとつの均質な空間でひとつの均質な時間を生きていると考えることだ。もっと進んで、たとえば上のように、その人々を僕の文章を読む人として考えるならば、均質な目と脳が均質な空間に等間隔に配置されていると考えてよい。そこには誰がいるわけでもない。誰でもない、もっと言えば身体を持たない神経系がある。いるのではなくてある。そこに存在している。僕が、不用意に分かられることを避けるのは、単に誤解されたくないというようなコミュニケーション可能性の次元の話ではなくて(それもかなり大きいが)、僕には僕の身体があり、そこに神経が格納されているという当たり前の実際を取りこぼさないためであったのかもしれない。このあたりでもう話を分かってくれている人が一人もいないであろうことを確信しながら書いているが、それでいいのだ。僕は僕にしかない身体を考えている。そしてその身体が置かれているところの、特異な場所(空間ではない)と、それを条件づけている環境について考えているのだ。いつでも空間という観念によって場所と環境とは僕らから隠される。だから体調や心調という内なる環境から場所を思い出そうとするのだ。ただしここでの思考の到達地点は一般化されたテーゼが導かれるというようなわかり方ではない。もちろんそれは、僕の生きているのが実験室でもなく社会でもなくこの場所だからだ。

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0831
葉ね文庫へ行く日。
家を出るのが早すぎた。
御堂筋の梅田で降りて、駅の傍の喫茶店で2時間くらいぼーっとしたりこのnote書いたりした。380円のアイスコーヒー。涼しくなってもしばらくはアイスコーヒーを飲んでいると思う。17時閉店だったからふらっと外に出て、中崎町周辺の雑貨屋や古着屋を覗いて回った。ネクタイと東西南北を教えてくれるほうのコンパスを買った。古着屋ではいっぱい話しかけられて疲れたのにぴんとくる服がなくてかなしかった。片袖だけピンクの服を着ていたからめっちゃ質問されたのにアキバ感電デンキのことをうまく説明できなかった。それでも時間がいっぱいあったからバッティングセンターに行った。明らかに昔野球やってました風の男の人が、たくさんカップルで来ていて、お互いのバッティングを扉開けて見合って、「(危ないから)扉しめてください」と店員が注意する、という光景が何度も繰り返された。面白いから4回分カード買っちゃって、1500円くらい使ってしまった。一回20球で、半分くらいしか当たらない、当たったやつはだいたい上か横に小さく跳ねる、たまにちゃんと当たって前方に大きく飛ぶ。一回やるとけっこう息が切れるから、ボックスを出たところのソファで座ってしばらくぼーっとする。テレビのプロ野球が点いていて、店員も中学生も高校生も背広も、僕も、それをぼんやりと眺めている。実況・解説の声だけが響いて、それ以外の全員が眠っているような気がした。
葉ね文庫へ。短歌評論のこれからの方向性の話をずっと真剣にしゃべっている人とそれを聞いている人がいて、本を選びながらそれを面白く聞いていた。パロールとエクリチュールって知ってます?とか、でもそれだと内向きの批評になっちゃうんですよ、でもそれでもいいって言ったのが東(浩紀)で、その結果が今の東ですよ、それでいいのかっていう。とか、けっこう、いわゆる文芸批評というスケールで短歌評論及び短歌をどうにかしてみたいと真剣に思っているようだった。会計の時に御座候をひとつもらって食べた。いつ行ってもひとりくらいは真剣に短歌の話している人がいて、顔知らないだけで知ってる人かもなーこの人、とは思うけどいつもそれを一致させたいとは思わない。から黙って聞いてる。4冊買ったら一万円だったからびっくりした。本はけっこう高い

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散歩に行ってくる、ということを言ってから散歩に行かなければ、怒られる。高校生の時、何も言わずに外に出て一時間くらいしてから帰るということを何度もして、その度にかなり強く色々と言われたのをよく覚えている。なぜ怒るのか。言わなければ行方が分からなくて、分からないのは心配で苦痛だからだ。心配で苦痛なのは、ふつう、人は簡単にいなくなったりしないという信念があるからだ。しかし僕が散歩に行きたくなるのは、簡単に人は消えない・いなくなるなら言った方がいい、というような、まさにその現実設定そのものから離脱したいからで、特にその欲求が高まって何もかもにうんざりしているからだ。だから、散歩に行ってくる、と断りを入れることができるならそれはぜんぜん耐えられているときだから散歩に行く必要はないし、逆に、言うのが面倒なときは言う余裕が失われていて、その場所からどうしても逃れたくなっているときだ。つまり散歩に行った方がいいときだ。だからどうしようもないのだ。
今日は言ってから散歩に出かけたのだが、言いだすまでにこのどうしようもない息苦しさを感じてひとり黙って消耗していた。人は・勝手に・いなくならない・わけがない。こういう存在そのものに関する理解の相違があって僕が発狂しているというのを横に置くとしても、やはり、何となく何かをしたいということはいつでもあるわけだが、それを思いついて行動に移す前に〈何かをしたいと思うなら、それが何であるかを家族に(母親に)分かるかたちでいちおう伝えるべきである〉が了解事項としてあって、これが強いられているせいで殺される心の震えとか高揚感みたいなものが確実にある。それやって僕の心が、生活が、段々だめになっていくんだと感じる。家族という経済形式、あるいは現実の了解形式をどうやっても許すことができない。ふつうに、当たり前に、どうしようもないからだ。
苦しい。息苦しい。でもそれは避けがたいもの、受け入れるべき苦しさではない。ここが重要だ。それは避けがたいものを避けようとすることによって生じる苦しさだ。だからこそ本当にどうしようもない。人は・勝手に・いなくならない・わけがない。当たり前だ。でもそれを丁寧に遠方に押しのけようとするときにたとえば上のような現実の了解形式が必然的に生み出されて、人は・完全に・それに慣れる。そして避けがたい苦しみを受けるまでのしばらくのあいだ、その不可避を忘れる。そして・苦しみを・受ける。決まっていて動かないことだ。人は個的に生きて、個的に死ぬ。生きるあいだに、個的に世界観を了解し個的に知覚し個的に思考し個的に行動する。こちらもまた、まったくどうしようもない。でも吐き気はしないし、息苦しくはない。ぜんぜん普通じゃないし常軌を逸しているけれど、完全に当たり前だ。好ましくすらある。

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父と子として、母と子として、兄と弟として、姉と弟としてではなくて、ただのふたりの人として出会って、ただ話したかったな、と思う。今の関係が嫌なわけではなくて、むしろとても満足しているけれど、もっと別の形でも出会えたわけで、そう思えばあまりにも余計なものが多すぎる。ふたりでただ素直に話がしたい。それだけをおもっている。でもこれは、やり直す必要はなくて(やり直せない)、何かが訪れて、見かけのいろいろが剥がれるのを待てばいいだけなのだ。どこでもない場所で出会ったかのように、最初からもう一度話してみればいい。

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大学を出てからのことをよく考えている。
普通に就職活動をして就職をして、働き始めたならば、僕は死ぬか心が壊れるだろうという確信が随分前からある。これは僕のいつもの体調と心調から考えてみれば当然の予測だ。死にたくなるのは、体力の消耗具合を見失うか、喜びと驚きが不足するかのどちらかで、今のように、付き合う人ややることを今までにないくらい自分で決められているとしても、ともすれば死にたくなってしまう。最近は死にたくならないが、動けなくなることはしばしばなので、そこを無理して動くと、つまり無理して動かざるをえない事情が発生すると死にたくなるだろうから、今考える上では同じことだとしてよいと思う。
最近、母とこうしたことをしっかり話す機会があって、そのときの彼女の反応にとても驚いた。というのは、上のように、どうやったら殺されずに済むかを考えつつ生きている、だから=しかし、最高に生きているし最高に楽しいという話が、あまり伝わらなかったからだ。それどころか、異様に心配され、暗い顔になり、もっと明るくなりなさいと言われ、それでも働かないといけないのよ、とさえ言われた。僕は誰よりも明るいし、働くということに前向きだし、それに伝わると思ったからそう話したのだけど、何から何まで逆に取られて、ただただ心配させてしまった。
たぶん彼女は、戦争が来ない限り、人は、僕は、死なないと考えているのかもしれない。でもそれは違う。僕が通り魔や無差別殺人の被害にあう可能性は横に置くとして、継続的で構造的な殺人という意味では、今だって戦争状態にあるし、いつでも僕らには赤紙が届けられている。日本の自殺者は2万人台で推移しているから、14万人死んだとされる、広島への原爆が7年に一度落ちているのと同じだ。そして、今の戦争は、昔の戦争とは逆で、健康な人間から順にではなく、心身が脆弱な順から赤紙が届く。僕は全体からみれば弱い方で、今色々手に入れているものがたまたまその相対的な位置をよくしているだけで、僕に帰属するもろもろの強さでみれば、明らかに前方にいる。どう考えても、どうやったら殺されないか、どうやったら戦争に行かずに済むかということから思考=行動を出発させるべきなのだ。僕はいま20歳なので生きているあいだに三回原爆が落ちたけど、まだ僕は生き残っていて、どのタイミングのどれが赤紙なのかは、わからない。それに、昔の戦争とは違って、健康な人は後に死ぬか、あるいは死なずに済むので、昔の戦争でさえ全員でそれを肯定したのだから、今の戦争はもっとより強固に推進されることになるだろうことは、けっこう重大なことだ。そういう場所で僕は生きている。そういう場所なのだ。
構造的な要因で人が死んでいて、ほとんど誰もがそれを仕方がないこととして受け入れている、という認識はたぶん一般的でないし、逆に、それとはまったく別のところで、「寿命」という概念がしっかりあって、それを脅かしはしつつも、実際の事件としてではなくただの表象として突発的な災害や殺人がある、というのが普通の認識なのだろう。戦争と平和。

いつだって、どこにいたってそこは荒野で、荒野から降りることはできない。うっかり底なしの穴に落ちて死ぬこともあるだろうが選べるわけではないから、意識的には、荒野で野垂れ死ぬか、まだ立っているか、しかない。だから、立っているためのまともな足腰と、遠くの方に立っている奴が助け合える奴かどうかを、顔色だけで判断できるくらいの柔らかくてしっかりした目ん玉が必要だ。背骨と足腰と目ん玉を鍛える。そして荒野でもわくわくすることを諦めない、それどころか、荒野こそ、わくわくするにはもってこいなのだ、と思い込んでそこから現実を作っていくこと。思考の順序を間違えないこと。

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僕を作ってくれて、そして消えていく物や人に、ちゃんと喪を捧げたいと思う。見かけじゃなくて、淡々と、背筋を伸ばして。それは何かを変えるために動いていくということとは違う。みんなが望んだことを自分もすることとも違う。見かけの上で大きく変わったとき、それは、何かが取り分をしっかり取って僕らに対する言い方や求め方を少し変えたというだけだし、僕に望まれたことを僕がするとき、しっかり得をしている何かがそこに潜んでいる。大きな何かが変わらないために僕は何かをつねに強いられていくだろう。そしてそれに従わないとき僕はかならず殺されかける。それで、普通に、僕は死んでしまったり壊れてしまったりするだろう。殺されるのは仕方がないし自然なことだが、壊れたくないと思う。壊れたら、そのときは負けたということで、僕は生きることも死ぬこともやめてしまうから、そのときは終わりだ。だから、今は壊れずに生きていくことだけを考えている。このままうまくいけば壊れないでやっていけると思う。表では平気そうでふざけた顔をしながら、ちゃんと僕を作ってくれて助けてくれたものごとに報いる。

とはいえ、消えないでほしい倒れないでほしい

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